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7 妹と幼馴染










 ピンポーンと間の抜ける機械音が響いた。

 俺はリビングのソファに寝っ転がった状態で、その音を聞き流していた。

 

 今日は休日。

 珍しいこともあるもので、妹が自分の友人を家に招くとのこと。

 今のインターフォンの音は、彼女の友人の来訪を告げるものだ。

 

 兄は家を空けた方がいいのでは、と聞いてみたところ、寧ろ居てくれないと困るなんてよくわからない返答をされてしまったので、仕方なくリビングでダラけている紅夜さんです。休日サイコーだな。


 妹の友人にしてあげられることなんて、何も思いつかないのだが、本当に俺はこの家に居て良いのだろうか?

 いざとなったら、隣の家に避難することまで考えておこう。


 翠が玄関へと向かう。

 ドアの開く音、そして翠のはしゃぎ声が聞こえてきて、少し時間が経ってからトントンと足音が近づいてくる。


 誰に見られても恥ずかしくないよう姿勢を正して、翠の友人とやらを出迎えようとして。


「…………おはよ」

「あ、はい。おはよう」


 すんごい見慣れた無表情の美人さんに挨拶をされました。


 …………もっかい顔洗ってこよ。





「で、どったのさ?」

「勉強をしようと思って、先生を呼びました」


 何もおかしなことはありませんよ、と澄ました顔をする翠。今日もうちの妹がとても可愛い。


「…………なぜ?」

「なぜと言われても…………兄さん、私これでも受験生なんだけど」

「いや、お前頭いいじゃん。まだ三年になったばっかで志望校は白野兎だろ? ぶっちゃけ、今受験してもお前なら合格すると思うんだけど」


 人によっては、もう受験勉強をしなければ間に合わないッ! と勉強を始めるタイミングなのかもしれないが、翠は何事も下積みをしっかりと行うタイプだ。

 発作的に勉強会を開くようなタイプでも、ましてや一夜漬けでどうにかするようなタイプでもない。

 要するに、彼女は単純に優等生なのだ。


 そして、白野兎高校は特別、勉学に力を入れている高校というわけではない。

 特進クラスという別次元に頭の良いクラスが一つ設けられていることを無視すれば、寧ろ受験生にとっては優しい部類に入る高校である。


 因みに、俺と藍夏も勉強は結構できる方だったが、白野兎を選んだ理由は家が近いからだった。多分、この妹もそれは同じ。数ミリぐらい兄が居るからなんて理由が含まれてたらいいなぁ、なんて思ったりしなかったり?


「今受験しても合格する、は私を上に見過ぎじゃない?」

「いや、白野兎を下に見てる」

「行く気失せるからそういうこと言わないで」

「ごめんなさい」


 ジト目の妹に平謝りする様を藍夏が、どこか優しさの帯びた無表情で見ていた。結局、無表情なのは変わらないのね、貴女。


「……ま、勉強を教わることが半分建前なのは事実だけど。私、ここ最近は藍夏さんと話してなかったしね」

「そういうことなら、お兄ちゃんは出かけてこようかな」

「戯言を抜かすな」

「え、戯言を抜かすなって言った?」


 兄はお前をそんな言葉遣いの荒い子供に育てた覚えはありませんよ。


「私も兄さんに育てられた覚えはありません」

「それもそっすね。で、俺はどうすりゃいいの?」

「藍夏さんのおもてなし。私、お菓子買ってくる」

「勉強は? せめて配役逆じゃない?」

「藍夏さんの相手嫌なの?」


 思いっきり思考を読まれていたことはスルーするとして、翠が言い出した妄言について考えよう。


「今、妄言って言った?」

「言ってない」


 はい、そこ。

 兄がコレだからなぁ、みたいな顔するんじゃない。俺も思ったから。


「藍夏の相手が嫌なわけあるか。端から地獄まで付き合う所存だぞ」

「……な、ぁ? ぇ?」

「ほら見ろ、こんなに可愛い――っと、でもな、翠が呼んだ客なら相手が誰でも翠が相手すんのがマナーってもんだろ? 菓子なら俺が買ってきてやるから、適当に駄弁ってなさい」

