「地に這いつくばれ」と命じた第二王子は、二度と王国へ戻りませんでした。
クラリーナ・ベルク伯爵令嬢は気の弱い令嬢だ。歳は17歳。
本当に気が弱くて弱くて、貴族なら誰しも行く王立学園でおとなしく目立たないように生きて来た。
クラリーナの婚約者はバルト第二王子殿下だ。
ベルク伯爵家に婿入りさせろと、王家の命令で、一年前にバルト第二王子と婚約を結んだ。
そもそも、この婚約にバルト第二王子は不満たらたらで、
公爵家に婿入りを願っていたが、高位公爵家には嫡男がいたり、婿入りする家が無かった為、仕方なくベルク伯爵家に声をかけたとの事。
だからバルト第二王子は婚約が決まった当初から、クラリーナに傲慢な態度を見せた。
「お前の家に婿入りしてやるのだ。この私が。感謝するがいい」
「有難うございます。感謝しております」
クラリーナは機嫌を損ねまいと必死に頭を下げた。
両親も同様で、
「バルト第二王子殿下がわが家に婿に来て下さる」
「なんて有難い。クラリーナ。しっかりと仕えるのよ」
だから言いなりだった。
突然、伯爵家に訪ねて来ては、
「私は王族だ。高級な食事でもてなすがいい。仕方なく婿入りしてやるのだ」
両親が慌てて、料理人にバルト第二王子をもてなす食事の用意を命じる。
食事が口に合わないと、
「私を馬鹿にする気か。この魚はまずいぞ。この肉は好みの味じゃない」
料理を次々に床に投げ捨てた。
クラリーナは皿が割れるたびに、怖くて怖くて
バルト第二王子はクラリーナの部屋をメイドに案内させて、ずかずかと中に入り、
「地味な部屋だな。なんだ?あの人形は。くだらない」
お祖母様から貰った大事な人形を床に投げ捨てられる。
人形の顔が割れてしまった。
「本当にお前は地味で冴えなくて、私の妻にふさわしくない」
泣きたくなった。
クローゼットを開けられて、
「もっと派手な装いをしろ。私の婚約者にふさわしくなれ」
お気に入りのドレスを床にばらまかれる。
両親に向かって、
「クラリーナに桃色のドレスを着せろ。あんな白のドレスじゃ気が滅入る」
と文句をくどくどと言う。
いつも突然に伯爵家に来て、何かしら、やらかしていくので、バルト第二王子と顔を合わせるのも怖くて怖くて。
とある日、いきなり来て、客間で会ったクラリーナに向かって、
「陰気な顔だな。私を見ろ。金髪碧眼、鮮やかな美男だ。それを茶の髪に緑の瞳、目立たないお前なんぞと婚約してやるんだ。地に這いつくばって感謝するがいい」
「地に這いつくばってですか?」
「床に両手をついて頭を床に擦り付けろ」
クラリーナは床に両手をついて、頭を床に擦り付けた。
そうしないと、バルト第二王子の機嫌を損ねるからだ。
「カエルのようで無様だな」
両親はそんな姿のクラリーナを助ける事もせずに、黙ってドアの所でその様子を見ているだけだ。
クラリーナの頭を足で踏みながら,
「よく覚えておけ。結婚したら、毎朝、そのポーズで私を出迎えろ。朝の挨拶だ」
「解りました。ですから足をっ……」
「もう少し、こうしているがいい。私がまだ満足していない」
そこへ、一人の男が現れてバルト第二王子を突き飛ばした。
「大丈夫か?クラリーナ」
兄のロイドだ。
彼はこのベルク伯爵家に養子に来た男だ。
歳は23歳。黒髪碧眼の美男子だ。騎士団に勤めていて将来、有望視されている程の出来がよい男だ。
父の親友の伯爵夫妻が亡くなってしまい、その時、ロイドは赤子だったために、父が引き取ったのだ。残された息子は3人いて。ロイドは末の息子だった。
父はクラリーナの婿にと考えていたようで。
しかし、その話はバルト第二王子が婿入りすることになって、ロイドを婿にという話は無くなった。
幼いころからこの兄が好きで好きで好きで。
兄の後をよくくっついていた記憶があるクラリーナ。
助けに来てくれたロイドの身を逆に心配した。
床に突き飛ばされたバルト第二王子が怒っている。
「私を突き飛ばすとは無礼な。お前は?」
「ロイド・ベルクと申します。この家の嫡男です」
