終わりの始まり
終わりの始まり
地の底で、赤い光が脈を打っていた。
それは星の核のようでもあり、生き物の心臓のようでもあった。
長い時を刻んできた鼓動が、ある瞬間、不規則になる。
次の拍動で、光は一気に白へと転じた。
――決断。
溶岩に囲まれた洞窟の間で、ひとりの女がその変化を感じ取った。
妖艶な肢体。溶岩の熱を映した長い髪。
女は櫛を動かす手を止め、ゆっくりと微笑む。
「……そう。ついに、なのね」
彼女は立ち上がり、洞窟の奥へ声を放った。
「妖精を集めなさい。
テトをここへ。――ヒイアカ」
返事はない。
だが溶岩の泡が弾け、世界が確かに応えた。
人類はまだ、それを知らない。
自分たちの終わりが、すでに始まっていることを。
出会い
「……ふう」
ジルは机に肘をつき、重く息を吐いた。
ニューヨークの雑居ビルの一室。
広くもないオフィスに、保険契約書と請求書が雪崩のように積まれている。
社長。プレジデント。
そう呼ばれる立場ではあるが、実態は営業も事務も雑用も全部自分だ。
ジルはタバコを取り出し、火をつけ――
寸前で手を止めた。
「そうだった。禁煙、するんだったな」
苦笑しながら灰皿に押し付けた、そのとき。
「……え?」
灰皿の影が、動いた。
反射的に身を引く。
次の瞬間、ジルは椅子ごとのけぞった。
そこにいたのは、虫――ではなかった。
親指ほどの大きさの青年。
整った顔立ちに、仕立てのいいスーツ。
背中には、半透明の羽が静かに揺れている。
青年は脚を組み、灰皿の縁に腰掛けたまま、ジルを見上げた。
「お、見えてる。ラッキー」
「…………」
声が出ない。
「へえ。ほんとに見えるんだな。すげーじゃん」
「……しゃ、しゃべった……」
青年は吹き出すように笑い、ふわりと宙に浮いた。
ジルの目の前で、ぴたりと止まる。
「なあ、あんたプレジデント?」
「え? ああ……一応……」
「よかった。探す手間省けた」
嫌な予感が、背中を這い上がる。
「……あなたは、誰だ」
「俺? 妖精。ほら、伝説に出てくるやつ」
「……冗談だろ」
「冗談だったら、今ごろ泡になってる」
青年は胸を張った。
「名前はテト。妖精界から来た使者だ」
「……使者?」
「そ。人間に伝えなきゃいけないことがあってさ」
ジルは唾を飲み込んだ。
「それで? 何を伝えに来た」
テトは、あまりにも軽い口調で言った。
「アースが、人間の増殖を止めた」
一拍。
「だから――人間は、絶滅する」
召命
意味が、すぐには追いつかなかった。
「……ちょっと待ってくれ。
プレジデントって、国の大統領のことだろ?」
「そうだけど?」
「僕はただの会社の社長だ。
ホワイトハウスに行く道、知ってるか?」
「この会社、ホワイトハウスなんたらって書いてあったぞ」
「それは会社名だ!」
一瞬の沈黙。
テトは首を傾げ、あっさり言った。
「まあ、いいや。人間の能力なんて大差ないし」
「よくない!」
ジルは机を叩いた。
「絶滅って、なんだよ。
アースって何だ。どうして僕なんだ」
テトは小さくため息をつき、デスクに腰を下ろした。
「……説明、長くなるぞ。
コーヒー入れて。甘め、ミルク多め」
言われるままにコーヒーを入れながら、ジルは思った。
夢だ。悪い夢に決まっている。
だが、テトは確かにそこにいた。
「いいか」
テトは語り始める。
「地球はな、生き物なんだ。
その心臓を、俺たちはアースって呼んでる」
ジルは黙って聞いた。
「アースは命のバランスを保ってる。
でも人間は、それを壊し続けた」
「……だから、絶滅?」
「そう」
あまりにも簡単に言う。
「子どもが生まれなくなる。
気づいたときには、終わってる」
ジルは、窓の外を見た。
行き交う人々。クラクション。昼の街。
「……僕は、どうすればいい」
その問いに、テトは一瞬だけ目を細めた。
「別に、何も」
「……」
「でもな」
テトは続けた。
「アースの怒りを鎮める方法は、ある」
ジルの心臓が、大きく鳴った。
「ピュアソウルの結晶を集める。
それを、アースの心臓に投げ込む」
「……それで?」
「世界が、もう一度呼吸できる」
ジルは気づいた。
自分が恐怖よりも、奇妙な高揚を覚えていることに。
「……やる」
思ったより、声ははっきりしていた。
「聞いちゃった以上、知らなかったふりはできない」
テトはじっとジルを見つめ、やがて笑った。
「へえ。
やっぱり、希望の味がするな」
こうして――
世界を救う旅は、英雄ではない一人の男から始まった。




