5, ケイト
「失礼するよ?」
ミュシュラは男の子を抱えて、とある家に入った。
「誰だオマエ。」
「⋯。」
彼は家中に漂う濃い酒の匂いに、思わず眉を顰める。カビの生えた薄い絨毯、酒瓶の散乱した室内。その中心には、酒瓶を抱えた男が座り込んでいた。
「あなたはこの子の養父ですか?」
「あ?何でオマエうちのガキを持ってるんだ?」
「単刀直入に聞きます。この子のお名前は?」
(さっさと話を終わらせてこんな場所から立ち去りたい。)
ミュシュラは会話が成立している、していないを気にせず必要事項を頭の中でまとめる。そんなミュシュラを見て男はふらりと立ち上がると、手に持っていた酒瓶をミュシュラへ向かって投げた。
「んなガキに名前なんてあるわけねぇだろ。」
「ずいぶんと粗暴ですね。仮にも養子が居るのに。」
「押し付けられた養子なんか気にするわけねぇだろ?」
「押し付けられた?」
「逆に育ててやっているだけありがたいと思ってくれても良いんだぞ。」
男は叫んだ。
「おいグズ!」
「ヒッ⋯。」
ミュシュラの腕の中で男の子が震える。
「お前、今日は一体いくら稼いだんだ?」
「は?」
「⋯。」
「何か答えろや!!お前なんかそこらのドブの中にでも捨ててもいいんだぞ!!俺の子供でもない奴を育ててやってる優しいこの俺の恩に仇で返す気か?」
(やっぱり花を売らせていたのはこいつだったのか。)
ミュシュラは男の子への視線を遮るように、頭に手を添えた。
「なら話は早い。この子は俺が貰い受けるよ。いや、貰うは言葉が適切では無いね。」
ミュシュラはニコニコと笑った。
「この子は俺が保護するよ。」
「は?」
ミュシュラは3本指を立てた。
「1つ目の理由は、あなたが子どもへ暴力を振るおうとしていたから。いや、日常的に振るっているから。暴力を振るわれた子供は、心に大きな傷が残る。そんな子が大きくなって家庭を持ったとき、同じ過ちを犯す可能性はグンと高くなるんだ。なんせ、子供への正しい接し方が分からないからね。」
薬指をそっと下ろす。
「2つ目。あなたは俺の子ではないと言った。」
「だからなんだよ?」
「養子でもね、大切に扱っていたらその子はもう、本当の子供になるんだよ。」
『お前は最高の俺の子供で、孫で、弟子なんだ。胸を張れ、俺の子供なんだからな。ガハハッ』
頭の中に、彼の姿が現れる。決して届かない商人としての目標。もう追い抜くこともできない、ミュシュラの生き方を示してくれた絶対の指針。
「ってことで」
ミュシュラはパン、と手を叩いた。
「この子は俺が、守り育てる。」
「は?」
「子供を今の育て主から引き剥がす方法は2つある。
1つ目は育て主がその子を譲る、または自分の子ではないと拒絶する。2つ目はとっても簡単だ。その子を攫えばいい。」
「⋯。」
人攫いや人身売買、拷問。認められない国は多いが、それらをやる悪党どもは賢い。上手くバレずにそれらをやる。だから、本当はここでこんな面倒くさいやり取りをせずとも、彼らを真似て逃げれば良いんだ。国の外に出たらその後なんて追えなくなるし、国だってそんな子供一人のために何か行動を起こすわけでも無いのだから。
(まぁ、バレたら捕まるから俺はそんなことはしないけどね。)
「あなたはこの子を拒絶した。そして、離れることも考えている。何も問題は無いじゃないか。」
「テメェ、ふざけんなよ?」
「ふざけているのはお前だろ?」
ミュシュラはただただ、彼を見据えた。
「子どもを育てたくても育てられないやつだって居るんだよ。ダメでしょ?そこのところを理解しないと。言葉には責任が伴う。その重みを知らず、好き勝手に言うからこんなことになるんだよ?何より、この子が解放を望んだからね。」
「⋯は?」