「はぁ?伯爵夫妻、どういう教育をしている。こいつが私を無礼に突き飛ばしたのだぞ」
ベルク伯爵は慌てたように、
「ロイド、謝りなさい」
「そうよ。ロイド」
クラリーナは怖かった。怒っているバルト第二王子殿下。
お兄様の身が……私の事なんてどうなってもいいのに。
ロイドは平然と、
「私を不敬で罰するというのですか?私は最近、ゼイル王弟殿下のサロンに出入りしております。将来、有望な若者たちを集めて、色々と教えて下さる有難い場でしてね。王弟殿下から目をかけて頂いているのですよ。今回の件、王弟殿下に訴えましょうか。
我が妹の頭を踏みつけにしていたから、私が助けたと。あの方は怒るでしょうねぇ。非はどちらにあるでしょうか?」
バルト第二王子は青くなった。
叔父の事を苦手としていると、クラリーナも聞いた事がある。
だから、バルト第二王子は、
「今回は許してやる。だが次回、私に無礼を働いたら、首が飛ぶと思え」
そう言ってバルト第二王子は帰っていった。
ロイドはクラリーナの髪を優しく撫でながら、
「酷い事をされて、怖かっただろう?クラリーナ」
「お兄様。私っ」
「父上母上、クラリーナが頭を踏まれていて、何もしなかったのですか?」
父であるベルク伯爵は、
「相手は王族だから」
伯爵夫人も、
「不敬が怖くて怖くて」
ロイドはきっぱりと、
「いかに王家の命とはいえ、あの男が婿入りしてくるなんて、私は反対だったんだ。父上母上には育てて頂いた。本当の息子でない私が強く言える立場でないことは解っております。でも、クラリーナが踏まれていたんですよ。あの男に。婿に迎え入れたらもっと酷い事をされます。あの男の事は私に任せて貰えないでしょうか」
ベルク伯爵夫妻は、
「お前に任せるが……」
「私はクラリーナの幸せを一番に考えております」
そう言ってロイドはクラリーナを安心させるように、
「クラリーナ。私は王宮騎士団に所属しているから、なかなかこちらに戻れないが、あの男がお前に悪さをしないように、こちらで手を打とう。いいね?」
「お兄様。有難うございます」
「あの男が好きとかそういう事はないね?」
「怖くて怖くて。あの人が傍にいるだけで。あの人がいるだけで震えが止まらないのです」
「だったら任せてくれ」
数日後、バルト第二王子は隣国へ留学が決まった。
ロイドがゼイル王弟殿下に訴えて、ゼイル王弟殿下が国王陛下に話をしてくれた。
結果、彼を勉強と称して隣国へ行かせることになったらしい。
ただ、婚約は結ばれたままだ。
一時でも離れる事が出来て、それでもクラリーナは安堵した。
あの人に会わないで済む。あの人に頭を踏まれないで済む。
怖い思いをしないで済む。
それだけで、どんなに安堵したことか。
王立学園で友達がいなかったクラリーナ。
とある日、伯爵令嬢達が話しかけて来た。
「貴方も大変ねぇ。私達、レドルク王太子殿下の婚約者候補のままなのよ」
「あの方、公爵令嬢2人と、私達、伯爵令嬢4人を婚約者候補に決めたまま5年間も放置しているのよね」
「私はいい加減、好きな別の方と婚約したいわ。婚約者候補に選ばれてしまっているから、婚約出来ないのよ」
「迷惑よね」
4人の令嬢達は口々に話をして、そして、クラリーナの境遇にも同情してくれた。
「貴方も大変ね。あの粗暴な第二王子の婚約者なのですもの」
「王太子殿下より、性格悪いわよね」
「王族という事を鼻にかけて。隣国に留学してせいせいするわ」
「学園でも威張っていたから」
クラリーナは4人の令嬢達に、
「皆様も大変なのですね」
そして、4人の令嬢達と友達になった。
令嬢達と仲良くなって、一緒に勉強したり、放課後、馬車に乗って、スイーツを食べに行ったり、クラリーナはやっと王立学園に行くのが楽しいと感じるようになった。
そんな中、事件が起きた。
レドルク王太子殿下が、学園の空き教室で素っ裸で男爵令嬢と淫らな事をしていたというのだ。
そして友達の4人の伯爵令嬢達も襲われそうになったことがあると取り調べ官に証言した。
クラリーナは、令嬢達を心配した。
