第3話 はじめての町
(エリアナ視点)
馬車が街道を離れると、揺れ方が変わった。石の感触が減り、車輪が土を踏む音になる。窓から入る風は、王都よりも少し湿っていて、草の匂いが混じっていた。
今回、エリアナは王都からの視察団の一員として、地方の町に向かっていた。
エリアナは身を乗り出し、外を覗く。
「空が広いですね」
思ったままを口にすると、向かいに座る従者が笑った。
「この辺りは、遮るものが少ないですから」
雲がゆっくり流れている。同じ空のはずなのに、ずっと遠くへ来た気がして、エリアナの心は弾んだ。
◇◇◇
町に入ると、音が増えた。荷を下ろす音、呼び声、木を打つ乾いた響き。王都ほど整ってはいないが、どれも忙しそうで、それぞれの役割を持っている。
視察団が足を止めると、何人かがこちらを見た。エリアナは軽く会釈を返す。向こうからも、同じように会釈が返ってきた。
「お嬢さん、今日は暑くなりそうだよ」
籠を抱えた女性が、通りすがりに声をかけてくる。
「そうですね。でも、風が気持ちいいです」
「それはよかった。長旅でしょう、ゆっくりしていって」
女性は気さくに笑い、歩いていく。エリアナはその背中を見送り、また列に戻った。人々の表情が明るいのは、物流が滞りなく動いている証拠であった。
◇◇◇
市場に近づくと、匂いが変わった。焼いた穀物の香ばしさ。甘く煮た果実の匂い。
「それ、何ですか?」
エリアナが指したのは、小さく切られた焼き菓子だった。
「試してみるかい」
差し出され、受け取った欠片は少し硬かったが、噛むと素朴な甘さが広がった。
「おいしいです」
「そうだろう。さっき焼きあがったばかりでね。売り始める前の味見役、助かったよ」
商人は満足そうに頷き、次の客に声をかける。
◇◇◇
数日の滞在は、思ったより早く過ぎた。視察の合間、町の人とすれ違い、声を交わす。
昼時になると、町の人も混じって長い机を囲むこともあった。エリアナは端に座り、出された皿を覗き込む。木の皿に、焼いた穀物と温かい煮込みが盛られていた。
「こうやって食べるんだよ」
隣に座った年配の男性が、身振りで示す。
「ありがとうございます」
真似をすると、少しこぼれた。
「初めてなら、そんなものだ。しっかり食べておきなさい。この町自慢の煮込みだからね。次のときは、別のものも出すよ」
「楽しみにしています」
エリアナは微笑み、煮込みを口に運んだ。腹の奥まで、ゆっくり温まる。
ふと視線を上げると、窓の外には立派な石積みの堤防が川沿いに続いていた。陽光を浴びて輝くそれは、この町の平穏を象徴しているように見えた。
◇◇◇
滞在の最後の日、帰る朝になって、町の入口に人が集まっていた。
「もう行くのかい。また今度、来るのを待ってるよ」
子供たちが明日の遊ぶ約束をするかのような、気軽な言葉だった。
「ええ、また今度!」
エリアナが馬車に乗り込むと、多くの手が振られた。馬車が動き出し、町が遠ざかる。
彼女の中に生まれた「この町を守りたい」という小さな、けれど確かな責任感。
窓から手を振り返しながら、エリアナはいつかまたこの煮込みを食べに来ようと、心の中で静かに誓った。




