望月NY赴任、マジックウィンドウズ社(MD)買収
望月はフィリピンのマスメディアの買収が終わり、フィリピン三友物産の経営企画部長のヘンリーに業務の引継ぎを行った。そのあとの仕事は上司の小川より指示されることになった。まず小川の指示でGS東京オフィスの後輩2名のスカウトを命じられた。2人ともあっさりODA.HDの正社員になることを希望した。望月は織田社長がフィリピンにおられる間に面談を申し出た。
「社長、お時間を頂き有り難うございます」
「なんだ、言わなくてもわかるがな」
「社長のお側で仕事をさせて下さい」
(デカい仕事ができるし、絶対に面白そうだ)
望月は本心でそう思った。
(お前は自分のことをわかっていない、そういう考えが打算なんだ)
俺は思った。
「インペリアルバンク社の東京オフィスで収まる器でないことは始めからわかっている」
「では、俺直属の部下にしてやる。連れてきた2人をつけてやる。お前の待遇を部長にする」
「有り難うございます」
「では3人でニューヨークに行ってもらう。メモをしろ」
「セントラルパークに面したビルを全て買い占めろ。その内の一つはODA.HDのニューヨーク支店にする。トランプタワーは買わなくていい。後が面倒なことになる」
「同時にマジックウィンドウズ社を買収してODA.HDの子会社にしろ。創業者のジム・ゲイトを含めて大株主から市場外取引で買い占めるんだ。88年の時価総額は24億ドル、為替が125円/ドルとして3000億円程度だ。大株主から買ったあとは市場でTOBをかけろ。敵対的買収ではなく友好的な合意の上での買収を行う。従って現在の経営陣、技術開発、社員全員の雇用条件は100%保障する。ジム・ゲイト氏の好きに事業を継続し経営してもらって構わない。現段階でジム・ゲイトに言う必要はないが、マジックウィンドウズ社は、ODA.HDの子会社になった後は、増資、分割、インセンティブ、ストックオプションといった役員、従業員への報奨型株式割当といったものは一切禁止だ。当社の100%出資比率を変更してはならない。この事を念頭に買収を進める」
「買収する株価の上限はどの様にお考えですか?」
「まず、ジム・ゲイト氏の要望を聞いてから考えることにする」
「わかりました」
望月はシンガポール本社に出社し、高山より法人用のクレジットカードと個人用のクレジットカードを受け取った。そして織田社長とリリー奥様のNY滞在に備えて、セントラルパーク近くにあるリッツカールトンの最も高額なスウィートルームの3部屋を長期宿泊予約をした。
シンガポールのODA.HDの小川副社長(就任予定)の指示で、財務担当と人事総務担当のベテラン社員がフィリピンとシンガポールから選抜されてニューヨークに派遣された。派遣後、ニューヨーク支店開設準備室がニューヨークセントラルパーク隣接のビルに設置された。
ODA.HDの取引金融機関はインペリアルバンク社とシティバンクだ。望月はインペリアルバンク社を使うことにした。法律事務所もインペリアルバンク社が委託している事務所を使うことにした。マジックウィンドウズ社がIPOで上場した際の主幹事証券会社がインペリアルバンク社だったのだ。
インペリアルバンク社のニューヨーク支店にとってODA.HDからの注文は大口契約になる。証券部門と不動産部門の責任者と取引をするが、その前にインペリアルバンク社のニューヨーク支店長が望月に挨拶に出てきた。望月が東京オフィスにいる時には雲の上にいる人物だ。一生かけても証券部門のサブがいいところだろう。大口クライアントには支店長であっても頭を下げてくる。この世の中は金のある奴が偉いのだ。ODA.HDは無借金企業なので、金融機関に対して決算書類の開示を行っていない。しかしマジックウィンドウズ社の買収とセントラル・パーク周辺の商業ビル買収にあたって、仲介を依頼するインペリアルバンク社に決算書類を事前に開示していた。
「初めまして、ODA.HDの望月です。社長のODAの意向で、マジックウィンドウズ社買収の仲介をお願いに上がりました。インペリアルバンクはマジックウィンドウズ社の主幹事証券会社でしたね」
