縁野美柑
夕闇さんが私の前に現れたのは本当に唐突で、しかも私の部屋の中なのだから不法侵入なことこの上ない。
『ペリカンちゃん、お久しぶり。イースターエッグの事件以来ね。元気してるかしら』
「あなた、厚顔無恥って言葉知ってる?」
『知らない!』
楽しそうに笑う夕闇さんはまるで生きている人間のようで、姿はくっきりとしていた。
「あなた本当に幽霊として姿を現わすのね。驚いたわ。学内の噂通りなら、私を幽世の世界へ連れていくつもりね?」
『そんなことしないわ。私は誘拐犯ではないのだもの。あなた次第よ。私についてくるのかしら。死ぬことになるのだけれど、少し我慢すれば現世より良い世界が待っているわ』
私は彼女の問いかけで改めて自問する。生きていることが苦しくはないか。辛いことはあるが死ぬほどではないというのが、正直な答えだ。
イースターエッグの事件以降、私は人と深く関わるのを避けている。人への期待や想いが悲劇を引き起こしてしまった。それはもう取り返しのつかないほどに。これからは他人に期待せず、期待させない。信用しないし信用させない。そんな孤高な生き方。続けることができるだろうか。
『孤独な人生ね。そんなの辛いだけよ』
私が語るまでもなく夕闇さんはその鋭い目で私の心を見透かしてしまっていた。
『安らかな幸福を頭の中で強く思い描きさえすれば、あとは勇気を持ってこの世界から一歩踏み出すだけで、その幸福な世界に行くことができるのだわ。肉体はなくなっても』
「それって、本当の幸福って言えるの?身体が無くなっても感じる幸福なんて……」
『そうね。それは幻想に近い、閉じられた世界。それでも、辛くて悲しいだけの現実を地獄に感じる人達も世の中にはたくさんいるのよ。いっそ死んでしまいたいほどにね』
夕闇さんの言葉に私は反論できなかった。ただ辛くて苦しいだけの日常に打ちのめされながら、それでも死ぬ勇気がないだけで生きながらに死んだ生活を送っている人達もいるのだ。死の先に幸福があるというのなら。そこに期待してもいいのではないか。
『……それにね、楽に死ぬ方法があるのだわ』
ぼそっと、蠱惑的な笑みで私に語りかける。私は、迷っているのだろうか。友達もいるし学力も問題なし。大学進学は望めば叶う。生活に不自由はない。ただ、決して消えない罪悪感と孤独だけが付きまとっているだけ。
『結論を焦る必要はない。来年、あなたの部屋の戸を再び叩いて同じ事を聞きにくるわね。来年もまだ迷っているようなら、その次の年も、5年後も、10年後も』
「……なぜ私にこだわるの?世の中には、いえウチの学校内でさえ、もっと苦しんでいる人達がたくさんいるでしょ」
『以前も言ったでしょう。私はあなたが気に入っているのよ。だからあなたが自分の生に疑問を感じ続けている限り、私は何度もあなたの元を訪れ、あなたを幽世の世界に誘うわ』
彼女の笑みから底知れぬ闇が見え隠れしているようで私は背筋に嫌な汗が流れる。
『私のことが、怖い?』
彼女の問いかけに応えられない。私は彼女の何を恐れているのか。彼女に悪意などないことは分かっているのだが、得体のしれない何かに相対している時の不穏が身体を這いまわる。
『私が怖いのなら、あなたがまだ行く先を迷っている証。まだこちらに来る必要はないわ。そんなあなたには、私が執筆した本を是非読んでほしいの。特に、最終話の”裏世界”。苦しみのない甘美な死があるということを知ってほしいのだわ。それを読んで死に抵抗がなくなったのなら、そこに記された通りの方法で自殺を試みるのもいいと思う。何度も言うけど、私はあなたの助けになりたいということだけは分かってほしいのだわ。それじゃあね』
そう言い残し、彼女は霧のように消えた。私の心に残したのは暗雲か、一筋の光明か。それを知るためにも、彼女の執筆した【令和怪異物語】を読んでみようと思った。