「そんな恐ろしい事があったなんて、私、知らなかったわ。大変だったわね」
4人の令嬢達はなんとも言えない顔をして、
その中の一人が、
「貴方だから教えてあげるけど、私達、嘘の証言をするように言われたの」
「これで王太子殿下もおしまいね」
「私達は婚約者候補から解放されるんだわ」
「やっと好きな人と婚約出来る」
誰の指示で?彼女達は嘘の証言をした事を悪びれてもいないのだ。
5年間もレドルク王太子殿下の婚約者候補だったのが余程、不満だったのね。
伯爵令嬢達はクラリーナの家の派閥のトップのジュテリーヌ・ドルク公爵令嬢を紹介してくれた。
クラリーナは緊張した。
身分違いで今まで話をしたことのない公爵令嬢ジュテリーヌ。
ジュテリーヌは王立学園の食堂のテラス席で、伯爵令嬢達に囲まれながら優雅に微笑んで、
「貴方がベルク伯爵家のお嬢さんね。わたくしがジュテリーヌ。もっと早くからお知り合いになりたかったわ。貴方ったら、挨拶にも見えないのですもの」
クラリーナは真っ青になった。
怖くて怖くて挨拶なんて考えもしなかった。
慌てて床に這いつくばって、
「申し訳ございませんっ」
ジュテリーヌが慌てたように、
「そこまでしなくてもいいのよ」
伯爵令嬢達が抱き起してくれた。
ジュテリーヌの目の前の椅子に座るように促され、
クラリーナは震えながら座ると、ジュテリーヌがにこやかに、
「さぁ、ここのケーキは美味しいのよ。召し上がって」
勧められたチョコレートケーキを一口食べる。
味が緊張のあまり解らなかった。
ジュテリーヌは優雅に扇を扇ぎながら、
「貴方の婚約も解消されるでしょうね」
「え?どうしてですか?」
「貴方は第二王子殿下を愛しているのかしら?調べによると、床に這いつくばるような虐めを受けているとか」
思いだして、身体が震えだした。
「第二王子殿下が戻ってくるそうよ。隣国から。彼が王位継承権一位になるでしょうね。レドルク王太子殿下は王位継承権を失う事になるでしょう」
「わ、私が王妃様に???婿入りだから、婚約解消???」
頭がごちゃごちゃした。
これで、あの男から自由になれる?
でも、あの傲慢な男が国王になったら、この王国はどうなるの?
恐る恐るジュテリーヌの顔を見たら、ジュテリーヌは口端を引き上げて、
「悪いようにはならないわ。貴方は静かに結果を受け入れて頂戴」
怖かった。
でも、自信満々にジュテリーヌに言われて、結果を受け入れる事にした。
バルト第二王子が、隣国から帰ってくる途中で馬車の事故で亡くなったと、両親から聞かされた。
悲しみよりも、やっと自由になれる。あの男の機嫌をとらなくていい。
その安堵の方が大きかった。
兄、ロイドがとある日、家に戻って来て、クラリーナに話があると言われた。
伯爵家の庭のテラスで二人は対面で座る。
クラリーナに向かってロイドは真面目な顔をして、
「あの男の死体は崖の下で見つかった。私も捜索に加わったから、しっかりとあの男の死を確認したよ」
「まぁ、そうですの。第二王子殿下には気の毒な事になりましたね。王位継承権1位になりましたのに。その後に事故にあうなんて」
「クラリーナ。改めて私から両親に話すが、私と結婚してくれないか?あの男が亡くなったのだ。元々、私がクラリーナと結婚してこの家を継ぐ予定だった。どうか、私と結婚することを承諾して欲しい」
嬉しかった。
結婚を申し込まれた。
ずっと大好きだった兄ロイドに。
「喜んで受けます。お兄様。私、ずっとお兄様の事が好きなの」
真っ赤になる。
お兄様と結婚出来るなんてなんて幸せな。
ロイドが抱き締めてくれて、
「ロイドって呼んでくれないか?クラリーナ。私は君の夫になるのだから」
「ロイド様。は、恥ずかしいわ」
心から幸せを感じるクラリーナであった。
ゼイル王弟殿下が王位継承権第1位になった。
皆が口々に、
「優柔不断なレドルク王太子に、傲慢なバルト第二王子、どちらも王位に相応しくなかった。ゼイル王弟殿下なら、良い国王になれるだろう。王妃になるジュテリーヌ嬢も優秀な女性だからな」