「支店長のマーク・ウッドです。仲介をさせて頂くにあたり、少し確認してもよろしいでしょうか?」
「86年の上場前でしたら1億ドル(125億円)で買収できたでしょうが、2年後の現在では時価総額が32億ドル(4000億円)になります。買収となったら市場からのTOBを含めて最低でもこの1.2〜1.3倍の金額が必要になります。その覚悟はありますか?」
「ODA社長は当然ご存知です。ジムゲイトさんの意向を最大限に尊重して、友好的買収をお願いします」
「証券担当部長のベーカーです。よろしくお願いします」
「次にセントラルパーク隣接のビル取得についてですが、1棟の高さが50メートルから300メートル、1棟あたりの買収金額は5000万ドルから2億ドルくらいだと思います。ODA様が取得するビルのご希望をどのようにお考えですか?」
「ODAは東京の一等地の商業ビル100棟以上を保有しています。しかしODAは東京は行き過ぎたバブルだと考えております。ニューヨークの一等地の地価は東京の7.6%にすぎません。東京の商業ビルを売却して世界の中心であるニューヨークの商業ビル投資を計画しています」
※日本不動産鑑定評価協会「世界地価等調査結果」平成6年 1993年 商業地土地価格 円/m2
一般 % 最高地 %
東京 5750000 100 19000000 100
ニューヨーク 577828 10 1442271 7.6
「差し当たり、ニューヨークへの不動産投資予定金額は、最低でも100億ドル(1兆2500億円)、取得予定のビルは50〜100棟を考えております。セントラルパークに隣接しているビルならば全て取得します。インペリアルバンク社さんは、どのくらい仲介できますか?」
「大変失礼致しました。誠心誠意全ての仲介をやらせて頂きます」
「こちらとしては、モルガンさんとコンペをしてもいいのですが、インペリアルバンク社にマジックウィンドウズ社の買収をお願いするので、一緒の会社が都合がいいと考えました。私どもの期待を裏切らないで下さい」
「かしこまりました」
「不動産部門の責任者のウィルソンです。よろしくお願いします」
「ウィルソンさん、マップで具体的なターゲットの確認をしましょう」
望月が主導権を握った。
(気持ちがいい、インペリアルバンク社のお偉いさんに対して、こういう態度で仕事ができるなんて最高だぜ)
望月はほくそ笑んだ。
「敷地面積が狭くて、鉛筆みたいなビルばかりですね」
(4〜5棟を更地にして大きなビルにしないと社長が好きな最上階に庭園はできないぞ)
「まず公園の北側で南に公園の全貌が見渡せるビルを買収します。費用は高くても構いません。そこをODAのニューヨーク支店のビルにします」
シンガポールODA.HD本社 ODA社長室
「ニューヨークの望月部長からお電話です」
「もしもし」
「望月です。マジックウィンドウズ社のジム・ゲイト氏との買収についてですが、ODA社長に直接会って話がしたいとのことです。社長、ニューヨークに来て頂けませんか?」
「わかった、リリーと行こう。リッツカールトンのスィートルームを取っておいてくれ。ビルの取得の方はまだか?」
「支店事務所用にセントラルパーク北側にあるビルのワンフロアを借り上げしました。所得予定のビルについては5棟の買収の段取りが進んでいます」
「ゲイトさんとの面談予定が決まり次第連絡をしてくれ、時間の都合をつける。電話を小川さんに繋げるから、ニューヨーク支店開設の話をしてくれ」
「この電話を小川副社長に繋げてくれ」
「かしこまりました」
マジックウィンドウズ社は86年に本社をワシントン州レドモンドに移し、新規公開をした。俺と望月とインペリアルバンク社のベーカーがマジックウィンドウズ本社を訪問した。会議室にはジム・ゲイト社長、COO、OS担当の副社長、共同創業者で悪性リンパ腫で83年に退職したポール・ジョンソンが待っていた。会議室に入ってきたODAが淡い優しい光を放っていた。マジックウィンドウズ社の4人が息を呑んだ。
