第2話「疫病と偽札と令嬢の手腕」
夜市の朝は、薄い霧とともに始まった。雨に濡れた通りを踏みしめる足音。屋台の幾つかは再開し、商人たちは小さな期待を胸に準備を進めている。
「おはようございます、莉乃様」
小さな屋台の前で、にこやかに手を振る中年の商人がいた。名前はカルド。市場の中心で香辛料を扱う、古株の商人だ。
彼は昨夜の改修作業で少しだけ通路が広くなったことに、感謝の言葉を述べる。
「おはよう、カルドさん。昨日の通路、少し歩きやすくなったでしょう?」
「ええ、おかげで子どもたちも安心して通れます。……ですが、まだ問題が残っています」
カルドが眉をひそめる。屋台の一角に、淡い黄色の液体がこぼれている。そこには「疫病に感染した可能性のある食材」が置かれていた。さらに、昨夜届いた取引記録には、偽札が紛れ込んでいた形跡がある。
「……やはり、これは計画だけでは片付かない案件ね」
莉乃は手元のメモを確認する。前夜作った改善リストに加え、早急に次の対策を組み込む必要がある。
疫病対策:食材検査と簡易消毒の仕組みを導入
偽札対策:記録統一と信用評価の導入
現場巡回:巡回表を作り、問題発生時に即対応可能に
「カルドさん、協力してもらえる?」
「もちろんです、莉乃様。やっと令嬢が実務に乗り出してくれた!」
二人は屋台を回りながら、手作業で食材の消毒と偽札チェックを開始する。巡回表も作成し、日々の取引を簡単な紙記録で整理するだけでも、状況は格段に改善する。
しかし、その途中――
「……あれ?」
カルドが指を指す。小さな子どもが突然、泣きながら屋台の奥に駆け込む。理由を尋ねると、昨日の夜の記憶が抜け落ちているという。何を食べたか、誰と話したか、全て思い出せないのだ。
莉乃は眉をひそめる。これが「古い契約」に関連する現象であることは、前夜に察知済みだ。
「なるほど……単なる疫病や偽札だけじゃないわね」
莉乃は即座に行動を開始する。まず、夜市の各ギルドに非公式の集会を呼びかけることにした。疫病・偽札・記憶の欠落、それぞれの問題を共有し、情報の統一と協力体制を作るためだ。
集会の場には、争いを続ける二つのギルドの代表も出席する。険悪な空気が漂う中、莉乃は冷静に進言する。
「疫病の発生源は不明ですが、消毒と検査の強化で被害を最小化できます。偽札は信用評価の統一で抑止可能です。そして、記憶の欠落――これは行政記録と情報共有で解決の糸口が見えるはずです」
ギルド代表たちは目を丸くする。令嬢として象徴的な存在ではなく、実務を理解した指導者として現れた彼女の姿に、思わず舌を巻く。
「……なるほど、令嬢、あなたの言う通りかもしれません」
「協力します」
その日、夜市は少しずつ活気を取り戻した。屋台の通路は整備され、消毒済みの食材が並ぶ。巡回表を使って問題が報告され、即座に対応される。
子どもや住民も安心して市場を歩けるようになった。
夜、莉乃は再び小屋で計画を整理する。紙に向かい、次の手順をまとめる。
記憶欠落の現象をマッピング
問題の発生箇所とギルド協力体制の整備
小さな改善を積み重ね、信用回復のサイクルを作る
「……夜市の混乱、少しずつだけど、抑えられる」
だがそのとき、屋根の上に潜む影が動いた。誰かが、夜市の改善を密かに監視している――。
「ふふ、令嬢……あなたが動くと、面白くなるわね」
莉乃は気づかない。次の事件の影が、すぐそこまで迫っていた――。




