閉鎖的疑似家族
「この子が、あなたのお姉さんの楠木雀よ。雀、挨拶なさい」
母が家に連れてきた新しい妹のひよ子は、怯えた様子で私を見上げている。年齢も以前のひよ子と同様、小学生低学年くらいの子だった。
「姉の楠木雀です。よろしくね、楠木ひよ子ちゃん」
「わ、私、楠木ひよ子じゃない。立花れんげっていう――――」
泣きながら捲し立てる彼女の頬を、母は思い切り引っぱたいた。
「違うでしょ。あなたはこの楠木家の妹、楠木ひよ子よ。家族の一員であるということを自覚しなさい。それと、楠木家には守るべきルールがあるから、お姉ちゃんに色々と教えてもらいなさい」
母のカッと見開かれた目に、ひよ子は何も言い返せずただ首を縦に振った。
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楠木家について、いや、彼らに誘拐されこの家に連れて来られた子供達について絵長さんにこっそり問いただしてみると、彼らの期待に添えなかった、あるいは見込みがないと判断された姉妹、つまり雀役の子とひよ子役の子は、あの土蔵でひっそりと処分されているらしかった。
前回のひよ子役の子はすでに処分された。そして、新しいひよ子役の子が誘拐され、こうしてこの家にまた補充されてきた。恐らくこれで通算7番目くらいだと言っていた。雀役は私で何人目かと聞いてみると、私で3人目のようだった。心が発達して知恵が芽生え始める小学生高学年の雀役と違い、小学生低学年のひよ子役はまだ精神が幼い故に楠木家のルールや彼らの求める期待に適応できる間もなく処分されていってしまう。
最初のひよ子役の子は、黒色が好きで、黒のワンピースを毎日のように着ていたという。もちろんすでに処分されている。だから、私がこの家で見た黒のワンピースの女の子を見かけたという話を聞いて、仕返しにきたのだと怯えたのだそうだ。絵長さんも彼らに監禁されている被害者の1人なのだから、処分されてしまった子供達に呪われる理由はないはずだろうに。
そんな気休めを絵長さんにかけてあげることはできなかった。地獄の釜底で苦しむ子供達にとって、自分達を管理する大人という存在そのものが恐怖と憎しみの対象となってしまうのだ。それは私自身、現にそう感じているのだから。
やはり、黒のワンピースのひよ子は私をあの部屋へ導いたのだ。この歪な家から抜け出せるようにと、あの小説を私に見つけさせた。私は、自室に戻ってあの小説、『カントリーサイドファミリー』を読んだ。
残念なことに、それは温かい家族がそこで平穏にずっと暮らしていくというありがちな結末で物語を終えた。恐らくこの小説の家族を理想として、彼らは楠木家を作り上げ、偽物の家族ごっこを営んでいる。結末にこの地獄を抜け出す解決策もヒントもない。だが、この地獄を生き抜いていくための材料は多く書き連ねられていた。
この小説に登場する楠木雀がどんな人間なのか。
つまり、彼らからどんな人間であるということを求められているのか。
彼らの求める楠木雀になることが生き抜くために必要なことなのだ。
楠木雀のマニュアルを作り、それを徹底して守ること。
これが生き残る術だと、私は堅く胸に刻み付けて本を熟読していった。
新しい楠木ひよ子もとい、立花れんげはこの家にやってきてから1ヶ月も経たずあっさり処分された。食事時も勉強時も、泣いてばかり、家に帰りたいと駄々をこねるばかりで楠木ひよ子としての役割を果たせないのだから、当然の結末といえよう。
妹である楠木ひよ子の死に何の哀しみも湧かない。あの食卓の時に心の奥底に芽生えた黒い新芽は根を広げて成長し、私に囁き続ける。
他人に期待するな。
他人に期待した分だけ失意と絶望が返ってくるだけだから。
他人は利用するためだけの存在。
人の幸福というのは他者の犠牲の上で成り立つものであり、幸福を持続させる限り、他者の存在を犠牲にし続ける必要がある。
彼らの家族ごっこという幸福が、雀とひよ子2人の存在を犠牲にし続けていることで成り立っているように。
それならば私は、私が生き続けるために楠木ひよ子を犠牲にし続ける。
家族想いで気遣いと配慮溢れる楠木雀。彼女のホスピタリティーな性格というのは、妹のひよ子の出来が悪ければ悪いほど際立つ。逆に言えば、ひよ子が本の通りの聡明で気品のある女の子となってしまった場合、姉の雀は優秀な妹のひよ子の存在に霞んでしまう。
だから、私はひよ子役の女の子に決して手は差し伸べない。彼女が出来の悪いままでありますようにと願い続ける。
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それから楠木ひよ子は何人もやってきては処分され、やってきては処分されというのが続いた。一体ここ数か月で何人入れ替わりがあっただろうか。ひよ子の泣き声をBGMに食事を取るのが日常となっているが、私はまだちゃんと生きている。ちゃんと呼吸が続いている。
私が作り上げた楠木雀マニュアルを徹底的に厳守するのだ。
朝5時半に起きて家の掃除をする。庭の植木に水をやる。そうして母の朝の仕事を減らしてあげる。勉強は自分のノルマを早めに終わらせ、ひよ子の勉強の面倒も見る。小学1年生の勉強なら何の問題もなく教えてあげられる。自分の勉強のノルマを早めに終わらせるために、夜は必ず予習をしておく。また、仕事から疲れて帰ってきた父の肩揉みもする。たまに邪魔だと叩かれるときもあるが、父の表情を、機嫌をよく観察する。父の母の機嫌を常に伺う。ひよ子の勉強道具はたまにこっそり外に捨てに行く。物を簡単に失くしてしまうダメな妹に仕立て上げ、そんな妹を気遣うホスピタリティー溢れる姉を演じる。ダメな妹に痺れを切らした母は、憤るたびに妹を処分しまた新しく調達してくる。
私は心を殺して己のマニュアルを徹底し、楠木雀を演じる。何度も殺して。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して。
黒いワンピースの彼女は毎晩私の寝床に姿を現わした。顔は靄がかかって見えないが、私の首を締めつける彼女の小さな両手から怒りに満ちているのが伝わった。圧迫感はなく、苦しくはない。ただ心は苦しかった。心なんて何度も殺してなくなっているはずなのに。
しょうがないじゃない。
私が生き残るためなんだから。
父のために、母のために、私のために。
あなた1人が犠牲になってよ。
それが嫌なら、もういっそのこと私を殺して。
彼女が寝床に現れるたびに私はそう叫び、それを聞いた彼女はいなくなってしまう。
楠木ひよ子を犠牲にすることで楠木雀は生き続けている。
でも、そこに私という存在はいない。
私の居場所はどこにもない。
そうまでして生き続けて何の意味があるというのか。
存在意義と幸福の定義について、小学生の私が考えてもまともな結論なんて出ないだろうと、私は今夜も心に蓋をして目を閉じた。




