大学、会社設立
1976年、私立大学経済学部に入学した。この年俺は19歳になった。大学1、2年生は一般課程なので午前中に授業がある。ほとんどの学生は同好会に入って青春を謳歌する。クラスに入ると内部進学者は少なく、大学から入ってきた者が多かった。受験勉強から解放させて皆んな楽しそうだ。午後は雀荘に行ったり、それぞれの同好会の溜まり場に行く。体育会には部室があるが、同好会は食堂が溜まり場になっていた。ありとあらゆる同好会があるが、テニスとスキーといったレジャースポーツの同好会が多い。
俺は一切興味がなかった。今は投資資金を稼ぐことが最優先だ。それに私生活では恋人のリリーがいる。そこいらの女が束になっても敵わない。物凄くいい女がいるから、同好会に入ってチャラチャラするなんて、子供のすることのように思えた。
大学生になって時間に余裕ができた。まず新宿の三友銀行に口座を開いた。次に荻窪の山村証券の振込先銀行口座を三友銀行新宿支店にし、荻窪の山村証券の任天堂株式を全て源泉分離課税で売却した。金額が多いので、価格を下げない様に売却してので1ヶ月もかかった。売却金額は約1億8200万円になった。約2500万円の売却益が発生したので20%の課税で差引1億7600万円が銀行口座に振り込まれた。
証券会社は新宿の飛鳥証券に口座を作った。飛鳥証券が証券担保ローンに積極的という理由だ。飛鳥証券新宿支店に三友から1億7600万円を振り込んだ。支店の窓口に行って順番待ちして株式買付をお願いしようとしたら、支店長と営業統括があわててすっ飛んで来た。俺の担当は営業統括の鈴木だった。
「初めまして、支店長をしております渡辺と申します」
「営業統括の鈴木でございます。担当をさせて頂きます」
「織田様、どういったご要望でしょうか?」
支店長が言ってきた。
「任天堂株を買いたいのですが、価格は吊り上げたくないんです」
「場の板の状況にもよりますが、前場寄り付きと後場寄り付きで買ってもらえますか」
「どのくらいの金額をお考えでしょうか?」支店長が聞いてきた。
「そもそも任天堂株の1日の売買株数が少ないですから、価格を上げないように買付できれば、実際のところ買付金額の上限はないと思ってください。一任取引はできないですから前場と後場前に鈴木さんに電話しますよ」
「それから勧誘の電話やパンフレットはいらないので、その点だけは支店の皆さんに周知させて下さい」
「任天堂株の過去のデータを見ますと、1日の買付は1万株が限度だと思います」
鈴木が言った。
「ロットが小さいですが、よろしくお願いします」
俺は頭を下げた。
任天堂株1万株としたら200万円にもならない。営業統括としては面倒くさいだろうな。
支店長と営業統括が、これじゃ全然儲からないじゃないか、と思っているのがわかった。
後日、三友から5000万円を振り込んだ。購入資金は2億2600万円になった。
1977年のある月、俺は20歳になった。
大学1年生のパチンコ収入は6000万円だった。任天堂株式の購入資金は、17600万+5000万+6000万=2.86億万円 になった。大学1年(1976年)の終わりには、全額買付できていた。
1977年の任天堂の株価は1976年から50%上昇しているので、1977時点ので評価額は2.86億円✖️1.5=4.29億円になった。したがって証券担保ローンの限度額(✖️70%)は約3.03億円になった。
飛鳥証券で証券担保ローンを申し込んだ。掛け目70%で、金利が銀行の住宅ローン並みに低利だ。株価変動を考慮して2億1000万円を借りた。1週間で証券口座に入金され、三友銀行に振り込んだ。
デベロッパー最大手の三友不動産の渋谷支店にきた。原宿、渋谷、青山、赤坂、六本木の中古マンションを買うためだ。
1980年代前半まで地価は下落傾向にあった。住宅は購入するより賃貸の方が有利であるとする考えが一般的であった。しかし1980年頃からひたひたと徐々に上昇し始めていた。1977年当時は考えられないくらい、マンションはまだ安かった。バブル当時に上昇した港区、渋谷区、新宿区に絞って購入する事に決めた。当時の3LDKの新築マンションでも二千万円台だった。中古ならばさらに安かった。
