制裁
2月になった。朝学校に行って自分のロッカーを開けると、チョコレートが12個積んであった。
(今日はバレンタインデーかあ、お袋にあげればいいか)
(お菓子メーカーも余計なイベントを作りやがって、チョコレートもそんなに好きじゃないし)
(家に持って帰るのも目立つじゃないか)
家に持って帰って、誰が何を贈ったかをメモにした。
翌日から、休み時間に1人づつ笑顔でお礼に周った。
「チョコレートありがとう、まさかくれるとは思っていなかったんで、びっくりしたよ」
「いつも体育の時間の時、応援してくれてありがとう」
これを見ていたチョコレートをもらっていない男子諸君の冷たい視線が痛かった。
気に食わないのがクラスの男子生徒達だ。3月に入ったある日の放課後、関口と高木が帰ろうとする俺の前に立った。
「話しがあるから体育館の裏まで来い」
「逃げるなよ」
面倒だが付き纏われのも鬱陶しいので、体育館裏の学校から見えない場所に行った。関口と高木以外にもクラスの男子やバスケ部の宮下や剣道部の奴もいた。授業で適当に付き合った奴らだが、気に食わなかったらしい。
「お前さあ、生意気なんだよ」
「鬱陶しいんだよ」
「目障りなんだよ」
一斉に殴りかかってきた。一瞬で周りの音がなくなりスローモーションになった。殴ってきた先頭の高木の左側に移動して、伸ばした腕下の脇腹を右手で軽く打って骨にヒビを入れた。ボクシングスタイルをしている斜め左側にいる関口に念動力で移動して左手で鳩尾をやや下から突いた。他の6人は顎に掌底を軽く入れて気絶させた。2秒後、ほぼ同時に全員が地面の上に倒れた。
「ううう、うぇーー、おうぇー、おおおうぇーー」
高木と関口が身体をくの字に曲げて、ゲロを吐きながらもがき苦しんでいた。
「まだやる?」
「やれないよな」
「バイトで忙しいんだ、次にまた来たらこの位では済まないからな」
時間のロスはしたが、トイレに寄った程度の時間だ。今日は気分がいい。
3月のお袋の誕生日の日、予め伊勢丹地下でクッキーを買って帰った。
「お袋、お誕生日おめでとう」
パチンコから帰って、夜食の時にクッキーを渡した。
「ありがとう、バイトまでして稼いだお金でプレゼントしてくれたんだね」
お袋の両目から涙が溢れ出ていた。
親父はケーキを買ってきていた。親父は、うんうんと頷き、俺とお袋を交互に優しい笑顔で見ていた。
ホワイトデーの日、ルミネで買ったチョコレートを持って学校に行った。1人1人丁寧に感謝の言葉を述べて渡した。男子の視線が痛かった。
中学3年生になった。夏休み前、授業が終わり家に帰ろうとすると、関口と高木が俺の前に立った。
「ちょっと話がある、公園で待ってる、必ず来いよ」
なんか、いい事ありそうだな、と俺は思った。
公園に着くと、いかにも暴走族のバイクが5台停っていた。
「石田さん、こいつです」
高木が訴える様に言った。
「よっぽど自信があるのか、ガタイはデカいが強いのか?」
「関口や高木に勝っていい気になるなよ」
「関口と高木は空手の後輩でな、お前にいじめられたっていうから、ここは先輩として弱い者いじめはダメだという事を教えてやる」
バットや木刀、メリケンサックをわざわざ持ってきたのか。完全に暴走族だな。俺の過去世の1人が戦国時代の武将だ、その意識が蘇ってきた。
(こりゃー、楽しめそうだ)
俺は思わず微笑んだ。
「御託はいいから、かかってきな」
周りの音が消えて、スローモーションになった。
5人が俺を取り囲んでめった打ちしようと動こうとした瞬間、一番前にいた石田が右足を踏み込んでくる前に、俺は石田の右側に移動して石田の右足の膝を蹴って関節を砕いた。砕かれた右足から崩れる石田の鳩尾を下から抉る様に左手で打ち、崩れかけた石田の顎を脳の中心にかけてパンチを打った。顎が砕かれた石田の口から血に染まった歯の2、3個が飛んだ。石田は白目をして崩れて行った。
木刀を持った奴が俺の後ろに近づいていたので、少し振り向いて左足で後ろ蹴り、肋骨をへし折り後方に吹っ飛んでいった。身体を回転して右前方2メートルにバットを持って動こうとしている奴に0.1秒で移動して、左手手刀でバットを握った右手の骨を“ゴン”と折り、右頬にパンチ、顎を砕いて口から吐き出される血塗れの歯が飛んだ。 そのすぐ右手にメリケンサックを握った奴がボクシングスタイルをして少し動いたところを、そいつに一瞬で近づき開いている左脇腹の肋骨を”グニュ“と折り、少し前屈みなった顔面を右手で打って鼻を潰した。振り向き様、左3メートル後方にいる奴に向かって飛び蹴り、奴は胸の肋骨をへし折って後方に吹っ飛んで行った。
離れているところに、まだにやけたままの関口と高木に0.5秒で移動して2人の脇腹を軽く打って骨を折った。2人はうずくまり呻いていた。
石田のところに歩いて行き、懐にあった財布から大型二輪の運転免許証を取り出した。他の4人も運転免許証を抜き取った。暴走行為をすれば免許不携帯で免停だ。
