第5話 引き受ける、ということ
(エリアナ視点・公爵邸 執務室)
執務室には、午後の光が静かに差し込んでいた。
高い窓から落ちる日差しが、机の上の紙を淡く照らしている。エリアナは椅子に腰掛け、広げられた報告書に目を落としていた。
「ここまで読んで、どう思う」
ルーカスは、書類の一角を指で押さえた。エリアナはすぐには答えなかった。一行戻り、もう一度、数字と文面を確かめる。
「……急ぎで修復する区間を決めること、だと思います。全部は無理でも、通れる道が一本あれば、物流の流れは戻ります」
ルーカスは小さく頷いた。
「筋は通っている。現実的だな。だが――誰が、その区間を決める?」
「現地です。王都で決めるより、状況を見ている人たちの方が早いと思います」
ルーカスは何も言わず、書類の端に、小さく印をつけた。
「それも一つの判断だ。だが、現地の判断に任せすぎると、全体の統制が崩れることもある。……そこは、バランスだ」
「……わかりました」
◇◇◇
ちょうどそのとき、扉が控えめに叩かれた。入ってきた執務補佐の男が、沈痛な面持ちで追加の報告を読み上げる。
道路修復の件。崩落箇所の周囲が想定より脆く、夜間作業の提案が出ていること。だが灯りの確保が難しく、怪我人が出る可能性が高いこと。
ルーカスが視線を上げた。
「どう思う」
エリアナは息を吸う。数字ではなく、人の痛みが言葉として置かれたことに、指先が微かに震える。
「……夜間作業を、王都から一律に命じるべきではないと思います。急げば流れは戻ります。でも、怪我人が出るのが分かっているなら、その決断を王都の机の上で下すべきではありません。現地の責任者が、命を預かる重さを感じながら判断するべきです」
ルーカスはペンを取り、返答を書き込んだ。
「現地に、灯りと交代要員を回せ。夜間作業は、現地判断とする。危険が増すなら止め、急ぐならその理由を明記させろ」
エリアナは、そっと息を吐いた。誰かが怪我をするかもしれないという現実は消えない。でも、それを「遠くの誰か」の数字として扱わない。その一点に、彼女は微かな救いを感じていた。
◇◇◇
報告の男が去ったあと、ルーカスは何気ない調子でカップを手に取った。
「随分、あちこち考えていたな。……悪いことではない。だがエリアナ、今、全部を抱え込む必要はない。順番に背負っていけばいいのだ」
エリアナは瞬きをした。「順番」という言葉は、父が引いた「線」と同じように、彼女を重圧から守るためのものに聞こえた。
「はい。……ありがとうございます、お父様」
扉が閉まり、エリアナの足音が遠ざかる。ルーカスは、手元の書類に目を落とした。判断は悪くない。危険を軽く見ず、できることとできないことの境界を探っている。
――娘は、確かに有能だ
有能であればあるほど、人は頼られ、担ぎ上げられる。ルーカスは、娘の危ういほどの真面目さを案じながら、あえて今はそれ以上言わなかった。
「……少しずつだな」
今はまだ、彼女は線のこちら側にいる。それで十分だと、自分に言い聞かせるように、ルーカスは次の書類に手を伸ばした。




