第1話、プロローグ
この作品はパラレルワールドの世界を描いたフィクションであり、この世界の過去、現在、未来とは関係ありません。
尚、作品は主にWikipediaや資料を参考に、想像力で作られることと、架空のオリジナル人物が多々出現するご都合小説であると、ご理解下さい。
また、本作は随時改訂をしています。 ついでに基本方針はユーザー情報にあります。
それから、えーと、楽しんで頂ければと幸いです。
1941年、6月22日未明、ドイツ第3帝国を率いるアドルフ・ヒトラーは、バルバロッサ作戦を発動し、ソビエト連邦に対して奇襲攻撃を敢行した。
バルバロッサ作戦は北はレニングラード、中央部は首都モスクワ、南はウクライナの資源地帯を同時に攻略する壮大な侵攻計画であった。
当然、必要な兵力も膨大であった。
開戦当初だけで戦車3800輌、航空機2千機、兵員300万人以上に上り、これに加えて損害の補充や増援部隊も次々投入されていくのだ。
この大兵力を投入したバルバロッサ作戦の過程で、枢軸軍はそれに見合う、数多くの大戦果を挙げた。
その戦果に満足したヒトラーは、41年10月、将軍達の勧めに従いソビエト連邦首都モスクワの攻略を目指す、タイフーン作戦を発動したのである。
攻撃は第2、3、4装甲集団、第4、第9軍を擁する中央軍集団が担当した。
だが、タイフーン作戦は初期こそ進展したものの、秋の泥濘期によって勢いは鈍り、ソ連軍に体制を立て直す時間を与えてしまう。
その後やって来たのが、ドイツ軍も怖れたロシアの冬将軍である。
しかもこの冬将軍。例年にない大寒波を伴っていた。
気温はどんどん下がり、やがて氷点下40度を下回ることもある寒さの中、ドイツ軍は冬季戦の装備不足から凍死者を続出させ、多くの兵器も運用できずに疲弊していった。
この最悪な状況に前線の指揮官達は、撤退要請を繰り返したが、それをヒトラーは拒否し、ただ前進せよと命じただけである。
やがて、その無理な戦争指導により、モスクワの手前で戦線は崩壊寸前に陥ることになった。
この危機に対してドイツ軍の指揮官達は、ヒトラーの死守命令を無視することで乗り切ることを決断し、撤退を開始した。
ここにモスクワ攻略を目指したタイフーン作戦は失敗に終わり、同時にバルバロッサ作戦も潰えたのである。
しかし、それで戦争が終わるわけではない。
この後も氷点下を遥かに下回る厳しい環境の中で、ソ連軍とドイツ軍の死闘は続くのである。
いや、ドイツ軍の苦難は、撤退戦を始めてからが本番なのかもしれない。
攻勢限界点に達した枢軸軍に対して、ソヴィエト赤軍の大反攻が始まったのが12月5日のことだ。
寒さに慣れたソ連軍の激しい功撃を、後退するドイツ軍は更なる犠牲を強いられながらも、優れた指揮で耐え続けた。
ただヒトラーは敗北そして撤退を許せず、またバルバロッサ作戦の失敗の責任を軍に押しつける形で、多くの指揮官が解任されていった。
この中には装甲部隊の父である第2装甲集団司令官グーデリアン上級大将や、第4装甲集団司令官フォン・ヘプナー上級大将、中央軍集団司令官フォン・ボック元帥もいる。
一方でソ連軍は東部戦線全線域で激しい攻撃を続け、12月末までにドイツ軍を西に大きく押し、東部戦線全域での優位を確立した。
年が明けて、ソ連軍は新たな攻撃を北方軍集団第16軍第10軍団に開始した。
この攻撃はスタラヤ・ルッサから東へ伸び、デミャンスク北方を走る鉄道線の遮断を目指していた。
更にデミャンスク南方、ドイツ中央軍集団と北方軍集団の境界でもソ連軍の攻勢が始まる。
ソ連軍はデミャンスク南南西トロペツ方面、南東のルジェフ方面、そしてデミャンスクの第16軍第2軍団を南部から攻撃した。
北方軍集団司令官ヴィルヘルム・フォン・レープ元帥は、第16軍担当区域デミャンスクの保持に危機感を覚えた。
強力な南北からの挟撃で第16軍の一部が包囲されかねなかったからである。
だがベルリンからくる指令は、あくまでも死守命令だけであった。
ここでもまた、撤退を巡り、度重なるヒトラーとの対立があり、レープ元帥が戦場を去ることになる。
そして、1月17日、北方軍集団は新たな司令官となったゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将を迎えた。
キュヒラー上級大将は、突出部となった第16軍の兵站線を確保することに全力を注いだ。
そして、膨大な兵力を投入したソ連軍もまた、損害をもろともせず、この兵站線を遮断しようとしていたのだ。
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ソ連軍の攻勢を受ける第16軍麾下で、デミャンスク北部を担当する第10軍団に、我が臨時戦闘団は所属していた。
ヴァルダイ丘陵北嶺は、大小の湖がたくさん有り、森林と湿地帯に覆われている。