石田に近づいた時、奴の汚いオーラに触れた。どうやら俺をボコボコにリンチした後、建設現場の倉庫に拉致してロープで吊るしてサンドバックにするつもりだったようだ。今まで気に食わない奴を5人でリンチして、泣き叫ぶ様を喜んでおもちゃにしてたいたのか、(ふ〜〜ん)。ちん毛をライターで焼いたり、肛門にバットを突っ込んだりして、カメラで写真を撮って、バラすとばら撒くぞと脅していのか。丁度よく新しいオモチャが欲しいところに関口と高木から話があったというわけだ。
「なるほどな、いいね〜。現代の日本でもいるんだな」
俺は、にやけて微笑んだ。
「戦国時代なら簡単に殺せるんだが、今の時代はダメかー、残念だがしょうがない」
戦国武将だった頃の意識で俺は思った。
関口と高木が震えて見ていた。
「お前らも、ああなりたいか?」
2人は首をブンブン横に振った。
俺は高木の口を左手で塞いで、右手で高木の右手人差し指を折った。”パキッ“と小さい音がした。
「ううううー、いいいいー」
高木が大袈裟に呻いて左手で右手人差し指を強く握っていた。
関口が脇腹を押さえながら、後ろに逃げようとしていた。俺は馬乗りになって、左手で関口の口を押さえた。関口が必死に両手で俺の左手を解こうとした。
俺は右手で関口の左手人差し指を”ポキッ“と折った。
「ううううんん〜、ヒイイイ〜」
関口が痛そうに呻いた。
「空手には怪我がつきものだよな?そうだろう?」
高木と関口が頭を、コクコクコクと上下に激しく振っていた。
「じゃあ、黙っとけよ」
「あいつらには、教育して欲しかったらいつでも来い、と言っとけ」
「次は一生バイクに乗れないかもな」
次は・・・・・戦国時代の武将の意識が蘇り、俺は微笑んだ。
俺は無意識に硬気が使える様になってい
パチンコは18歳以上でなければ法令違反だ。当時の運転免許証はラミネート式で、カッターでシールを剥がして写真を俺のに貼り直してボンドでシールを接着し直した。俺はいつも大学生に見られていたが、念のため18歳以上の身分証明書が欲しかった。
3月初旬のある夜、俺が家に帰ると、お袋が血相を変えていた。
「今日大変だったのよ。団地に暴走族がいっぱい来て、エンジンをブンブンふかして、クラクションをパッパラパ〜、パッパラパ〜って、ほんとにうるさくって、後からパトカーが来ていなくなったけど、暴走族って、とんでもない奴らよね」
お袋のオーラに触れると、その情景が鮮明に浮かび上がった。
「織田〜!出てこ〜い!」と大声で叫んでいる奴がいた。石田だった。
翌週の土曜日、多摩地区の幹線道路の歩道脇で俺はシガータバコのMOREを吸っていた。車道に出て、左手でMOREをつまんで、立ち止まった。
100メートル前方の脇の小道から顎にギブスを付けた石田が大型バイクで出てきた。50メートルまでくると俺に気づいた。
「織田あああ!、殺してやる」
「バッバッバ、ブウォーン」
大きなエンジン音を鳴らして、石田がアクセル全開で俺めがけて突っ込んで来た。
俺の右手人差し指が、クイっと動いた。
「グワッシャ〜ン」
大きな音がした。石田のバイクが土砂を一杯に積んだダンプカーに正面衝突した音だった。
「キッキッキッー」
ダンプカーが急ブレーキをかけたが止まらない。バイクは横に吹っ飛んで、手足が変な方向に折れ曲がった石田が20メートル前方にぶっ飛んだ。
「ガタンッ」
「ガタンッ」
ダンプの前輪と後輪が石田の上を轢くたびに音がした。
「キキ〜ッ」
石田を轢いてから、さらに20メートルのところでやっと停止した。石田は即死だった。口から血を吐いている石田の目が俺を見ているような気がした。
俺は歩道に戻りMOREを吸い込んだ。煙をゆっくり吐いてから吸い殻を携帯灰皿に入れた。マナーは守らないとな。
新聞に事故の記事が載っていた。猛スピードでバイクを走行する暴走族の未成年が、反対車線を走行しているダンプカーに正面衝突した記事であった。テレビでも報道されたが、普段から近隣住民も迷惑しており、蛇行運転をして暴走行為を繰り返していたことが報道されて、メディアは死亡事故を起こした運転手に同情的であった。俺はダンプカーの運転手に申し訳ないと思った。
ダンプカーの運転手の自宅に差出人不明の現金書留が届いた。封を開けると10万円が入っていた。同封されたメモには、「集団リンチを受け自殺した息子の親です。些少ではありますが、生活の足しにして頂ければ幸いです」と書かれていた。
運転手の男は、「フーー」と複雑な気持ちで大きく息を吐いた。
俺は予定通り大学附属高校に合格した。
中学時代の収入は、平日が3〜5万円(月間80万円)、土曜日が5〜8万円(月間30万円)、日曜日が約15万円(月間60万円)で合計で月間170万円、夏休みは毎日が日曜日みたいな日なのでこの期間だけで600万円になった。そして中学2年、3年生の2年間で4000万円を超えた。必要経費として1週間に一度、土日のどちらかにパチンコ屋に行く早朝のソープランドに通った。これに行くのが自分にとって何よりのご褒美だった。