波の神ナルオラ
ジョーズが来る朝、ダンは興奮気味で目を覚ました。
丁寧にボードのワックスを塗りメンテナンスをする。
大波に備えてボードには錘をつけた。
マリンボートを操縦するジャスティンに連絡をいれる。
撮影隊の準備も万端だ。
“ジョーズに大波がブレイクしたぞ”
早朝からサーファーたちに情報が駆け巡る。
海は世界中から集まったプロサーファーたちで混雑していた。
“風が強くうねりが安定してない。危険だな”
ダンは波をみてすぐに簡単なライドにはならないと判断した。
よし、いくぞ。
ダンが海に入る。マリンボートに引っ張られるようにポイントへ。
海になれたダンでも恐怖を感じるほどの大波が向こうから押し寄せてくる。
何度見ても怖い。
ものすごいエネルギーだ。マリンボートに乗ってジョーズチャレンジ。
成功!
波の壁を白いしぶきを上げてボードが滑り降りる。自然と対話し、神に近づく無心の時間。
“ああ、この感覚を僕は待っていたんだ。”
ダンは幸せだった。
崖の上からテトとジルがそれを見守った。
“命知らずとはこの事だな。”
ジルは巨大な波に圧倒されて言った。
ダンのライディングは目を見張るようだった。あれほど巨大な波を恐怖心無しで笑みさえ浮かべながらテイクオフしたダンにサーファーから歓声が上がった。
“彼は只者じゃないぞ”
他のプロサーファーたちが目を見張る。
“どこのサーファーだ?”
“オアフの消防士?無名なのか?ウソだろ。”
“世界一級の腕じゃないか”
瞬く間に丘にいるサーファーのなかでダンのことが話題になった。
次々とブレイクする大波。ダンは次々とチャレンジ成功させ、一気にサーファーと撮影隊の主役になった、
7本、8本、ダンのライディングに皆釘付けとなる。
“まるで、エディーのようじゃないか。”
白髪のハワイアンサーファーが呟いた。彼は懐かしむようにダンのラインディングを見守る。
“エディーのようだ。”
“ほんとうだ、まるでエディーのようだ。”
口々に皆がそうつぶやく。
9本目だった。以前にも増して今日最大のビックウェーブ。
ジョーズという名前にふさわしい波の壁がダンの背後に迫る。
“この波だ。”
テトが呟いた。
ジルに緊張が走る。
“ナルオラだ。”
“ナルオラが見えるぞ。”
ダンのライディングに釘付けだった観衆たちが叫んだ。
波の神、ナルオラ。
“ナルオラだ。ジョーズの向こうにナルオラが見える”
ポリネシアンの顔立ちの精悍な男の顔が波の壁に浮かび上がる。
ダンが波を掴んだ背後だった。
ダンは波の壁を滑り降りながら声を聞いた。
体の力みはない、ライディングはいたって順調だった。
楽しい。ダンは心から波乗りを楽しんでいた。
そんな中、聞こえた太く響く男の声。神だ。ダンはすぐにわかった。その声がダンに呼びかける。
“ダン、いったん家へ帰るのだ。迎えに来た。”
ナルオラ。ハワイアンが畏怖と尊敬の念を持つ波の神ナルオラ。
僕は前にもこの声に呼ばれたことがる。ダンが遠い記憶に思いをはせたその瞬間。
テイクオフ寸前波に巻かれた。ぐるぐると巻かれ、水圧に意識が遠のく。
“ダン、迎えに来た、家に帰るのだ。”
ナルオラの声が響く。ナルオラ。波の神。そうだやはり、僕は前にも彼にあった気がする。
やっぱりこんな風に波に巻かれて、嵐の夜だった。波にはなんども巻かれたことがあったのにそのときも不思議と苦しくはなくて。
ダンの意識が遠のく。
“神がじきじきに迎えに来た。”
崖の上から見守っていたテトが呟いた。
“だめだ。ダンが波に飲まれた”
丘にいたサーファーたちが叫んだ。浜に緊張が走る。
ダンは波に飲まれながら、心は不思議と穏やかで苦しくはなかった。
“ダン、迎えに来た。一緒に帰ろう。”
ナルオラの声にこたえる。
“僕はここで死ぬのですか。”
“一端死ぬ。お前には役目がある。だから迎えに来た。ただ身をゆだねていればいい”
優しい声だった。
“OK 。ジョーズにも乗れた。あなたに従います”
ダンはそう答えた。そして微笑んだ。
胸の辺りでハングルーズを作った。
本能が知っている。神には逆らえないのだと。ダンの体は海の底に引き込まれた。
丘に引き上げられたダンの横には真っ二つに折れたサーフボードが置かれた。
サーフボードが折れるほどの波の衝撃だったのに、彼の顔には傷一つなく、体も無傷に近かった。
悲しみにくれた人々が彼を取り囲んだ。
“また偉大なサーファーが死んだ。”
彼らは口々に言った。
“彼のライドはエディーのようだった。”
“僕らはまた英雄を失った。”
沖からあがったプロサーファーたちや撮影クルーもぐるりとダンを取り囲み畏敬の念をこめて頭をたれる。
テトはそっと彼の胸に舞い降りると何かを祈った。
すーっと光が天に伸びて、純度の高いピュアソウルの結晶が胸元に浮かびあがった。
数人のサーファーにはテトが見えたらしい。
“天使が迎えにきた”
と涙を流した。少し後ろでその様子を見ていたジルも涙が止まらなかった。