「本当にこの王国も安泰だな」
何におびえるでもなく、愛する人と暮らせる幸せな日々を手にいれたクラリーナ。
両親も、
「あんな、男を婿に受け入れなくてすんでよかった」
「ロイドなら安心だわ」
と祝福してくれて。
今はとても幸せだ。
この幸せを満喫しながら、今日も愛しのロイドと共に結婚式の準備をするクラリーナであった。
「王弟殿下。ご命令の通り、あの男を始末しようとしたのですが」
ロイドは、クラリーナにプロポーズをする数日前、ゼイル王弟殿下に報告をしていた。
愛するクラリーナをさんざん苦しめてきた男、バルト第二王子。
レドルク王太子が王位継承者としてふさわしくないと判断されたせいで、バルト第二王子が隣国から戻って来て王位継承権第1位に、王太子になる予定だった。
これでクラリーナとの婚約は解消されるだろう。
クラリーナはベルク伯爵家の一人娘だ。自分は養子でしかない。
だから、このまま上手くやれば、愛するクラリーナの夫になれる。
そうロイドは思っていた。
ただ、敬愛しているゼイル王弟殿下から頼まれたのだ。
「私は王位が欲しい。数人の手練れと共に、あの男を始末してくれ。馬車の事故に見せかけてだな」
黒髪碧眼で整った顔のゼイル王弟殿下。
彼は野心家だ。ただ、民の事を思い、国王陛下の善政に貢献していたので、国民からは人気があった。
ゼイル王弟殿下の隣にはあの、ジュテリーヌ・ドルク公爵令嬢がいて、
「わたくしは王妃になります。ゼイル様と結婚して。貴方の事は将来、騎士団長に推薦してあげるわ。いえ、伯爵家をあの令嬢と継ぐのでしたわね。ベルク伯爵家に目をかけてあげるから、役に立ちなさい」
だから、手練れを率いて、隣国から帰国するバルト第二王子の馬車を襲った。
手遅れだった‥‥‥
馬車の周囲には既に数人の男達がいた。
第二王子は簀巻きにされ、抵抗もできず地面へ転がされている。
「俺達はヴォルフレッド辺境騎士団。屑の美男をさらって教育する騎士団だ。お前達は迎えに来たのか?渡さねぇぞ」
金髪美男の男に凄まれた。
ロイドは男達に、
「王国としては、バルト第二王子殿下は亡き者としたい。さらうのはいいが、二度と、王国に戻さないと約束してくれるか?」
金髪美男は頷いて、
「約束しよう。俺達は美男の屑が手に入ればOKだからな」
バルト第二王子は叫んだ。
「私は王国で国王になる尊い身だ。助けろっーーーこいつらから助けてくれ」
ロイドは怒りが湧いた。
さんざん愛するクラリーナを苦しめて来たバルト。
首に剣を押し当てて、
「このまま首と胴を切り離してもいいんだが。お前がクラリーナにしてきた事は最低な事だ。何度、殺しても殺したりない位に。だが。変…辺境騎士団がお前を反省させてくれるという。だから私はお前を殺さない」
憎い男。ものすごく憎い。
床に頭を擦り付けたクラリーナ。その頭を踏みつけているバルトを思い出すだけで怒りで頭が真っ白になる。
思わず剣に力を入れてしまった。
ツツっと血がバルトの首筋から流れ出る。
バルトはひいいいいいっと悲鳴をあげて気を失った。
変…辺境騎士団へバルトを引き渡してその場を後にした。
ゼイル王弟殿下と、ジュテリーヌ・ドルク公爵令嬢にありのままを報告したら、
ゼイル王弟殿下は笑って、
「伝説ではなかったんだな。変…辺境騎士団。まぁいい。二度と、ここへ戻ってこなければ問題は無いわけだからな」
ジュテリーヌも頷いて、
「そうね。さぁ、ゼイル様。バルト第二王子殿下の葬儀は盛大にやりましょう。死体はこちらで適当に偽造すればいいわ。ロイド。ご苦労様」
恐ろしい、ゼイル王弟殿下とジュテリーヌ。
一生、忠誠を誓おうと気持ちを新たにするロイドであった。
初めてクラリーナに会った時には、まだ歩き始めたばかりの赤子だったクラリーナ。
その小さな手が自分の手を握り締めた時に、誓ったのだ。
一生、この子を守っていきたいと。
だから、これからもクラリーナを守るためなら、どんな汚い事にも手を染めよう。
そう思うロイドであった。




