第6話 決壊の予兆を断つ
(エリアナ視点・堤防前)
夜の帳が下りるのと同時に、雨が降り始めた。
屋根を打つ音は、あの日、エリアナが絶望の中で聞いた音と同じだった。けれど、今の彼女の手には、泥に濡れる覚悟を共にする仲間がいる。
「……ここですね」
川の轟音が響く堤防の突端。ダニエルが、足元の岩場を指差した。
ループ前、ここで堤防が裂けた。当時は「未曾有の豪雨による天災」と片付けられたが、エリアナは今、その岩場の影に潜む「不自然な亀裂」を見逃さなかった。
「ダニエル、あれを」
「……巧妙ですな。堤防の継ぎ目に、深く楔が打ち込まれている。これでは増水の圧力が一点に集中し、石積みが内側から弾け飛ぶ。熟練の石工でなければ思いつかない、確信犯的な工作だ」
影の中から、三人の男たちが姿を現した。
一人は重い槌を構え、残る二人は周囲を警戒している。彼らの服には王都の土木局の紋章があったが、その目つきは公務員のそれではない。
「何者だ、こんな雨の夜に!」
一人が叫ぶと同時に、ダニエルが弾かれたように動いた。抜き放たれた短剣が雨を切り裂き、槌を持つ男の腕を正確に射抜く。
「エリアナ様、下がって! ここからは、泥犬の仕事です!」
ダニエルの動きは、エリアナが知る「兵士」の域を遥かに越えていた。多勢に無勢のはずだが、彼は影をまとうように男たちの懐へ潜り込み、急所を的確に突いて次々と無力化していく。
「貴様ら……なぜ、この場所を……!」
地面に組み伏せられた男が、泥を噛みながら呻いた。
エリアナは一歩、前へ出た。冷たい雨が外套を叩く。けれど、彼女の心にあるのは、あの日、無念のうちに濁流に呑まれた人々の記憶だった。
「貴方たちが壊そうとしたのは、ただの石積みではありません。この町に住む、数千人の生活と命よ」
エリアナは、堤防に打ち込まれていた鉄製の楔を拾い上げた。王宮の刻印が潰された、非公式な工作道具。
「これを、宰相オルフェン卿にお返しなさい。……いえ、この証拠が語る真実は、王太子殿下の手によって『公式な記録』として王宮に届けられることになるでしょう」
「……っ、そんなことをしても無駄だ! 地方の不満は、もう石を一つ二つ拾ったところで止まりはせんぞ!」
「ええ、不満はありますわ。けれど、それは貴方たちが火を付けるための薪ではない。私たちが、正しく解決していくための『声』です」
ダニエルが男たちを拘束し、堤防に仕掛けられていた他の楔も手際よく引き抜いていく。川の水位は依然として高い。けれど、もうこの堤防が内側から裂けることはない。
「……間に合った。本当に、間に合った……」
エリアナは、ループ前には決して届かなかった「事故の起きない明日」が、今、自分たちの手の中にあることを確信していた。
しかし、彼女はまだ気づいていなかった。「事故」を防いだことが、老獪な宰相の盤面を、より過激な次の一手へと進めさせてしまうことに。




