第2話、プロローグ2
「シュトラウス大隊長、第30師団の警戒ラインに到達しました」
私が物思いにふけりながら休んでいると、ハウト曹長の報告が入った。
私は3号指揮戦車のハッチを開け、身を乗り出した。
歩兵連隊が樹林帯に沿って、88高射砲や37mm対戦車砲、機関銃を使い、的確で強固な防衛線を作っている。
「連隊本部はどこにある」
防衛線内に入ると真っ先に目についた第46歩兵連隊の士官に私は尋ねた。
中尉の階級章をつけた士官は分厚いコートを着込んでいる割には、きっちりとした敬礼しながら答えた。
「はい、連隊本部はそちらの林の中に偽装しています」
中尉が指し示した方向には、確かにハーフトラックとテントで作られた連隊本部らしきものがあった。
「ありがとう中尉」
そう言って私は戦車を降り、第46歩兵連隊の指揮官ベイル大佐に会いに向かった。
ハーフトラックと樹木で強風を防いだテントの入り口に、モーゼルライフルを持った二人の歩哨が寒そうに立っている。
「第1戦車連隊臨時戦闘団のフォン・シュトラウス少佐だ。ベイル大佐に会いたい」
それを聞いた二人の衛兵の内、一人がお待ち下さいと言いながら、テントに入り確認を取った。
「少佐、どうぞお入り下さい連隊長がお待ちです」
天幕に入ると寒さが緩和する。 …まあ、少しだけだが
「シュトラウス少佐、入ります」
「おう、フォン・シュトラウス少佐、ご苦労だったな。そこに座りたまえ」
数人の部下を従えたベイル大佐が敬礼に答礼しながら、狭い内部で最も暖かい薪ストーブの脇に座るよう促した。
「ありがとうございます。偵察隊の方は全滅したのですか」
「ああ。戦車砲の砲声が聴こえた瞬間、足を止まめたのが奴らの運のつきさ」
貴重な薪を大佐自ら、次々と足してくれる。
「こちらは何時、第46歩兵連隊が先に発砲音を響くか心配でしたよ」
どうやらタイミングはギリギリだったようだ。
「そうか。互いに運が良かったようだな少佐。それで戦闘で損害はあったのかね」
「こちらは戦死者3名、負傷者が7名出ました」
それを聞いた彼は死者に黙祷をした。
「もちろん負傷兵はすぐに第30師団の衛生大隊が引き受けよう」
べイル大佐が部下の一人を、すかさず伝令として衛生大隊に送り出してくれる。
「有難うございます大佐」
「それで、シュトラウス戦闘団の戦果はどうだったのだ」
「我々の戦果は軽戦車6、装甲車3、歩兵300に加え、捕虜20です。大佐」
ストーブに手をかざして私は報告する。
「良くやった少佐。何時も通り捕虜は師団の憲兵隊が請け負おう」
第46連隊正面の敵戦車が減り、ベイル大佐は嬉しそうに褒め言葉を口にした。そして気軽に捕虜の収容を引き受けてくれる。
「ありがとうございます大佐」
ソ連兵捕虜は、中央軍集団のモスクワの敗退以来、あまり歓迎されないのだ。
「何、構わないさ。それから残念だがシュトラウス戦闘団は第30歩兵師団から第290歩兵師団への配置替えが決まった」
第290歩兵師団…第8派、フォン・ウレーデ中将の部隊か。
「了解です大佐」
我々は義務を果たすだけだ。
「詳細は後で説明するが、我々の西側にいる第290歩兵師団が防衛線を新たに再構築する間、支援をするようにとのことだ」
ベイル大佐はそう言いながら命令書を差し出した。
「分かりました大佐」
「それから我らがフォン・ティッペルスキルヒ師団長からは、フォン・シュトラウス少佐と戦闘団にくれぐれもよろしくとのことだ」
「ありがとうございます。そう言って頂ければ部下も喜ぶでしょう」
兵科が違うとはいえ、雲の上にいる将官の褒め言葉は嬉しいものだ。
「勿論、我々第46歩兵連隊も、シュトラウス戦闘団には全員が感謝をしているぞ」
私のこぼれた笑みを見ながら、べイル大佐がやや素っ気なく、つけ加える。
「こちらこそ第46歩兵連隊にはよくしていただきました。有難うございます」
「…まあ、この話は終わりにしよう。これから第290歩兵師団の状況と第16軍の戦況を説明しよう。バイクス大尉始めてくれ」
正直、これはたいへん有難い配慮だ。
師団から独立して運用される我々に取って、情報の入手は遅れやすく、頭を下げて頼み込んで得なければならない場合もある。
「了解です連隊長、少佐もご存知の通り、デミャンスクは東部全域に加え北部、北西部、南部、南西部がソ連軍の勢力圏に入りました」
「現在第10軍団は突破された地域を囲むように北からまず第81歩兵師団、第18自動車化歩兵師団、南東へ第290歩兵師団、その東に我々第30歩兵師団と順番に配置しています」