「わざわざシンガポールからお越し頂きましてありがとうございます。望月さんから条件などをお聞きしていますが、直接お会いしてお話しを伺いしたかったので、失礼とは思いましたが、望月さんにお願いしました」
「前々からお会いしたいと思っておりました。どうぞお気になさらないで下さい」
「望月さんから、当社についての分析を聞きました。その上でなぜ当社にM&Aないし出資をされようと思ったのですか」
「専門家への説明は省きますが、「Toolbox」を整備 している他社はアプリを使う汎用性、パソコン同士の接続が容易なLAN機能に優れて、MD(マジックウィンドウズ社のパソコンソフト)は現在のところ大きく劣後しています。売上が伸びているのは、営業マーケティングの重要性を認識して売上を伸ばしているからです。一方利益を捻出するために役員報酬を低くしています」
「本来なら、商品開発のスタッフをスカウトして他社を凌駕する商品を開発したい。役員の報酬も上げたい。しかし利益を圧迫してすぐに赤字に転落してしまう。そうお考えではないかと失礼ながら想像しました」
「当社が役員の報酬を本来あるべき金額をお支払いし、ジム・ゲイト社長にプライベートジェットを支給します。また開発予算についてはゲイトさんの希望に沿う金額を用意します。しかしそれをするとマジックウィンドウズ社は瞬く間に赤字となり株価は暴落するでしょう。しかし当社ODA.HDが現在の時価の1.1倍で買取します」
「しかし、これでは買収する理由をお話ししていませんね。本当の理由はたった一つです。ゲイトさん、貴方が欲しいんです。貴方は特別な天才です。必ず大きな事をやり遂げる人物だと、私は確信しています」
「ジム!騙されるな!聖者かなんか知らないがペテン師野郎の言う事を聞くな」
「ポール、この場面に君を呼んだのは、君が大株主という事もあるが、君の病気についてもODAさんの意見を聞きたかったからだ!」
俺はポール・ジョンソン氏を正面から相対した。
「ジョンソンさん、1982年、29歳の時、免疫系に影響を与える癌であり、不治の病と言われているホジキンリンパ腫と診断され、治療のために83年に会社を退職しているそうですね。でも今は劇的に症状が改善しているそうですね」
「そんな事は探偵を雇えばわかる事だ!」
「その診断は誤診です。リンパ節の炎症であることは確かです。しかし治療のために放射線治療をしましたね。通常のリンパ腫にも有効だから表面上は治った。しかし放射線治療によってリンパ腺のDNAが損傷して、将来に非ホジキンリンパ腫(びまん性大細胞型B細胞性リンパ腫)と診断され、ガンも併発してしまう可能性が高まっています」
「くだらん寝言を言うな、俺を脅迫するのか。何が聖者だ!」
「貴方はコンピュータが大好きだ。例え不治の病の悪性リンパ腫であっても、本当は会社を辞めたくなかった。しかし、親友のゲイトさんは友人をサポートするどころか、ジョンソンさんはいかに非生産的になっているか責められていた。貴方は、ゲイトさんと副社長が、ジョンソンさんの株の持分をいかに減らすかを相談している2人の会話を偶然耳にして、1983年2月にマジックウィンドウズ社を退社する事を決心した」
※ ポール・アレン著の自伝「アイデア・マン」の内容より
「ああああ」
ポール・ジョンソンが口をパクパクして動揺していた。
「ポール・・・」
ジム・ゲイトが副社長の顔を見た。
「ポール、俺に説明させて欲しい」
「皆さん、少し退席します。少し待ってて下さい」
ジムがポールを別室に連れて行った。
「ポール、すまなかった。俺もどうかしてたんだ。今のままでは他社に負けてしまう。あの時期はとにかく売上を伸ばさなくてはダメだった。俺の独善的で利己的な行動だった。すまなかった」
「まあ、いいさ。力不足を自分でも感じていたから、もういいよ」
「本当に買収に合意知るつもりか?」
ポールが聞いた。
「このままでは、会社はいずれどこかに買収される。俺に任せてくれ、いい条件を引き出してみせる」
「わかった。ジムに任せるよ」