「少しあなたのことを周囲の人々に聞いてみたよ。出てくる出てくる酷い話が。君の祖父は今は没落したが男爵位を持つ貴族の端くれだったんだってね?」
「な、何でそれを」
「すごく聡明な人で、領地こそ無いものの、彼が補佐していた領主には重宝されていた。そして、隠居した彼に家の財産を食い散らかした君の父と君が泣きついた。だが助けてもらえなかった。そうして君の家は1代で没落してしまった。」
「き、貴様ァァァァ!!」
男が殴りかかってきたのをミュシュラは避けきれず、男の子を庇うようにして座り込む。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁぁぁ!!」
「殴りたければ殴れ。君が罪を重ねるだけさ。」
「ァァァァ、黙れ!!」
「⋯!」
鈍い痛みがミュシュラを襲う。肩も背中も、顔も、腕も。次々と襲う痛みにミュシュラは思わず顔を顰める。
「貴様、何をしている!!」
「真っ昼間から喧嘩か?!」
ふと、外から声がして、2人の憲兵が入ってきた。彼らは男を取り押さえるとミュシュラの方へ走り寄る。
「大丈夫か?」
「えぇ。私は何とか、それよりも、この子が怪我をしていないか心配です。」
「⋯⋯?」
「よく泣かなかったね。」
ミュシュラはゆっくり立ち上がった。
「すみません。助けていただいてありがとうございます。」
「それは良いんだ。すまないが、事情を聴かせてもらいたいから、詰所まで一緒に来てもらえないか?」
「えぇ。それでこの子が助かるのなら。」
ミュシュラと男の子、捕らえられた男は、憲兵に連れられ詰所に行き、簡単な事情聴取を受けた。
(まぁ、誰が悪いかなんて明らかだけどね。)
「貴様ぁ、貴様ぁ。」
連行されていく男に一瞬だけ近寄り、ミュシュラは耳元で呟いた。
「言い忘れていたよ。3つ目の理由はね、俺があの子を気に入ったから。安心して。あの子は大切に大切に、育てるから。」
「貴様ァ!!」
「こら、君もこいつを怒らせるようなことをするな。危険だろ?」
「すみません。この子は私が育てたいと改めて伝えさせていただきたくて。」
憲兵は目の前の男に感心した。己が傷ついても子どもを守ろうとした姿に。
ミュシュラは苦笑した。少し相手を陥れるようなやり方になってしまったなと。あそこまでタイミング良く憲兵が現れるとは流石に思っていなかったから。
(でも、こうならなければこの話は平行線だっただろうね。それに、簡単な聞き込み調査でも彼は他にも盗みや脅しの余罪があるみたいだってわかったのだから、きっといつか捕まっていたさ。因果応報だろう。)
ミュシュラは自分の幌馬車に乗り込み、男の子と視線の高さを合わせるように座った。
◈◈◈ ◈◈◈
「君に名前をあげよう。今日から君はケイトだ。」
「⋯。」
僕は目の前の大きな男の人を見つめた。
(ただのいい人じゃ、無いんだろうな。)
笑顔もウソっぽい。どことなく信用したらいけないような雰囲気を持っている人。この数日でわかった、ミュシュラのイメージ。
「話したくなるまで話さなくて良い。」
でも、僕には本当に優しい人。
「ねぇ、本当に一緒に来てくれる?」
「⋯ぅん。」
きっと未来の僕は、この人と一緒にいることを後悔したりはしないだろう。
「みゅーら、けーと、いーしょ!!」
「⋯⋯、そうかい、一緒かい。」
ミュシュラは嬉しそうに笑った。
ケイトもそれが嬉しくて笑う。
主人公が良い人なのか悪い人なのか分からない系ムリって人へ、今作は仄暗さ(作者の中では)をたまに出したりしそうな雰囲気なので、ムリだったらそっとこの作品を閉じてください。
(それでも面白いって読んでくれたらとても嬉しいですが!!)
面白いかもって思ってくださった方へ、進み方が遅くてすみません。たぶんこんな感じでこの作品はゆっくり進むと思います。
ここまで読んでいただきありがとうございます。