第12話 賭けるに値する未来
(エリアナ視点・王宮の円卓会議室)
王宮の円卓会議室。重厚な扉を押し開けて入ったエリアナとアレクシスを待っていたのは、静まり返った室内と、最奥に座る宰相オルフェンの冷徹な眼光だった。
傍らには父・ルーカスが立ち、二人の到着を待っていたかのように、わずかに頷いて見せた。
「……王都の門の前に数千の民を足止めし、わずかな護衛のみで戻られたか。王太子殿下、そしてエリアナ様。それが貴方たちの選んだ『答え』ですか」
オルフェンの声は、低く、重い。彼は立ち上がることなく、手元の書類に目を落とした。
「だが、一度火がついた民意というものは、そう容易く制御できるものではない。たとえそれが、意図して放たれた火種であったとしてもな。地方の不満は、毒を回せば回すほど鋭い刃となる。 ……公爵閣下、今すぐ討伐軍の展開を命じるべきだ」
自らの策動を隠そうともしない不敵な物言いに、室内が凍りつく。エリアナは一歩前へ出た。
「宰相閣下、それは違います。討伐軍など必要ありません」
正装の衣擦れの音が響く。彼女は、ダニエルが回収した工作の証拠を、あえて机の上に置かなかった。そんな「取引」ではなく、彼女自身がこの目で見てきた「事実」で、彼の悪意を上書きするために。
「彼らは暴徒ではありません。……私たちと共に、ここまで歩んできた請願団です。王都を前にして、彼らは自らの意思でその場に留まり、私たちを送り出してくれました。彼らが求めているのは、破壊ではなく、ただ、自らの暮らしが続くという『確信』です」
「言葉だけでは国は動かん。信頼という不確かなものに、王国の未来を預けるわけにはいかんのだ。恐怖による統治こそが、最も確実に国を安定させられる。それは、これまでの歴史が語っていることだろう?」
オルフェンの言葉は、彼が長年この国を「影」から守ってきたという自負に満ちていた。
「不確か、ではありません。 ……現に、彼らは私の言葉に命を預けました。私が失敗すれば、彼らは『反乱軍』として鎮圧される。そのことを理解したうえで、今は王都の門の外で、静かに『答え』を待っています。 ……宰相閣下、これが私の、そして私を信じた数千の民が示した『実績』です」
エリアナの瞳は、一点の曇りもなくオルフェンを見据えていた。ループ前の世界で、彼に「利用しやすい神輿」として切り捨てられた記憶。けれど今の彼女は、その若さゆえの情熱を、誰にも真似できない「統率」という形に変えてみせた。
「今の王国に必要なのは、貴方が仕組んだような『偽りの反乱』による管理ではありません。共に歩むという約束です。 ……私が彼らの『象徴』となったのは、王権を揺るがすためではありません。王権が民を救う力であることを、もう一度信じてもらうためです」
アレクシスもまた、エリアナの隣に立ち、オルフェンに真っ直ぐな視線を向けた。
「宰相、君が王国の安定を誰よりも深く考えていることは知っている。だが、時代は変わる。……私は、エリアナが切り拓いたこの『信頼の道』に賭けたい。王太子として、いや、この国の次なる責任者として、私が全責任を負う」
室内に、長い、長い沈黙が落ちた。ルーカス公爵が、沈黙を破るように一歩前に出る。
「オルフェン卿。 ……娘は、貴方の想像以上に頑固で、そして真摯だ。貴方が築き上げてきた安定を、壊すのではなく、より大きく強固なものに塗り替えようとしている。 ……それを、見届けてはもらえないか」
オルフェンは、組んでいた指をゆっくりと解いた。彼は窓の外に視線を向けた。そこには、エリアナとアレクシスが共に歩んできた、夕日に照らされた王都の街並みが広がっている。
「……数千の群衆を、言葉だけで停止させたか。私が描いた台本よりも、遥かに荒唐無稽で、そして美しい解決だ」
オルフェンの口元に、初めて微かな、どこか寂しげで温かい笑みが浮かんだ。
「……いつの間にか、自分も老いていたのかもしれないな。若者たちの描く新しい時代が、これほどまでに眩しいとは。私の用意した『火種』が、まさかこれほど温かな灯火に変わるとは思わなんだよ」
彼はペンを執り、目の前に置かれた請願書の余白に、承認の印を刻んだ。
「エリアナ様、アレクシス殿下。 ……この国を貴方たちに託す不安は、消えたわけではない。だが…… あなた達が作る新しい王国を、私も見たくなってしまったようだ。 ……賭けよう、貴方たちの語る未来に」
宰相オルフェンが、初めて深く、丁寧に頭を下げた。それは、古い統治の終わりと、信頼という名の新しい時代の幕開けを祝福する、静かな宣言だった。
◇◇◇
会議室を出たエリアナの肩から、ふっと力が抜けた。隣にいたアレクシスが、彼女の震える手をそっと握りしめる。
「お疲れ様。……やりきったね、エリアナ」
「……独りでは、無理でしたわ。殿下やお父様、そして……」
エリアナは、窓の向こうで待つ数千の民のことを思った。
ループ前の断頭台。あの冷たい刃の感触は、もうどこにもない。代わりに彼女を包んでいるのは、共に歩んできた仲間たちの温もりと、これから始まる果てしない物語への、晴れやかな予感だった。




