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処刑された悪役令嬢、二周目は「ぼっち」を卒業して最強チームを作ります!  作者: みかぼう。
後日談/最終章

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第4話 父と娘、独りの終わり

 王太子妃としての婚礼を翌日に控えた夜、公爵邸は深い静寂に包まれていた。明日の喧騒を予感させる静寂の中で、エリアナは一人、父・ルーカスの執務室へと続く廊下を歩いていた。


 かつての彼女にとって、この廊下は誇りと義務の象徴であった。父から為政者としての教えを請い、己を律するために背筋を伸ばして歩く場所。かつてこの先の部屋で、父から「線を引きなさい」と言い渡された日の冷たい空気は、今も記憶の片隅に残っている。


 今夜も、エリアナは背筋を伸ばして歩いている。けれど、その足取りは以前よりもずっと確かで、自らの足で運命を選び取ってきたという静かな自信に満ちていた。扉の前に立った彼女の胸にあるのは、これまで共に死線を越え、国を救ってきた父への、言葉に尽くせぬ敬愛だった。


「お父様、エリアナです」


 控えめなノック。少しの間をおいて、中から「入りなさい」と、低く穏やかな声が返った。


 室内には、微かにサンダルウッドの香りと、古い紙の匂いが漂っていた。ルーカスは机に向かっていたが、その手にはペンではなく、一冊の小さな、革表紙のアルバムが握られていた。ランプの琥珀色の灯火が、彼の年輪を刻んだ横顔を優しく、どこか寂しげに照らしている。


「座りなさい、エリアナ。今夜ばかりは、仕事の書類を広げる気にならなくてね」


 ルーカスが促した椅子は、かつて彼女が「線のこちら側(安全な子供の側)」に留まるよう諭された位置にあった。しかし、彼が娘に向ける眼差しは、一人の自立した共闘者を慈しむ、柔らかな温度を湛えていた。


「……それは、私ですか?」


 差し出された頁には、お出かけの装いをした幼い少女のスケッチが描かれていた。帽子を握りしめ、今にも駆け出しそうな、期待に瞳を輝かせた少女。


「ああ。お前が九歳の頃のものだ。 ……そういえば、一緒に教会に行ったのもこの頃だったな。迷い込んだ野良犬を、お前は子供たちを鮮やかに指揮して追い払ってみせた。あの時から、お前は誰よりも責任感が強く、人を動かす天性の資質を持っていた」


 ルーカスは愛おしそうにスケッチを指でなぞり、ふっと視線を遠くへ投げた。


「今だから言えるが、私はあの時、少しばかり不安だったのだ。お前はあまりにできすぎた。放っておけば、その資質ゆえに巨大な奔流に巻き込まれ、すべてを一人で背負い込み、最後には孤独な場所へ行き着いてしまうのではないかと。親の欲目かもしれないが、そう思わずにはいられなかった」


 エリアナは息を呑んだ。ルーカスの声は、静かに夜の空気に溶けていく。


「だから私は、あえて『線を引け』と言ったのだ。お前を『子供』という線のこちら側に留めることで、一人で背負うことを禁じ、共に笑い合える仲間を作ることを覚えてほしいと願った。 ……不器用な守り方だったかもしれないがね」


――それは、エリアナがこれまで信じていた『冷徹な断絶の線』とは、全く異なる意味を持つものだった。


 父が引いた線は、彼女を突き放すための壁ではなく、彼女を孤独から守るための、温かい『結界』だったのだ。時間を遡って以来、エリアナは「線の中に留まっていたから独りになったのだ」と思い込み、その線を乗り越えることこそが正しい道だと信じてきた。けれど、その線は、最初から乗り越える必要などない、深い愛情そのものだったのだ。


 執務室の暖炉で、パチッと薪が爆ぜる音がした。


 その温かな音と、父の真実の想いに触れた瞬間、エリアナの瞳から、堪えていた涙が音もなく零れ落ちた。


 窓の外からは、明日の門出を祝福するような、穏やかな夜風の囁きが聞こえる。生きている父、笑っている仲間たち、そして明日を待つ自分。あまりにも完璧で、満ち足りた「今」。


 けれど、その幸せが完成されればされるほど、エリアナの心には、鋭い棘のような違和感が深く突き刺さっていた。


(……私は、誰にも言えない秘密を抱えている。断頭台で果てたあの未来の記憶を。お父様も、ミレーヌも、守りたかった人たちも皆、死んでいったあの悪夢を)


 それは、エリアナがこれまで無意識に引き続けてきた『孤独な線』だった。口に出せば、この眩しい幸福が泡のように弾けて消えてしまうのではないか。そう恐れるあまり、彼女は一度もその線を越えられずにいた。


 けれど、それは超える必要がなかったのかもしれない。今の父の温かな言葉に、彼女はその秘め事を、『線』と一緒に そっと差し出した。


「……お父様、私は……本当は、恐ろしくてたまらないのです」


「……何がだ」


 ルーカスはアルバムを置き、椅子を引いて娘と真っ向から向き合った。エリアナは、途切れ途切れに、けれど一言ずつ言葉を紡ぎ出した。


「私は、一度すべてを失ったのです。ここではない別の世界で、私は独りで断頭台に昇り、処刑されました。そこでは…… お父様も、ミレーヌも、私が守りたかった人たちは皆、命を落としてしまいました。その世界を私一人だけが覚えていて、この幸せな世界も、いつか誰かの指先が触れるだけで壊れてしまうのではないかと……」


 あまりにも荒唐無稽な告白。正気を疑われてもおかしくない、非現実的な告白。


 しかし、ルーカスは眉一つ動かさず、ただ娘の凍えるように冷たくなった手をその大きな掌で包み込み、最後まで聞き続けた。


 やがて、エリアナがすべてを語り終え、部屋に沈黙が戻った。


 ルーカスはゆっくりと立ち上がると、震える娘の肩を、折れてしまいそうなほど強く、けれど壊れ物を扱うように優しく抱き寄せた。


「……そうか」


 短く、重みのある一言だった。


 彼は時間の逆行という奇跡に驚くことも、理屈で否定することもしなかった。ただ、娘が語ったその絶望を、事実としてそのまま受け止めた。


「それは……独りでは怖かっただろう」


 その一言が落ちた瞬間、エリアナの記憶が激しく共鳴した。


 それはかつて、冷たい石壁に囲まれた地下牢で。

 死を翌日に控えた、あの絶望の淵で、父が彼女に遺してくれたのと全く同じ言葉。


 あの時、地下牢の格子越しに届いた慈しみが、今、温かな灯火の下で再び彼女を救い上げた。


(ああ、繋がっている……)


 父が口にした言葉によって、エリアナが自分と世界の間に引き続けていた最後の『線』が、春の雪のように静かに溶けて消えていった。


 ルーカスは、泣きじゃくる娘を黙って抱きしめ続けた。その腕の力強さと、確かな体温。


 夜が明ければ、婚礼の鐘が鳴り響く。


 孤独だった少女は、父の腕の中でようやく、自分がこの幸せな世界を「生きていい」のだという、揺るぎない確信を手に入れていた。もう、彼女を独りにする線は、どこにも存在しなかった。

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