まず、南青山第一マンションズ、三田鋼町パークマンションだ、いずれもバブル当時10億円から〜15億円になった物件だ。
いずれも1975年近くの建築で、確か三田鋼町パークマンションは日本で初めてのタワーマンションで、大名屋敷の広い敷地に建てられたははずだ。90平米3LDKの分譲価格は2100万円だったが、バブル当時には13億円に暴騰した。
何とか三田鋼町パークマンションを3000万円、南青山第一マンションズを4500万円で購入する事にした。
マンションを購入する時、不動産会社の営業マンは、小僧が何しに来た、という態度だった。
「はあ〜、本当なのかい?」
南青山第一マンションズの買付では相手にしてくれなかった。当然だ。見た目は新入社員より若い小僧だからだ。
「キャッシュで買いますよ」
俺は三友銀行の預金通帳で2億1000万円の残高を見せた。
「大変失礼致しました。少々お待ち下さい」
営業マンが一旦奥の部屋に入って戻って来た。
「内見しますか?」
「すぐにお願いします」
営業車でマンションに向かった。ロケーション、日当たり、眺望とも抜群の10階南側の110平米の3LDkだった。
「今日、手付を入れます」
俺は即断して言った。
支店に戻って宅建主任者としての説明義務を聞いてから、売買契約書を交わし、手付金100万円を払った。もうこれで俺のものだ。
後日、不動産の会議室で売主との売買契約を交わす事になった。朝一で残りの残金を相手方銀行口座に振り込み、14時過ぎに入金された事を確認後、正式に売買契約書に実印が押された。不動産会社が用意した司法書士に所有権移転登記の委任状を渡し、数日後登記が終わったことを確認した。
後日、三友不動産渋谷支店に電話をした。
「先日、南青山第一マンションズの買付をした織田と申します。この他にもマンションを買付したいので、支店に伺いたいのですが、できましたら今のの担当ではなく、上司の飯田さんにお願いできないでしょうか?」
どこの業界でも顧客のクレーム対応は上司が行うのが通例だ。
「少々お待ち下さい」
「飯田は不在ですので、夕方17時にお越し頂けますか?」
「わかりました」
飯田はデスクに座っていた。部下に顧客の織田について話を聞いてから対応しようとしたのだ。
17時に応接室に通された。20分待たされた。当日の部下達の報告を受け、それから俺のいる応接室に来たのだ。多数の顧客の1人にすぎない俺の評価は低いのだ。
「お待たせしました。ところで本日はどういったご用件でしょうか?」
「先日、南青山第一マンションズを4500万円で購入しました。申込の際に今の担当者に「はあ〜、本当なのかい?」とバカにした態度で言われました。私の年齢と風貌から判断すれば、内心そう思うのは当然です。僭越ですが営業マンたる者が言動、表情に出して顧客を怒らせるのは失格です。
残りの購入資金1億6500万円でマンションを購入したいのですが、営業成績が今の担当者につくのは不本意なので、担当者を替えて頂けないでしょうか?」
「わかりました。担当者のご希望はありますか?」
「飯田部長にお願いできませんか?」
「申し訳ありません。私は担当顧客を持たないことになっています。優秀な営業マンをつけさせて頂きますので、ご納得頂けないでしょうか?」
「わかりました。これが私が購入したい物件のリストです。早急に買付の手続きをお願いしましす」
「承知しました。すぐに着手します」
飯田部長が部下に指示を出して3LDKの中古マンション、渋谷が2500万円、赤坂と六本木がおよそ2000万円、ワンルームマンションを原宿、渋谷、代官山、青山、赤坂、六本木の地区で平均500万円で10戸購入した。
購入の内訳
南青山第一マンションズ 3LDK (使用)
三田鋼町パークマンション. 4LDK
渋谷 4LDK (使用)
3LDK. 赤坂. 六本木
ワンルーム 原宿2戸、渋谷2戸、代官山2戸、赤坂2戸、六本木2戸
合計15戸、購入資金2億1000万円 (賃貸13戸 1億4000万円)
※不動産価格が低いので、賃貸表面利回りは15%〜20%になる。(ワンルームが利回りが高い)
賃貸マンションの家賃収入(2400万円)~管理費ー不動産管理手数料=受取収入
