廃棄された呪いの集積場
その日の朝もいつも通り、勉強の時間が始まる前に和室に入った私は、母の怒りに震える鬼の形相を見て身体が硬直した。
和室に飾ってあった銅製のお面と短刀がなくなっていたのだ。また、脇に鎮座している大きな姿見が割られていた。誰がやったのか、消去法で明らかではあったが、母の目には姉妹のどちらか一方か、もしくは両方という認識であるらしい。
先に部屋に来ていたゆうちゃんは黙ったまま正座をしている。ゆうちゃんは自分がやったということを母にまだ言っていないらしく、母は私にも鋭い視線を向けて正座を促している。私はゆうちゃんの隣に正座した。
「和室にあった貴重な品々がなくなっています。それだけでなく、家中の鏡が割られています。私も父も、絵長さんもそんなことをするはずがありません。こんな悪さをしでかしたのは、雀とひよ子のどちらか。それとも2人が結託して行った行為か。自白なさい」
怒りに喉を震わせながら母は淡々と話して私達の自白を待った。正座で並んで座る私達の目の前に立って腕を組む母の様子を見て私はふと、かつてこの足で思い切り蹴り飛ばされたひよ子の姿がフラッシュバックした。
身体中から汗が吹き出てくる。下手な発言一つで目の前の母の足が振り下ろされると思うと頭が痺れて何も話せなくなる。ゆうちゃんは憮然とした面持ちで母の威圧に怯えた様子はないが、自らの過ちを自白する様子もない。
そもそも何故彼女はこんな身を滅ぼすようなことをしでかしたのか。自殺行為に等しいことを。”4”の紙切れ製作、虫の死骸集め、家内の鏡破壊、家宝?の遺失行為。これら突飛で不可解な行為に何がしかの意味があるのだろうが、それを説明する気が彼女にはないようだった。
横目でこっそりとゆうちゃんの様子を伺うと、ゆうちゃんも私を横目で見ていて目が合ってしまった。彼女は何を考えているのか。まさか…………。
「このままでは2人とも黙秘したまま。であれば両者による協力行為と判断、黙秘という悪質な心理を鑑みて、あなた達2人に重罰を与えることになります。どちらか一方による犯行でその者が素直に自白してくれたならその者にのみ重罰を与えます。両者による犯行で2人ともに素直に自白した場合は、両者に軽い罰を与えます」
これは囚人のジレンマに近い。私にとってみれば、ゆうちゃんが素直に自白してくれるだけで一件落着なのであるが、彼女が自白しない場合、無罪であるはずの私も巻き添えで罰を食らうことになる。
2人双方の最大公約数的な結末を願うならば、私とゆうちゃんの両方が自白をすることで私達2人が軽い罰を受けることが最も傷が浅く収まるルートであるものの。しかし、そもそも私は無罪な上に、ゆうちゃんが私に合わせて自白するとも限らない。最悪、無罪の私のみが罪なき自白を行ってしまい重罰を科され、罪人であるはずのゆうちゃんが無罪放免になってしまう。そんな結末は御免こうむりたい。
しばらくの間、沈黙が続く。時計の針の進む音だけが規則的に和室内を鳴り響いていて、時間が永遠に引き延ばされているような感覚。その中で沈殿する重い空気に吐き気を覚える。ゆうちゃんは無表情のまま、微動だにしない。人形のように無感情にただじっと座っている。母は大きく見開いた目をギョロギョロとさせ、私とゆうちゃんを行ったり来たり。何を考えているのか分からない爬虫類のような気持ちの悪い瞳と視線が合わないように床に俯いた。
「それなら、雀とひよ子2人を罪人とみなし、両者に重罰を与えることになるけど、それでいいのね」
刑が執行されてしまう。ゆうちゃんが自白する気配はなさそうだ。このままでは巻き添えを食らってしまう。それならば、彼女が単独で行った行為だと私が主張するか。彼女は奇行が目立つ頭のおかしい人間だと補足説明すれば納得してもらえるかもしれない。彼女がたとえ処分されようが、これまで積み上がった死体の数々に一体追加されるだけだ。以前までの楠木家の日常が戻り、それがずっと先へと延長されていくだけ。
あのときの悪夢のような光景がフラッシュバックされる。
『お姉ちゃんの方が私より悪い子だよ!』
かつてのひよ子と同じ言動をまさに今私がしようとしている。
だからなんだというのか。
私は楠木雀のマニュアルを遵守し、楠木雀の変わらない日常を生きていく。
変わらない?
