第2話『透明な嘘』
「小説、書いてるんだ」
あの日、なんとなくついた嘘だった。
ただの思いつき。クラス替えしたばかりで、自己紹介のときに何か言わなきゃと思って。
それっぽく聞こえるし、誰にも興味を持たれなければ、それで終わり――そう思ってた。
でも、ミナミだけは目を輝かせて「ほんと? すごいね」って言った。
あのときの笑顔を、今でも思い出す。
ミナミは、誰とでも話せる子だった。
明るくて、やたらと好奇心旺盛で、男子とも女子とも壁がない。
なのに、なぜか俺にはとくに懐いてきた。
「どんなジャンル書くの? 恋愛? バトル? それともSF?」
「うーん……いろいろ」
「うわ、作家っぽい言い方〜!」
からかうような笑い方。
でも、どこか真剣だった。
俺はずっとヒヤヒヤしてた。
嘘がバレたらどうしようって。
けど、ミナミは最後まで疑わなかった。
「ねえ、読ませてよ。ほんとに読みたいんだって」
何度も言われた。
そのたびに「まだ書きかけなんだ」「見せられるほどじゃない」って、
俺はまた嘘を重ねた。
ほんとは一文字も書いてなかったくせに。
三学期のある日、ミナミが転校するという噂を聞いた。
「お父さんの仕事の都合でね。急なんだけど、しょうがないかぁって」
笑いながらそう言ったけど、声は少しだけ震えていた。
そのとき、俺は勢いで言った。
「書けたら、最後に渡すよ」
ミナミは嬉しそうに「やった!」って言った。
その顔を見て、俺は本気で――何かを書こうと思った。
この嘘に、何か“形”を与えたかった。
でも、書けなかった。
何をどう書けばいいのか、まったくわからなかった。
“作家のフリ”はできても、“物語を書く”ってことが、こんなに難しいなんて知らなかった。
卒業式の日、ミナミは俺に手紙をくれた。
封筒の中には、いつもの丸い字で、こんなふうに書かれていた。
『あなたが小説書いてるっていうの、嘘だってわかってたよ。
でもね、私、“嘘を応援できたこと”が、なんかちょっと嬉しかったし、好きだった。』
最後に、「ありがとう」って書いてあった。
その一行だけで、心の奥が、ぐしゃっと音を立てた。
今でも思う。
あれは、たしかに嘘だった。
でも――ミナミの“信じた気持ち”は、本物だった。
だから今、こうして俺は書いている。
ほんの少し遅れてしまったけど、あのとき渡せなかった“1ページ目”を。
やさしい嘘は、ほんの少し、心を温めて消えていった。