第14話 断絶の境界線
(エリアナ視点・王都前)
音が、先に届いた。規則正しい足音。人の波が立てる雑多な騒音とは違う、冷徹なまでに揃いすぎた軍靴の音。
列の前方が、一気にざわついた。
誰かが、遠くの城壁の下を指さした。
「……兵だ」
低い、震える声が、あちこちで重なった。
エリアナは、足を止めた。いや、正確には、止まらざるを得なかった。
前方に、陽光を跳ね返す銀色の壁が見える。
盾。槍。鎧。
人の流れを、無慈悲な一線で断ち切る配置。
王都を守る、国王直属の軍だった。
◇◇◇
列の中に、針を刺したような緊張が走った。
怒鳴り声はない。叫ぶ者もいない。ただ、空気が変わる。
今まで「生活の延長」としての請願だったものが、王権の守護者たちを前にした瞬間に「越えてはならない一線を越えた反逆」へと定義し直された。
エリアナは、人波を分けて前へ出た。
走らない。手も上げない。
ただ、自分がここにいることを、彼らに見せるために。
◇◇◇
そのとき、気づいた。兵の中央。一段高い位置で、栗毛の馬に跨る人物。
――お父様だ。
ルーカスは、重厚な鎧に身を包んでいた。兜を外し、風に髪をなびかせている。
目が、合った。確かに、真っ直ぐに合った。
◇◇◇
エリアナは、大きく息を吸う。胸の奥が、ひくりと縮んだ。足先に、冷えた感覚が伝わる。
けれど彼女は信じていた。お父様なら、この状況が「事故の積み重ね」によるものであることを分かってくれるはずだ、と。
「お父――」
名前を呼ぼうとした、その瞬間だった。
「止まれ!」
軍の号令が、空気を裂いた。
人の声ではない。個を殺し、意思を圧殺するための組織の声だ。
列が、激しくざわめく。前が止まり、後ろが詰まる。
その混乱に乗じて、群衆の中に紛れていた「知らない顔」の男たちが、兵士に向けてあからさまな罵声を投げた。
それは、軍に「攻撃の口実」を与えるための、最後の一押しだった。
◇◇◇
ルーカスは、こちらを見ていた。確かに、見ていた。だが、その視線は、「娘」を見るものではなかった。
全体を見ている。数を。配置を。動きを。
決断を下す者の目だった。
◇◇◇
エリアナは、叫ばなかった。
叫べば、列が揺れる。
揺れれば、誰かが倒れる。
だから、歩いた。
一歩。また一歩。
視線は、父から逸らさない。
――分かって。
――ここにいる。
声にならない言葉が、喉に詰まる。
◇◇◇
兵が、無機質に前に出る。盾が並び、人の流れを無理やり押し返した。
誰かが転び、誰かが支える。
悲鳴が、短く上がった。
「下がれ!」
再び、号令。
◇◇◇
ルーカスが、ゆっくりと右手を上げた。
それは合図だった。制圧を開始するための。
周囲の音が、一瞬だけ遠のく。
風の音すら、消えたように感じた。
エリアナは、理解する。
父は、ここに「迎え」に来たのではない。
「止め」に来たのだ。
◇◇◇
目が、もう一度合う。
今度は、わずかに揺れた。ほんの一瞬。
だが、その揺れは、言葉になる前に切り捨てられる。
ルーカスは、視線を外し、鋼の響きで命じた。
「――制圧を開始しろ。」
◇◇◇
音が、重なる。盾がぶつかる音。鈍い打撃音。人の叫び。
エリアナは、その場に立ち尽くした。
気づけば、灰色の鎧が視界を埋めていた。
誰かに肩を掴まれ、強く引かれる。
「抵抗するな!」
身体が無情に引き離される。
数日間、泥にまみれて共に歩いた人々の温もりから。
そして、自分が必死に守ろうとした、その列の中心から。
◇◇◇
最後に見えたのは、軍を率いて去る父の、頑なな背中だった。
振り返らない。振り返れない。
その背中を見つめながらエリアナは理解した。
――届かなかった。言葉も。想いも。
その事実に対する、肺の奥が凍るような、深い絶望だけが残った。
◇◇◇
鎮圧は、公式には『成功』と記録される。反乱は、有能なルーカス公爵によって未然に防がれた、と。
だが、その中心にいた少女が、何を思い、何を止めたかったのかは、どこにも記されない。
ただ一つ。公爵令嬢エリアナ・ヴァルドレインは、反乱の主導者として、拘束された。
断頭台へと続く、長い、長い地下牢の階段を降りながら、彼女はただ、王都の暗い天井を見つめていた。