「ありがとう」
「お待たせして申し訳ありません。買収には合意します。しかし、いくつか条件を付加させて下さい」
「聞きましょう」
「買収は時価の1.1倍ではなく1.3倍にして頂きたい、会社が赤字でも役職員の報酬を2倍にして、今いる役員が60歳になるまで物価スライドで報酬の上昇を保証すること、マジックウィンドウズ社の株式を役員全員が60歳になるまでODA.HDは他社へ転売しないこと、以上です」
「こちらからも条件を出します。
1、TOB終了後に上場廃止となりODA.HDの100%子会社になりますが、以後役職員に対して成功報酬としてインセンティブ的な株式譲渡を報酬対象にしない。
2、取締役会議決議の内容を事前にODA.HDの許可を受けること、特に株式増資、分割、併合はODA.HDの事前認可が必要です。
3、ジム・ゲイトさんはODA.HDと競合する企業に転職、また独立して会社を設立してはならない。
以上です」
「それだと私だけ一生ODAの社員のままです。報酬が2倍では納得できません」
「ゲイトさん、その件は2人でお話しします。失望はさせません」
「ODAさん、私からもいいですか?」
ポール・ジョンソンが聞いた。
「貴方のお話しだと、私はいずれ悪性リンパ腫が再発してガンも併発してしまう。私の病気の治療をお願いしたい」
「貴方の治療は、リンパ液の組成そのものを治療しなくてはなりません。全身の細胞、骨髄に至るまで、問題のある細胞を特定して、除去し、新たに再生治癒しなければならないでしょう。私でも大変苦労する施術です。それなりの治療費を頂きます」
「自分の余命が少ないのは覚悟しています。よろしくお願いします」
「では、簡単なことだけ、今やっておきましょう」
「首と足を見せて下さい」
ポール・ジョンソンが上半身の上着を脱いだ。首はリンパ節で膨れていた。会議室にいる全員の視線が集まった。
高密度の光がODAの右手からアレンの首に照射された。みるみる腫れが引いていった。
「すごい」
ゲイトが呟いた。
「上着を着ていいから、今度はズボンを脱いで下さい」
アレンの両足が象の足のように膨らんでいた。
「ポール、この足で歩いていたのか」
ゲイトがビックリして、痛ましい視線をポールに向けていた。
両足に光の粒子を流して、腫れたリンパ節を治癒してリンパ液の流れを治していく。本来は体外に排出されるべき溜まったリンパ液が皮膚の汗の線からどんどん滲み出てきた。空中に排出された黄色い液体の球体が大きくなっていった。リンパ液である。
「バケツを持ってきてくれ」
ゲイトから連絡を受けた社員がバケツを持ってきた。黄色い液体の球体が静かにバケツに入っていった。
両足の腫れがみるみる引いていった。アレンが自分の両足を凝視していた。
「応急処置として、光の粒子を全身に流します」
ポールの全身に光の粒子が流されていった。椅子に座ったポールが恍惚の表情になった。
・・・・・
「応急処置は終わりました」
「ついでに近眼も治しておきましょう」
ポールの両目に手が置かれて、光が注がれた。
「ゲイトさんも近眼ですね、一緒に治しておきましょう」
ゲイトが椅子に座った。両目に光の粒子を流して近眼を直した。
「メガネを取って周りを見てください」
「ODA様、メガネがなくてもはっきり見えます!」
ゲイトが叫んだ。
「ポール、起きろ!」
ポールがズボンを下げたまま恍惚の表情で寝ていた。
「なんだ、人が気持ちよく寝ているのに」
「えええ」
ポールがズボンを履いた。
「お前、今メガネしてないぞ」
ゲイトがいった。
「ええええ、俺もメガネなしでよく見えるぞ」
ジム・ゲイトの社長室
俺はゲイト氏にもう少し詳しく説明した。
「現在のマジックウィンドウズ社の売上は2億ドルほどです(200〜250億円)。利益は普通の会社なら赤字転落してしまいます。現在の報酬の2倍は破格の待遇なのはご理解できますね。ゲイトさんの将来についてですが、会社の業績に応じた同種企業の最高水準の報酬を支払います。その場合、社外の報酬委員会を設置して客観的に報酬を決定します。それでよろしいですか?」