俺は南青山第一マンションズに引っ越す事にした。場所が便利で、広尾ガーデンヒルズが登場するまでは、最もステータスの高いマンションと言われていた。
南青山第一マンションズと渋谷の4LDKのマンションのリフォームを飯田部長から紹介された高級ホテルの内装を手掛けるインテリアデザイン会社に発注した。家具は俺の好みの英国貴族御用達の総革張りのアンティーク家具ブランドのチェスターフィールドにした。
不動産収益物件の管理をする会社を早急に設立する必要があった。まず南青山のマンションを自宅兼事務所にして会社を設立することにした。
株式会社の設立には当時は7人の発起人が必要だった。1990年の商法改正で3人になった。2006年には1人の発起人で設立できるようになり、同時にそれまで1人で設立できた有限会社は廃止された。
俺は会社を自由にしたいので、会社名「有限会社ユージ」を設立した。女性事務員を募集することにした。有限会社の社員は出資者という立場になるので、従業員は契約社員として募集することにした。
4LDKの渋谷のマンションの家具付きの内装が終わったので、リリーはいつ報われるかわからない俺のために、狭いボロアパートに住み、金銭の余裕のある愛人の誘いを断り、俺に尽くしてくれた。俺の一方的な欲求不満を受け止めてくれた恩人だ。いつもの様にリリーの店に行った。物凄い美人のリリーが俺の隣に座ると、彼女の華やかなオーラが俺を包んだ。
「リリー、これを受け取って欲しい」
俺はマンションの鍵を渡した。
「お前のために渋谷に4LDK のマンションを用意した。今まで苦労させてごめんな」
「エッ」
一瞬、リリーが固まった。
「ウグッ、ウウウウウ〜〜〜」
「お客さん、店の女の子を泣かしちゃ困りますよ」
ドスの効いた声でボーイが言ってきた。
「何でもないの、嬉しいからなの!ほっといてよ!」
リリーがボーイを追い払った。
「これで狭いアパートから出れるよ、本当に嬉しい。愛してるわ」
リリーが俺に抱きついてきた。
「2、3日店を休んで、引越しの準備をしよう」
「明日からお休み取るね」
リリーがにっこりと笑った。その日のラブホテルでの激しい情事が終わった後、俺の胸の上に頭を載せた。
「もう離さないんだから」
リリーが呟いた。
「リリー、店の方はどうする?辞めてもいいんだぞ。いずれリリーに店を持たせようと思ってるんだけど、どうする?」
「ユージ以外の男に媚を売りたくないから、直ぐ辞めるよ〜」
「そうか、辞める時は俺も付いて行くから心配するな」
「うん」
リリーは稼ぎ頭で借金はなくなっていた。店側は辞めさせたくなかったが、俺が意識を誘導して理不尽な雇用契約、借用書をその場で破棄させた。
77年、俺が南青山に引越しをして落ち着いてから、両親を呼んだ。大学卒業前に安心させるためだ。事務所であるリビングに通した。
「雄治すごいじゃないか、びっくりしたぞ」
「あんた、なんか悪い事でもしてないわよね?」と二人とも半信半疑だった。
「株で稼いでいるんだ。それから、ここで会社を立ち上げるつもりなんだ」
「そうか、人に迷惑をかけなければいいぞ、頑張れ」と親父が言った。
「そうね、上手く行っている様だからね」とお袋が言った。
誕生日にロレックスを贈っておいて良かったと思った。
想定
※任天堂株式 株たんより 単位万円
投資額 修正単価 修正株数
1971 (中2) 1800 8 225
1972 (中3) 2200 8 275
1973 (高1) 3800 9 433
1974 (高2) 3900 6 650
1975 (高3) 3900 6 650
1976 (大1) 6000 8 売買 17600+5000+6000=28600買付
中2〜高3累計15600売却(売却2600-買付2233)16.4%の利益 2560
受取金額 15600+2560✖️0.8=17600 単価8で買い直し
1977 (大2) 6000 12
1978 (大3) 7000 13
1979 (大4) 7000 12
1980 (23歳) 9000 13
1981 (24歳) 9000 20
・・・・・
1990 高値 2541