それでいいのか私は。
私はまた楠木雀に戻っていいというのか。
ただただ生き永らえる死人みたいな日常に戻れというのか。
私を見つけ出してくれたゆうちゃんを切り捨ててしまえというのか。
私は。楠木雀は。みーちゃんは。美水灰利は。
「「私がやりました」」
みーちゃんとして。美水灰利として。その先が暗闇であると分かっていても、私は自分自身を選択した。自分の存在が、居場所が、そこにないのであれば、それは死んでいるのと変わらないから。いや、死ぬ以上に苦しい地獄の日常が続くだけだから。
私は今、楠木雀の人生を捨てた。そんな私の告解に重なる声が隣からも聞こえてきた。
隣に座るゆうちゃんが手を高く上げ、己が行った行為だと主張している。
「それでは、あなた達2人が行った行為だと判断します、あなた達2人は今晩のみ、あの土蔵で仲良く反省なさい」
ゆうちゃんは母に見えないようにこっそりと私に向けて舌を出してきた。誰が反省なんぞしてやるものかと言いたげな彼女の顔に、私は不覚にも笑ってしまった。
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その日の夜、私はゆうちゃんとともに土蔵に連行された。ゆうちゃんは母の目を盗んで2つの大きなビニール袋となくなったはずのお面を2枚持ち込み、そのうちの1枚を私に差し出した。
「土蔵にいる間はこの仮面をつけて」
「やっぱりゆうちゃんが盗んだんだね。でもなんでお面なんか……。それになんでこれを付けるの?」
「銅は魔除けになるのよ。もっと正確に表現すると、1つ目、波動の流れを促進し、全体の機能を調和させる働き。2つ目、落ち込みや無気力感といった負の感情をポジティブに変える働き。瘴気に溢れたこの土蔵の中で、この仮面が私達を守ってくれる。そうしなければ、一日どころか一夜持たずに私達は気が狂ってしまうわ。土蔵で死んだ少女達の怨念がそこにいる生者の正常性をおかしくしてしまうの。そして土蔵の中で醸成された彼女達の怨念を、今からこれらを使って暴走させるのよ」
ゆうちゃんは持ち込んだ2つの大きなビニール袋を指差す。まさかこれは…………。
それは、ゆうちゃんが土蔵にぶちまけたビニール袋の中身は、”4”と書かれた大量の紙切れと虫の死骸だった。
「生物の死には負の空気が集まってくる。これだけ色濃い瘴気の集まる空間に、多くの生物の死と”4”という不吉の数字を置くことで、死者の感情を強く刺激するのよ」
「…………なんのために?」
怖気を感じて後ずさる私に、ゆうちゃんは悪意に満ちた微笑を浮かべて答える。
「家で眠っている彼らを呪い殺してもらうために」
それから数時間くらいは経っただろうか。
家の明かりは消えてみなが寝静まり、土蔵の中は暗闇に包まれた。
土蔵の中を何かが駆け回る足音が時折聞こえてくる。私の耳元で何かの息遣いが伝わってくる。すぐそばに誰かが座っている気配がする。1人じゃない。土蔵の中で処分された何人もの少女達が死霊となってこの狭い世界で息づいているのだ。
「みーちゃん、まだ起きてる?」
「う、うん……」
「絶対にお面を外しちゃだめよ。そのお面がある限り彼女達は私達を襲ってくることはないわ」
「分かってる。そういえば、絵長さんは?あの人も殺されちゃうの?」
「あのおばあちゃんにはお面を1枚、先に渡してあるわ。私の忠告を守ってお面をつけているなら襲われることはない」
「よかった……」
「ちなみに、家の中の鏡を壊したのも、刀を隠したのも、それらが魔除けの効果を発揮するアイテムだったからなのよ。不浄を避けるそれらが家に残っていると、土蔵の中の死霊達が家の中に入れなくなってしまうのだわ。色々と下準備に骨が折れたわね」
ゆうちゃんは以前からずっとこれを計画し、準備を進めていた。気持ちの悪い行動と一蹴して考えないようにしていたが、それらは一つの目的に繋がる、意味のある行動だったのだ。尊敬半分畏れ半分。彼女が私より年下ということが信じられない。もう彼女のお姉さんを名乗ることはできそうにないだろう。
「ゆうちゃんはなんでそんなにオカルトにこんな詳しいの?」
「父方の家系が霊能力を持った特別な血筋でね。お顔も見たことないくらい古い先祖の方々は霊媒師さんや除霊師さんを生業にしていたらしいの。家にたくさんの霊や怪異、妖怪にまつわる記録や書物が保管されているわ。私も多少の霊感はあるものの、先祖ほどのレベルではないわ。父なんてホラー作家だけども霊感皆無なのよ。笑っちゃうわよね」