「買収後の報酬についてですが、現在はゲイトさんの現金報酬は13万ドル(約1600万円)、COOは22.8万ドル(約2850万円)でしたね、副社長の2人は40万ドル(5000万円)、ゲイトさんは60万ドル(7500万円)にします」
「マジックウィンドウズ社の株式の買取株価を80ドルにします。時価の1.14倍です」(※マジックウィンドウズ社の株価は上場時の20ドルが88年当時70ドルに上昇した)
「そうして頂けるなら、問題ありません」
「ODA.HDにおける私の立場はどうなりますか?」
「子会社の社長ですが、ODA.HDにおける役職は次長待遇になります。他の副社長は課長です」
その後株式市場でTOBが80ドルで行われた。事前のマジックウィンドウズ社の業績予想が赤字に転落すると公表されると、株価下落を嫌がった株主は公開買い付け(TOB)に殺到して、TOBはあっという間に完了した。市場ではマジックウィンドウズ社買収はODA.HDによる過大な買収であったと報じられた。
※マジックウィンドウズ社買収によりジム・ゲイトが手にした株式売却資産の想定
マジックウィンドウズ社の88年当時の時価総額 27.6億ドル 3443億円
M&Aによる買収金額 約4000億円
ジム・ゲイトの受取金額想定(保有比率45%) 1800億円 14.4億ドル
ポール・ジョンソンの受取金額想定(保有比率20%) 800億円 6.4億ドル
※マジックウィンドウズ社の年表
1981年 IBMはIBMパーソナルコンピューターを発表し、マジックウィンドウズのMS DOSを搭載し始めた。
1983年 MD Wordが発売。
1985年 MD Excelが発売。
同じく1985年 MDソフトが発売。
1986 年3月 13 日に上場、株式公開に際して200万株を新規に発行、79.5万株を既存の株主が売却し、株式公開後の株式数が2,471万株になると記載されている。申請時点で一株当たり$19.69という株価が仮に設定されていた。この株価を適用すると株式公開によって会社が調達する金額は約$39M(約49億円)で、既存の株主が売却する分の価格は$15M(約19億円)になった。
一株約$20で株式公開後に2,471万株あるとすると、この申請書を作成して時点での想定の時価総額は約5億ドル(約625億円)になった。1985年の7月から12月の半年間で売上が$85M(約106億円)、経常利益(Income Before Income Taxes)が$29M(約36億円:利益率34%)、純利益が$17M(約21億円)とな単純に年換算すると、売上が約$170M(約210億円)ある状態で株式公開をした。マジックウィンドウズ社の1株あたり利益が 1ドル 10 セントだったことを考慮すると、 業界標準の株価収益率 (PER)15 をかけると16 ドル 50 セントになる。売上を見ると前年同期比+50%というペースで成長し営業利益率は十分高く、過去四年間をさかのぼっても非常に大きな黒字が出ている会社であることから投資家の評価が高く、売出価格が約19.69ドルに設定された。
売上を100とした場合のそれぞれの費用の内訳を1985年の下半期の数字を示すと下記になる。
売上 100 原価 22 R&D(製品開発費) 10 営業・マーケ 29 管理 8営業利益 31
営業利益率が31%と非常に高く、製品開発にかけるお金の3倍ものコストを営業マーケティングに費やしていた。当時はアプリケーションを販売する場合には家電量販店などの小売に頼るしかなく、パソコンメーカーへのマーケティングフィーなどが発生している可能性が考えられた。相当な技術の会社であるだけではなく、営業マーケティングの重要性を十分理解し実践していた会社だと言える。
主力商品のMDの最初の製品が発売された時は1985年だが、既にGPUを有する他社商品に大きく見劣りするものであった。尚、MDが現実的に使えるシステムになるのは、1990年のMD3.0の時である。




