鷹野空
今ではがらんとして静かになってしまった占い部の部室で、俺は意味がないと分かっていながらもやり残したこれまでの相談者達の心霊談を記録としてデータにまとめていた。部長の夕闇さんはすでに亡くなっているというのに。
心の奥底で、今は亡き彼女が部室に顔を出してくるのを待っているのであろうか。
校内で広がる、とある噂を信じて。
『逢魔が時に現れる夕闇さん。死んだ彼女は生きている私達を向こうの世界へ連れていく』
夕闇鴉の自殺。
それは、動画投稿サイトでの生配信中に起きた出来事だった。自身が出版した【令和怪異物語】の宣伝とともに彼女は自殺を遂げてしまった。自分で自分の首を絞めて。彼女は死ぬ前に一言、
『私の作品を読んで共感した人は私についてきなさい。裏世界へ』
という不可解な言葉を残して旅立ったらしい。
【令和怪異物語】を実際に読んで思ったことは、どうやら夕闇さんは死んだ先に幸福な世界を見出しているということだ。作中、自身が実際に視た幽世の世界の風景を描いた話もあり、彼女は読者に対して死は恐れるものではないというメッセージを執拗に訴えかけていた。死者になることで異なる世界が見えてくるということを。
ネット記事では宗教狂いだのメンヘラだの教祖様だの酷いコメントが散見されたが、【JK小説家の自殺生配信】というキャッチでセンセーショナルな事件はメディアを通して瞬く間に全国に広がり、同時に【令和怪異物語】も好調に売行きを伸びていった。若年層の自殺者急増という社会現象まで巻き起こるほどに。
彼女が亡くなったという話は急遽開かれた学年集会で教頭先生より説明されて知った。彼女は3年生、そして俺は2年生へと進級してからまもなくのこと。唐突、不意打ち、茫然自失。置いて行かれてしまったような寂しさ、身近な人の死に対する喪失感。
確かにそれらは胸中で渦巻いているのだが、より色濃く残っているのは、彼女に対して深まる不可解さだった。人間関係、学力、将来、容姿。これといって欠点のない彼女が、一体なぜ自分のまだ若い命を投げ売ってまで本を、思想を広げたかったのか。
ふと気がつくと、俺はキーボードから手を放して腕を組みながら物思いに耽っていた。今日はほとんど捗らなかったなと思うも、この作業に果たして意味があるのかという自問に苦笑したとき、
『意味ならあるのだわ』
背後から突如飛んできた馴染みのある声に身体が大きく跳ねる。振り向くと、部室の扉の前に夕闇さんが立っていた。生前と変わらない姿でとても死人には見えなかった。いや、生前から死人のような肌色をしていたというべきか。
「噂は本当だったんですね……。急に現れて脅かさないでくださいよ」
『期待してたくせにねぇ。あなたはツンデレなのかしら』
「校内で噂の幽霊が現れたというのに情緒もへったくれもありませんね」
幽霊だというのに呪いも怖さも微塵も感じない、いつも通りの夕闇さんを見て軽快に笑ってしまった。
『幽霊を神聖視しすぎなのよ。あなたも、現世を生きる大半の人達もね。ただ、人間は知らないことを恐れるの。だから、幽霊や怪異譚を記す私の、そしてあなたの記録には意味があるのよ。生と死の境界を曖昧にしていくの』
「それならこれからも生きて本を書き続ければいいのに一体どうしてあなたは自殺なんか……」
『私の事なんて大した問題ではないのだわ。知ってもどうしようもないこと。大事な事はただ一つだけ。そして、私がここに現れたのは、あなたにそれを問いにきたの』
「俺の生きていく理由……ですか?」
『その通りよ』
彼女の微笑みに俺は大きくため息をつく。そんな微笑みながら問う内容ではないとツッコミを入れてやりたい。
『【令和怪異物語】の最終話”裏世界”は読んでしまったかしら?』
「拝読させていただきました。しかし残念ながら、俺にはあまり共感できませんでした」
『あら、それは残念。それなら鷹野君は、自分の未来を明るいものだと信じて生きたいということね。黒い木の事件以来、生物の死を必要以上に恐れたりはしていないかしら。生きづらさを感じたりはしていない?』
「未だにトラウマは残っていますけどね。まぁ今では貴重な経験だったと思っています」
『…………貴重とは?』
「俺は将来、農業をやりたいと思っていて。そのために農業大学か農学部のある大学に進学しようと考えてます。命を作って育てる仕事です。なんだかそういうのに憧れる自分に気づいてしまいまして。こんな気持ちになれたのも、今考えたら黒い木のおかげなんじゃないかな……なんてね。一時は殺されかけた怪異に感謝するなんて、変ですよね」
言っていてなんだか照れくさくなり、視線を窓辺に向ける。夕日はほとんど沈み、校庭で部活動に励んでいた運動部員の声はすっかりなくなっていた。
「それって、凄い変な話ね」
夕闇さんはクスっと笑った。窓に反射して映る部室内には俺一人だけ。夕闇さんの姿は映っていなかった。彼女の存在が、記憶が、自分の中から少しずつ消え去っていくような寂しさが不意にこみ上げてきて。
「それでも、怪異の記録は続けていきたいと思ってます。世の人達に心霊の存在を認知してもらうために」
なんて言ってしまった。人の死にも悪意にもうんざりしているというのに。
「ありがとう。それならこれをあなたに託すわね」
夕闇さんはポケットから革製の手帳を取り出し、俺に差し出す。夕闇さんが父から受け継いだ怪異や心霊について詳細に記録された手帳だった。かなり大事な代物だったはずだ。
「ウチの小屋に保管された書物なら、祖父母に言えば好きに読ませてもらせるはずなのだわ」
「あの、そんなに期待しないでくださいね。夕闇さんみたいに書籍化できるかも分からないですし、本職は農業の仕事をしていくつもりなんで」
それなりの期待をかけられているようで荷が重たく感じ、尻すぼみになっていく俺の声に夕闇さんはガッツポーズを出す。
『大丈夫。別にそこまで期待していないから』
そんなことだろうとは思ってましたけど……。
『まぁ、なにはともあれ、あとはよろしく頼むわね、相棒』
夕闇さんは快活に楽しそうに革の手帳で俺の頭を叩く。手帳は持ち主の手から離れて落ちそうになり、俺は慌てて手帳を受け止めた。視線を戻すと、夕闇さんはもうそこにはいなかった。
嵐のように現れて言いたいことを言い、大きな爪痕を残して消えていった。思想という決して消えない大きな爪痕を残して。
夕闇さんから渡された革製の手帳にずっしりとした重さを感じたが、不思議とそれが心地よかった。




