Jaws
“僕になんかよう?”
小屋の側に止められた車を覗くようにその男はあらわれた。
ウェットスーツをきてサーフボードを抱えてびしょぬれのままこちらを見ている。
ジルはあわてて外に出た。肩に乗ったテトをみて男は目を丸くする。
“気の性じゃなければメネフネが見えるんだけど。”
目をくるくるさせてメネフネを見ている。
“テトっていうんだ。見えるんだね。”
テトが見えるならサーフィンの取材なんて通用しないか。とジルは思った。
“初めてみた。”
感激したように笑った男はまだ30歳前後だろうか。
がっしりと鍛えられたからだに褐色の肌。
くしゃくしゃになった金色の髪。グレーかがった魅力的な目。
少年のようにくったくなく笑う。
ピュアソウル。
テトに教えられなくても男の純粋さが伝わるような笑い方だった。
“ナイスツミーツユー。僕はダン。”
“ハーイ。僕はジル。こっちは妖精のテト。君を待っていたんだ。”
“OK。とりあえず、シャワーを浴びてくるから、家で待っていて。コーヒーを入れるよ。”
“コーヒーだって!”
テトが嬉しそうに叫んだ。
“メネフネってコーヒーが好きなのか?”
おかしそうにダンが言う。
“ああ、コナコーヒーならパーフェクトだ。”
“OK.コナコーヒーを入れるから待っていて。”
テトは本当に嬉しそうにくるくると飛んだ。テトが飛ぶたびに光が舞い散る。
“きれいだなぁ。”
テッドはテトをまぶしそうに見ながら言った。
ダンの部屋の中はいたってシンプルで生活に必要なもの意外は一切なかった。
壁にはたくさんの気象情報や、天気図。偉大なサーファーたちの写真や、大波の写真がぺたぺた張ってある。
色々な書き込みをしたカレンダーは12月14日の部分だけ大きく赤いペンで囲ってありJAWSと書いてあった。
“ジョーズ。”
ジルが呟く。もしかしてダンはジョーズに乗るのか。
ハワイアンならみんなが知っている化け物のように大きな波、
通称ジョーズ。
プロのサーファーでも命を落とす危険な波だ。
人間が陸から見る事が出来る世界で最も大きな波が立つポイントがマウイにあるのは知っていたが、
ジョーズを実際に乗りにいくサーファーに会ったのは初めてだった。
パイナップル畑が広がるのどかな田舎道を抜けた海岸の崖の下にジョーズのポイントがある。
最低でも15.2フィートの北のうねりが入らないとブレイクしない。
とてつもなく大きな波なのでパドリングでのテイクオフは不可能、
ジェットスキーに引っ張られながら波に乗るのだ。
もちろんマウイでも超エキスパートだけがジョーズに挑戦出来る。
ダンはその一人らしい。こんな小屋に一人で住んでいるところを見ると生活のすべてがジョーズを待つためにあるのではないだろうか。
シャワーからあがってくるとダンは上半身裸のままサーフパンツを履いてコーヒーを入れてくれた。
キッチンに立つダンの上半身は完璧に鍛えられていて、左の腕にはフィッシュフックのタトゥーが入っている。
フックの数だけ幸せをひっかけるといわれている幸運のシンボルマークだ。
褐色に焼けた肌を見ている限り、純粋な白人ではなく色々な国の血がミックスされた混血なのだろう。
白人とアジアとヨーロッパ、メキシコ。色々な血が混ざったダンのような青年はそれぞれの良さだけをミックスしたように魅力的な人が多い。
“うーん。いい香りだ。久しぶりのコーヒーだ。”
テトが出されたコーヒーに器用にミルクと砂糖をたっぷり入れるとおいしそうに飲んだ。
“つかりたいくらいだ。”
テトがしみじみ言うので、ジルとダンは笑った。
“それでさ、”
ダンは身を乗り出すように手を膝に置くとゆっくりと言った。
“僕に何か用なの?”
ダンが聞いた。用事がなくても構わないといった雰囲気なのでどこまで説明するか一瞬戸惑う。
“テトがさ、君のサーフィンを見たいっていうから。”
“メネフネが?僕のサーフィンを?”
おかしそうにダンが笑った。
急に話題に出されてコーヒーをおいしそうに飲んでいたテトが迷惑そうにジルを見る。
話をあわせろと目でジルが合図する。
“そうだ。ダンのサーフィンは妖精の中でも有名だから。”
初めてついたような下手なウソをテトが言った。
“有名?妖精に有名なの?”
信じられないとダンは驚いた。信じられない信じているとジルは驚いた。
“まあ、いいさ。だからジョーズの前に来たんだろ?”
ダンがカレンダーをさす。
“前にもジョーズに乗ったことが?”
ジルが聞いた。
“3年前に一度だけ。あの日数本のジョーズに乗った。
忘れられない興奮なんだ。神と一体になったような。
自然と対話しているような一つになった感じ。無心で波を駆け下りていると神を感じる。”
ダンが思い出すように恍惚の表情を浮かべた。
“どうしてももう一度乗りたい。そのチャンスが来るんだ。”
“明後日だな。”
ジルが言った。
“ああ、一週間前からジョーズの予測は付くんだ。
でも外れることもあるけど、メネフネが見に来たぐらいだから、きっとジョーズはブレイクするんだな。”
ダンは嬉しそうに言った。
“こんな小屋でよければ明後日のジョーズまで泊まっていけよ”
ダンは気軽に言った。
“妖精のお客さんなんてめったにないし。”
そういってウィンクした。そしてダンは気象情報を聞くためにラジオのヘッドフォンをつけた。
“よし、いいぞ。きっと巨大な波がジョーズにブレイクする”
ダンは興奮していた。
“その波で死ぬんだ。”
テトがジルの耳元でささやいた。一瞬でジルに緊張が走る。心臓がばくばく音を立てる。
“止めたほうがいいんじゃ。”
“おいおい。お前に命をコントロールする権利はないだろ?
俺たちはピュアソウルの結晶を集めに来ているんだぞ。死を止めたら一生結晶は手に入らないじゃないか。”
“でも。”
死を知っているのに告げないことが心苦しくてたまらなくなったジルがテトに訴える。
“ジル、君がそれを知っていることで苦しむのは本末転倒だ。
どちらが先でもピュアソウルが自分で決めて生まれてきて帰っていく。君が口を出すことじゃない。”
テトはぴしゃりと言ったので、ジルはそれ以上何も言わなかった。
翌朝、色々考えすぎてすっかり目がさえて眠れなかったジルは日の出と共にベッドから抜け出た。
ダンはすでに起きて、双眼鏡で波を見ている。
“今日も海に入るのか?”
“ああ、少しだけ、後は明日に備える。
モーターボートの調子を確かめて、撮影隊とスケジュールの確認をしないと。”
ダンは興奮を抑えきれないようだ。
“もし、もしもだよ。ダン”
“なに?”
“ジョーズで命を落とすとしたらどうなの?”
ジルが恐る恐る聞く。自分の中だけに抑えられなくなっていた。
人の死を前もって知っているなんてやはり恐ろしいことだった。
“マイプレジャー。”
ダンがすぐに答えた。
“本望だ。海で死ぬなら僕は後悔しない。
僕はね、生まれてきた目的を知っている。
これさ、サーフィン。
これをするために神様にお願いして生まれてきたんだと思うよ。”
ダンはそう言ってハングルーズを胸の前に作るとサーフボードのメンテナンスを始めた。
“そうか、本望か。”