うふふっと微笑をこぼしながらゆうちゃんは嬉しそうにお父さんのお話をした。霊能力……映画やドラマでは聞いたことがあるが、実際に死んでしまった黒のワンピースのひよ子を目の当たりにして本当に心霊という存在がいることに改めて驚く。
「早くお父さんの所に帰りたいね」
励ましたつもりだったが、ゆうちゃんは肩を落として大きくため息をつく。
「今は祖父母の家で暮らしているのよ。お父さんは、ホラー小説の取材に出かけたっきり、しばらく帰ってきていないの。どこに行っちゃったのかな」
暗がりで見えづらかったが、体育座りの彼女の身体が一段と小さくなり、それはどこにでもいる幼い少女が寂しさに震えているように思えてならなかった。
「もう……、ずっと待っているのは嫌なの。私、待ちくたびれちゃったの」
沈んでいくゆうちゃんの声に私はどうにか気分を持ち直して欲しいと、本当の姉ではないけど姉らしい何かを言ってあげないとという使命感からか必死で言葉を探すが、良い言葉は見つからなかった。元々交友関係が狭くてユーモアのセンスもない自身の性格が本当に恨めしい。
「待っているのが嫌になったら、いっそのことこっちから迎えに行けたらいいのにね。探偵雇ってお父さんをこっちから探しに行っちゃうみたいな」
いつかに見たサスペンスドラマを思い出して何の気なしに喋っただけだった。探偵の人探しで簡単に人が見つかるほど世の中は甘くないだろうに。私の言葉を聞いたゆうちゃんは急に押し黙り、私をじっと見つめている。もしかして気に障る発言だったか。さすがに中身のなさすぎる内容に怒ってしまったか。ゆうちゃんの付けているお面が鬼のお面なだけに、激怒しているように見えて恐ろしい。
「ごめんね、変なこと言って」
「ううん、とっても嬉しい事を言ってくれて驚いただけ。ありがとう、みーちゃん」
ゆうちゃんの弾んだ声を聞いてほっとした。調子を取り戻してくれたようだ。それどころか、喜びを感じているくらいのトーンだったことに私の方が驚いた。
――――迎えに行く…………。どうやったら。何か方法は…………。
その後、ゆうちゃんは何かぶつぶつと独り言を呟いていた。私はこれ以上は彼女のプライべーちに気安く踏み込んではいけないと思い、何も言わなかった。
それからまた数時間経っただろうか。
どんどんと濁っていく土蔵の中の空気感に私は気分が悪くなり始めていた。視界が揺れて眩暈にふらつく。何かに身体の芯を激しく揺さぶられている感覚と激しい寒気。土蔵の中の瘴気が色濃く膨れ上がっているのをひしひしと感じていた時だった。
「そろそろよ」
ゆうちゃんの声とともに、カチッと、土蔵の扉の鍵がひとりでに開く音がした。
そして、ゆっくりと土蔵の扉が開いていく。
開いた瞬間、先ほどまで私の身体を襲っていた不安定感や寒気が消え失せた。土蔵の中で沈殿していた重苦しい空気感が薄くなっていくのが分かる。少女達は、自分達を亡き者にした彼らを断罪しに向かっていったのだ。
土蔵を出ると、月明りが凄く綺麗だった。
この時、私は美水灰利を取り戻した。
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夜明けになるまで私とゆうちゃんは近くの原っぱで交代で仮眠を取った。夜が明けて空が明るくなり始めたとき、絵長さんが悲鳴を上げながら家の外へ出てきたのを見て、全てが終わったと安堵した。ひょっとこのお面をつけながら悲鳴を上げる絵長さんがあまりにもおかしくて、不謹慎にも私とゆうちゃんはそんな絵長さんを見て大笑いしてしまった。
施錠されているはずの父母の部屋が何故か開け放たれていることに不審に感じつつも中の様子を覗いた絵長さんは、冷たくなった2人の遺体を発見したそうだ。前日の夜、ゆうちゃんからお面を付けるよう忠告されただけの絵長さんは、何が起きたのかワケが分からなかったようだ。死霊達が報復に呪い殺しに来たとは予想だにしていなかったらしい。
かなり狼狽しつつも、これまでずっと続いていた監禁生活に終止符が打たれたことに涙を流しながら喜び、ゆうちゃんに何度も御礼を言った。私にも、これまで何の助けもしてあげられなくて申し訳ないと謝罪をしてくれた。絵長さんこそ被害者の1人なのだからと私は絵長さんを慰めた。
母のスマホを拝借して警察に連絡し、やがて事件は収束した。父母の死因は心不全とのことだったが、どうでもいい。ようやく本来の日常が取り戻されるのだから。




