第7話 老獪なる一手
(宰相オルフェン視点・王都 宰相執務室)
深夜の執務室は、蜜蝋の燃える音だけが静かに響いていた。
宰相オルフェンは、届けられたばかりの報告書を暖炉の火に投げ入れた。紙が丸まり、灰へと変わっていく。
「……街道の倒木は阻止され、堤防の工作員も拘束されたか」
感情の読めない声だった。失敗を責める怒りも、焦りもない。ただ、予想外の変数を吟味する、冷徹な理数者の響きだ。
「公爵家の小娘が、これほど正確にこちらの急所を突いてくるとはな。……偶然にしては出来過ぎている。まるで、最初から台本を読んでいるかのようだ」
オルフェンは椅子に深く腰掛け、指先を組んだ。彼が狙っていたのは、自然災害を装った「事故」の連続による地方の疲弊と、それに対する王権の「救済」という名の管理強化だった。
だが、事故が起きなければ、その口実が得られない。
「だが、構わん。舞台装置が壊れたなら、演者に直接火を付ければいいだけのこと」
彼は影に控える配下に、短く命じた。
「潜伏させている煽動員に伝えろ。『もはや、王都に訴えるような段階は過ぎた。今こそ立つ時だ』と。……エリアナ公爵令嬢が現場にいるなら、好都合だ。彼女こそが、民衆を焼き尽くすための最良の火種となる」
オルフェンは冷ややかに微笑んだ。彼にとって、過激派の若者たちの「地方を救いたい」という純粋な熱意など、王国の安定という大義の前では使い捨ての駒に過ぎない。
「エリアナよ。お前が線を越えて救おうとしたものが、お前自身を飲み込む濁流となる。……楽しみだ」
◇◇◇
(エリアナ視点・地方の町)
堤防の危機を脱してから、二日が過ぎた。雨は上がり、ループ前と同じ青空が、今は輝いて見えた。
――勝った。
エリアナはそう確信していた。道は通じ、町は守られた。あとはこの事実を持って王都に戻り、アレクシス殿下と共に宰相を問い詰めればいい。
そう思っていた矢先だった。
「お嬢様、様子が変です」
ダニエルが、険しい表情で駆け込んできた。
「町の広場に、近隣の村からも人が集まってきています。……それも、避難民としてではありません。皆、農具や猟銃を手にし、異様な殺気を帯びている」
エリアナの心臓がどくん、と脈打った。
「……どういうこと? 物流は戻ったはずよ。なぜ、今になって……」
「分かりません。ですが、『王都の兵が、我々の食糧を奪いに来る』という噂が、一気に広がっているようです」
耳を澄ませば、遠くからシュプレヒコールのような怒号が聞こえてくる。
ループ前、人々が王都に向かったのは、堤防が壊れ、橋が落ち、行き場を失った末の「絶望」からだった。
けれど今は、すべてが平穏に向かおうとしていたはずなのに、それ以上の速度で「怒り」の形を成そうとしている。
「エリアナ様! 大変です、広場の方が……!」
ミレーヌの悲鳴に近い声が響く。窓から外を見下ろしたエリアナは、言葉を失った。
整然とした行軍。高く掲げられた、地方の窮状を訴える旗。
ループ前、あれほど時間をかけて膨れ上がった「反乱軍」の雛形が、今、目の前で完成しようとしていた。
――未来が、変わった。
けれどそれは、彼女が望んだ方向ではなかった。