地図に記される出っ張った戦線も、徐々に弓なりの曲線の出っ張りが引っ込み、日に日にL字に近づきつつある。
「北部に展開するソ連軍は、西部のスタラヤ・ルーサの街の占領を目指す一方で、主攻を南西へ移しつつあります。
そこで第10軍団長ハンセン砲兵大将閣下は、デミャンスクとスタラヤ・ルーサの連絡線を死守する為に、第18自動車化歩兵師団と第290歩兵師団を配置しました。
さらに、それを強化する為、少佐の戦闘団を含む予備兵力の重点投入を決めたのです」
バイクス大尉はスタラヤ・ルーサの街から南東に伸びる補給線を指して説明を続けた。
「大尉、その連絡線は維持出来る見通しなのか」
我々に取って最重要なことはそれだ。
「正直難しいでしょう。まず我々は南部にも強力な敵を抱えています。
その敵に備える為に、第10軍団は予備兵力である第3SS師団トーテンコップフを、第2軍団に取られました。
このことから第16軍そのものに兵力が不足しているのは明らかでしょう」
大尉は新しい南部の地図を出して続けた。
「今のところ南部の敵は、西進を主軸としています。
ただ、それを防ぐ第38軍団とデミャンスクの第2軍団の戦線は伸びる一方で、トーテンコップフだけでは埋められない状況です。
そこで第16軍司令部は、弱体化して再編中のフォン・アルニム装甲兵大将率いる第39自動車軍団を、急遽投入することにしました」
……これで、第16軍に師団規模の予備兵力は無くなったことになる。
「そうか。撤退命令も出る様子はないようだな」
「残念ながら…、最高司令官ヒトラー総統からは、一歩も引かずに死守するよう命令がでています」
バイクス大尉はこれまで努めて冷静だったが、流石に不満そうだ。
この状況ではただでさえ補給が困難であり、包囲されては全滅する可能性が高く、撤退するのがセオリーなのだ。
「北方軍集団司令部には参謀総長ハルダー大将から連絡があり、万が一我々が包囲下に陥った場合に空軍が補給を確保することを約束したそうだ」
ベイル大佐はおもむろにテントの上を指し示して続けた。
「あとは、我々が神に祈れば良いだけさ」
大佐はそう言って肩をすくめたが、天を指したのか強風が吹き荒れる天候を指したのか私には分からなかった。
「そうですか。では私も補給線が保つように祈りましょう」
いずれにせよ、今しか祈る暇はないかもしれない。
「天候は我々ではどうにもなりませんが、第16軍も万が一の空中補給に備え、デミャンスク郊外で飛行場の設営を急ピッチで進めています」
大尉は上官二人のつまらない掛け合いを見て見ぬ振りをして話を纏めた。
「また第16軍司令官ブッシュ上級大将は、万が一に備えて、突出部に全周防衛の予備体制を取るように命じました。
最後に、ソ連軍の兵力ですが、捕虜を尋問しても皆目分からないのです。
ソ連軍の師団や軍団などの編制自体、開戦前と今では全く違います。
大半の部隊の所属先が、北西正面軍の第34軍と赤軍最高司令部予備の第1衝撃軍と第2衝撃軍と判明しましたが、その衝撃軍という名も初耳で、敵兵力は全く手探りの状況です」
そう言って大尉は締めくくった。
「戦車の数もやはり、まだ分からないのか」
「残念ながら、あくまでも推測ですが、最大で10輌近いT34と、各種軽戦車が60輌近く稼働していると考えています。
特に、最初の攻撃以来、姿を消したマチルダ、ヴァレンタイン、KV1についてはこの環境に耐えられずに、脱落したと判断しています」
バイクス大尉は、申し訳なさそうに言う。次のソ連軍の攻撃で、第1戦車連隊が身を持って知ると思っているのだろう
それを黙って見ていたべイル大佐が身じろぎした。
「これは我々の師団長の独り言だが」
そして、前置きを言いいながら重々しく切り出した。
「撤退命令が出ない以上、今のままでは連絡線どころか包囲される可能性も高い。
戦闘団はなるべく戦線の西側にいた方が良いかもしれない」
そう言ってベイル大佐は薪をストーブに突っ込んだ。
「分かっております。無理はしませんよ大佐。約束します」
これは私の本心だ。ベルリンの暖かいベッドでうたた寝をしているお方が、地図を見て死守しろと叫んだからと言って、何故我々が犬死にする必要がある。
「だと良いがな」ややばつが悪そうな表情を大佐は浮かべた。
「そろそろ部下の所に戻りませんといけません」
そう…部下達は寒い中、車両の整備をしている。私も向かわないといけない。
「そうか。後で食事に何人か招待したいがどうだシュトラウス少佐?」
「喜んで伺います。大佐」
頷いた私は、寒過ぎる外に駐車する指揮戦車に向かった。