今、私の目の前には、深雪が積もる樹林地帯と、雪に埋もれた平野部を貫く、道路が目の前にある。
強風に僅かな雪が混じる中、先ほどソ連軍の小規模な偵察隊は、風下で待ち伏せをしている我々を見過ごし、西へと続く轍を目安にさらに前進していった。
このソ連軍の偵察隊を叩く役目は、戦友である第30歩兵師団の勇者達に任せることになっている。
我々の獲物はあくまでもソ連軍本隊の待ち伏せであり、主任務はあくまでも確認された敵本隊を叩くことにある。
だが、戦車乗りとしての欲を言えば、待ち伏せでソ連軍の主力戦車を少しでも仕留めておきたい。
最近、ソ連軍の重戦車は姿を見せず、軽戦車ばかりで、稀に中戦車のT34が戦線の突破を図る主攻撃に現れるくらいだ。
やがて、雪に偽装された我々の前にソ連軍の軽戦車6輌と団子状態で進む歩兵大隊が見えてきた。
敵は雪に慣れた様子で前進し、我々の目の前にやってきた。
すぐにも攻撃命令を出したい衝動を私は抑え、より効果的な打撃を与える地点に、ソ連軍が進出するのを深呼吸をして待った。
「撃て、撃て、撃て」
緊張で脈が速くなる中、私の声は白い息とともに吐き出された。
すぐに指揮下にある全戦車が、ソ連軍の車列に向かって、一斉に戦車砲を発射する。
周囲に展開している中隊規模の装甲歩兵も、機関銃の連射を始めた。
私が乗車する3号戦車H型も同様で、攻撃命令を聞いた砲手のグレイマン軍曹もすぐに反応している。
我が3号戦車は、80m先にいる敵のT26に対して、既に照準を付けており、命令を聞いた曹長がすぐに引き金を引く。
搭載する42口径50mmkwk対戦車砲から発射された徹甲弾は、T26軽戦車の側面に命中し、装甲を破って破壊する。
最初の攻撃で、ソ連軍の軽戦車は全滅し、それを確認した2号戦車が敵歩兵を掃討する為、20mm機関銃と7.92mm機関銃を連射しながら、ソ連軍部隊に近づいていく。
私が指揮する戦車隊は、僅か15分の戦闘でソ連軍戦車6輌と装輪装甲車3輌を破壊し、敵歩兵約300名を戦死させ捕虜20名を得た。
こちらの損害は歩兵3名の戦死と7名の負傷である。
「全車深追いはするな。戦車隊は敵を警戒せよ、歩兵中隊は戦利品の確認を急げよ。あまり時間はないぞ」
敵歩兵の撤退を確認した私は、即座に命令を出す。
我々は撃破したソ連戦車などから、食糧、武器、弾薬、あるいは衣類まで使える物を短時間で漁り。
そして、ソ連軍砲兵隊の野砲による制圧射撃を受ける前に戦場を後にしたのだ。
その後間もなくして、そこにソ連軍の砲撃が次々と爆音を立て着弾する。
この間違った場所への砲撃で、私は近くに観測隊や偵察隊がないことを確信し、思わず安堵の表情を浮かべた。
そして、すぐに乗車している3号戦車H型から、後方に待機させていた3号指揮戦車に移乗する。
「フォン・シュトラウス少佐、先ほどから第46歩兵連隊長のベイル大佐が何回も通信を求めています」
独ソ開戦以来、苦楽を共にした通信を担当するハウト曹長の報告に、私は思わずせっかちな大佐の顔を思い浮かべて苦笑した。
すぐに無線通信でベイル大佐に連絡しようとした所、当の相手から通信が入る。
低い声が無線から響く。第30歩兵師団第46歩兵連隊連隊長だ。
「こちらは、偵察隊は撃破した…」
「了解。こちらも任務は成功です」
無線で詳細を話す必要はなく、これで十分だろう。
私が大隊長を務める第1戦車連隊第3戦車大隊は、バルバロッサ作戦直前に錬成途上のまま、第1装甲師団に編入された。
この為、未熟な練度を命がけの実戦で鍛える形になってしまった。
それでも、我々は上官や戦友達の支援を受け、なんとか任務を果たした。
独ソ開戦時、所属する第1装甲師団は、第41装甲軍団の所属部隊として、北方軍集団のバルト侵攻を支えた。
その後、第41装甲軍団は北方軍集団から中央軍集団に移籍し、タイフーン作戦に参加することになった。
第1装甲師団もまたモスクワを目指すのだが……。
我々はモスクワ攻略に参加できなかった。
この頃には我が第3戦車大隊も、頼もしい熟練部隊に成長していたので、技量のせいではないと思いたい。
結局、第1戦車連隊第3戦車大隊は、1個中隊規模の軽装甲歩兵を基幹とする戦闘団として、北方軍集団の装甲予備として残った。
そして、私はその小さな戦闘団の最先任として、指揮を任されている。
やがて、41年12月になると、モスクワの手痛い敗北が伝わってきた。
我々はひたすら同僚達の無事を祈ったものだ。
原隊である第1装甲師団は、第3装甲軍の一員としてデミャンスク南方でまだ戦っている。
そして、当時の北方軍集団司令官フォン・レープ元帥は、レニングラード方面にいた我々を、フォン・ブッシュ上級大将率いる第16軍に送り込んだ。
この為、我々は、イリメニ湖の南方の広大なヴァルダイ丘陵で、第10軍団と共にソ連軍の大攻勢に直面することになったのである。




