第3話 影と光、織りなす網目
公爵邸の図書室の片隅。そこは最近、ヴァルドレイン公爵家の「新しい中枢」になりつつあった。テーブルに広げられているのは、地方の特産品リスト……ではなく、王都の各界隈から集められた「生きた」情報の断片だ。
「……以上が、茶会や市場の井戸端会議から吸い上げた、今週の不穏分子の動きですわ。ダニエル殿」
ミレーヌが丁寧に淹れた茶を差し出しながら、手帳を閉じる。
向かいに座るダニエルは、その情報を一つ一つ吟味し、驚いたように短く息を吐いた。
「驚いたな。我ら隠密部隊が屋根裏を這いずり回っても掴めなかった『商人の裏切りの兆候』を、侍女たちは談笑の合間に掴んでいたというのか」
「女性同士の世間話ほど、警戒を解くものはありませんから。それに、私たちは『影』ではなく、日常の『光』の中に溶け込んでいますもの」
ミレーヌは、いつもの柔らかな侍女の笑みを浮かべる。
ダニエルはその隣に並べられた情報の精度の高さに、改めて感服した。
◇◇◇
今回の騒乱を機に、公爵家ではルーカス公爵の英断により、侍女部隊と隠密部隊の融合が本格的に進められていた。
武力と潜入に長けたダニエルの部隊と、人心掌握と情報のハブとなるミレーヌの部隊。この二つが手を取り合ったことで、ヴァルドレイン家の情報網は、今や王宮の諜報機関すら凌駕しつつある。
「……助かる。貴殿の報告のおかげで、無駄な荒事を起こさずに済んでいる」
ダニエルが不器用な手つきで茶を啜る。彼は戦場や影の仕事には慣れているが、こうした穏やかな午後のティータイムには、どうにも勝手が悪いらしい。
「ふふ、お役に立てて光栄ですわ。でも、ダニエル殿たちが裏で不審な動きを抑えてくださっているからこそ、私たちは安心して笑っていられるのです。感謝しておりますのよ?」
「……。いや、私は、ただの務めを」
ミレーヌに真っ直ぐに見つめられ、ダニエルは不自然に視線を逸らした。耳の付け根がわずかに赤くなっているのを、ミレーヌは見逃さない。
「あ、ダニエル殿。襟元が少し汚れていますわ」
ミレーヌが自然な動作で身を乗り出し、彼の服の乱れを直す。
ダニエルは石像のように固まった。敵の刃には一歩も引かない男が、侍女の指先が触れただけで、息を止めている。
「……あ、ああ。済まない」
「いえ。いつも外で無理をなさっている証拠ですわ。今夜、その上着をお預かりしても? 綻びも直しておきますから」
「そんなことまで、貴殿にさせるわけには……」
「これも『連携』の一部ですわ。身だしなみが整っていない隠密など、すぐに怪しまれてしまいますもの」
茶目っ気たっぷりにウインクする彼女に、ダニエルはもはや反論する術を持たなかった。
彼は無骨な手で、自分の後頭部を掻きながら、消え入りそうな声で「頼む」とだけ答えた。
◇◇◇
窓の外では、エリアナとアレクシスが仲睦まじく庭園を歩いているのが見える
それを見守る二人の横顔には、立場は違えど、共通の強い意志が宿っていた。
「エリアナ様がああして笑っていられる世界を、私は守り続けたいのです。……ダニエル殿も、同じでしょう?」
「……ああ。そのためなら、私は喜んで貴殿の『手足』になろう」
ダニエルは、自分に向けられた温かな茶を飲み干し、静かに立ち上がった。
かつては「主人の道具」でしかなかった自分たちが、今は一人の「人間」として認められ、手を取り合って未来を紡いでいる。
二人の影が、西日に照らされて重なる。
仕事のパートナーとしての信頼。そして、その奥で静かに育まれ始めた、名前のつかない温かな感情。
最強のチームとなった二人の背中は、以前よりもずっと、頼もしく、そして幸せそうに見えた。




