第15話 断頭台の令嬢
(エリアナ視点・地下牢)
地下牢の石の壁は冷たく、あらゆる音を吸い込んでいた。重い鉄格子の向こうから足音が近づくまで、エリアナは暗闇の中で目を閉じていた。
「……エリアナ」
その声だけで、凍りついていた胸の奥がわずかに緩んだ。聞き慣れた、厳格で、けれど確かに自分を育んできた声。
「お父様」
顔を上げると、そこに父ルーカスが立っていた。松明の炎に照らされたその顔は、ひどく老け込んだように見えた。
◇◇◇
「お前が地方を大切にしていたことは、知っている」
ルーカスは、格子越しに静かに切り出した。慰める調子ではない。事実を確認するような、静かな声だった。
「現地の状況が厳しかったことも分かっている。 ……だが、エリアナ。お前は、自らの意思で人を集め、武装させ、王都へ向けて進軍した。 ……それは、この国では『反乱』と見なされる行為だ。」
エリアナは、思わず息を詰めた。
「……反乱?」
その言葉が、現実と結びつかない。
「お父様、違います。私は、暴走を抑えていたのです」
「抑えていた、だと?」
ルーカスの眉が、わずかに動く。想定していなかった答えだった。
◇◇◇
エリアナは、震える手で膝の上の服を握りしめた。 ここから先は、ずっと言葉にしないでいたことだ。
「……お父様。私、本当は、怖かったのです」
その言葉は、弁解でも抗議でもなかった。
「誰かが前に立たないと、彼らは無秩序に突き進み、すべてが壊れると思いました。でも、前に立てば立つほど、人が増えていって、引き返せなくなりました。」
「止めようとしても、私の声が届くのはほんの僅かな人たちだけで、その外側では勝手に怒りが膨らんでいく」
エリアナの声が、ついに震え、涙が頬を伝った。
「……私は、反乱を起こしたかったわけじゃありません。誰かを傷つけたかったわけでもない。ただ…… 独りで、崩れないように立っていただけです。」
「そうすれば、いつか……」
エリアナは、格子越しに父を見た。
「王都へ着けば、お父様が迎えに来て、言葉で止めてくれると、信じていました。」
それは、責める言葉ではなかった。
縋る言葉でもなかった。
事実を、そっと置いただけの言葉だった。
ルーカスは、すぐには答えなかった。
地下牢に、長い沈黙が落ちる。
「……そうか」
短く、それだけを言った。
「それは......独りでは怖かっただろう」
そこには、正しさも、理屈も必要なかった。
ただ、娘の言葉を事実として受け取った。
その一言が、エリアナの心にストンと降りた。
◇◇◇
「時間です」
背後で、衛兵の声が短く告げた。ルーカスは再び冷徹な公爵の仮面を被った。だが、その瞳だけは濡れていた。
衛兵が、ルーカスを入り口とは反対側…… 断頭台に向かう出口に、連れて行こうとする。
「お父様?」
「……家長として、私が責任を取る。お前の名が、これ以上汚されぬよう、手は尽くした。」
「お父様!!」
「愛しているよ、エリアナ」
それだけを残して、ルーカスは振り返らずに立ち去った。
◇◇◇
父の足音が完全に消えたあと、再び重い静寂が戻った。
……はずだった。
コツ、コツ、と、父のそれとは違う、無機質な足音が近づいてくる。鉄格子の前に現れたのは、宰相オルフェンだった。
「……ごきげんよう、エリアナ様」
敬意の欠片もない、挨拶だった。
エリアナは、ゆっくりと顔を上げた。
「……何の御用ですか、宰相殿」
オルフェンは、にこりとも笑わない目で告げた。
「貴女にとっては不愉快だとは思うが、どうしてもお礼が言いたかった」
「お礼?」
「最近、地方が元気なものでね。このままでは、いずれ、力をつけすぎる恐れがあった」
「貴女が『象徴』として立ち、『楔』として民衆を掌握し続けてくれたおかげで、『反乱軍』が十分に成長した。おかげで、今回の鎮圧により地方は程よく弱体化し、向こう二十年の王権は安泰だ」
エリアナは息を呑んだ。この男は今、何を......
「地方の過激派を扇動し、物流を分断し、堤防を破壊する...... 我々も色々と手を尽くしたが...... 結局のところ、貴女が象徴として優秀だった、ということに尽きる」
オルフェンの一方的な語りに、エリアナの思考が白く染まっていく。
「......貴女のところの侍女には、申し訳ないことをした」
その一言で、全てを察した。ミレーヌ。あの日、王都へ向かわせた彼女が戻らなかった理由。
この男が・・・宰相が、全てを仕組んでいたのだ。
「あなたが!!」
「王国の安寧に貢献してくれて感謝する。それでは」
怒りでどうにかなりそうなエリアナを残して、オルフェンは静かに去っていった。
◇◇◇
怒り、悲しみ、泣き叫び・・・最後には空っぽになったエリアナは、断頭台へと続く階段を昇りながら、ふと、暗闇に浮かぶ星空を見上げた。
その空は、群衆の『中心』に立ち続けていた日々の中で、独りで見上げた空と同じだった。
そうなのだ。結局のところ、宰相のことはどうでもよかった。
独りで、どうにかしようとした。だから今、独りなのだ。
最後の最後になってしまったけれど、お父様とは心から通じ合えた。
きっと、アレクシス殿下とも、ミレーヌとも......
――もし、次があるなら。
そのときは、独りで背負わない。
重荷はみんなで分かち合う。
そうすれば、きっと......
◇◇◇
断頭台に、赤い花が咲いた。
そして、時は巻き戻る。