「そういうことじゃないんだけどなぁ……というか、藍夏さんは褒められると手が出る癖まだ抜けきってなかったんだね」

「俺が避けれるように成長したから問題ない」

「どこまで甘やかすつもりなの、兄さん。よくない所出てるよ」


 わかってるよ。

 そんなことは言われなくても。


 会話の途中に死角から飛んできたグーパンチは、手を傷つけないように優しく受け止め、勢いを完璧に殺してあげました。


「……わかった。じゃあ、お菓子を適当にお願い」

「はいよ。気遣いの心だけは貰っとくわ……藍夏も寛いでくれていいからな、今更かもしれないが」

「…………手、放して」

「おっと、忘れてた。相変わらず綺麗な手してんなぁ」

「…………」


 いつもより、無言の圧が凄かった。

 耳だけ真っ赤にして、無表情で俺を真っ直ぐ見続ける彼女の目が限界を訴えていたので、それ以上の追撃はせずに大人しく手を放す。


「じゃ、ちょっと出かけてくるわ」

「あ、飲み物もお願い」

「はいよー」


 ポケットに財布を突っ込んで、買い物バッグを片手に家を後にする。

 偶には二人で話をするのもいいだろうと、コンビニではなく徒歩15分ほどのスーパーへ向かうことにした。




 ✳︎




 私の兄はよく損をするタイプの人間だ。

 薄雲翠は、自身の兄を一言で表すのならばそのように評する。


 良く言えば面倒見が良い。

 悪く言えば情に甘い。

 生きるのが下手くそな人だと心底思う。


 昔、藍夏さんと私が出会ったばかりの頃、私は彼女のことが嫌いだった。

 どう考えても、彼女は兄の負担でしかなかったからだ。


 兄が藍夏さんを見捨てられないことをわかっていた幼い頃の私は、一度、彼女に強い言葉を投げかけたことがある。

 そのとき、私は兄が惚れ込んでいる藍夏さんの本質に気がついたりもしたのだが……まあ、この話は今関係ないよね。


 何が言いたいか、といえば。



「ごめんね、藍夏さん。兄さんと二人がよかったでしょ?」

「そ、そんなことない。翠ちゃんとも話したいことは沢山あるよ」

「そう? ならいいや。兄さん居ないときの藍夏さん、わかりやすく可愛いから好き」

「私も翠ちゃんのこと大好きだよー」

「無表情のときだって、根っこは何にも変わってないから好きだけどね。寧ろ、色んな感情を頑張って抑えてるの見ると愛おしくなる」

「……こういうとき、翠ちゃんって大人しく見えても、こ、紅夜君の妹なんだなぁって実感するよ」

「心外だなぁ」



 今、私たちは大の仲良しだということなのである。


 あー、藍夏さん可愛い。

 サイドにまとめて流したサラサラの髪も、白く透き通るようなすべすべの肌も。

 ささやかな化粧は、されど目一杯丁寧に。

 沢山考えて決めたのであろうその装いは、清純さを崩すことなく、同時にラフな雰囲気を感じさせるものだった。

 多分、デートというわけでもないのに、気合が入り過ぎているって思われたくなかったんだろうなぁ。


「兄さんは幸せ者だよねー」

「い、いきなり何言ってるの!?」


 こと、このことに関しては、兄さんへは羨望の念しかなかった。私も藍夏さんみたいなお嫁さん欲しい。残念ながら、私はこれまで恋愛感情を自覚したことがないんだけどね。


 まあ、可愛らしい姉ができると思えば、良くやったと言いたくもなるのだが、それはそれ。

 しばらくぶりだねー、と一頻りわちゃわちゃと騒いでから、お互いの近況報告をすることに。

 私にとって藍夏さんは兄のことは置いておいても、個人的に姉のように慕っている相手だ。

 藍夏姉さん、なんて呼んでみたいと思ったこともあるのだが、それにはまだ少し時間がかかりそうである。



「そういえば、先日は兄さんの看病をしてくれたようで、ありがとうございました。恥ずかしいことに、藍夏さんへの連絡を思い出せるほど余裕が私にはなかったので。結局、学校を休ませてしまったみたいで申し訳ないです」

「……そんなこと言わないで。翠ちゃんが頑張ってることは私も知ってる。それに、その……か、看病も、全然嫌じゃなかったし」


 顔を真っ赤にする藍夏さん。

 僅かな沈黙を挟んだ。


「…………襲ってないよね?」

「襲ってないよ!? って、私、襲う側だと思われてるの!?」

「兄さんが藍夏さんを傷つけるようなことするわけないじゃないですか」

「ひ、否定できないけど……そこまで言い切られるのもちょっと恥ずかしいね」


 えへへ、とはにかむ藍夏さん。

 この通り、兄が陽キャモードと称する彼女の状態は凄まじい破壊力を誇る。

 いったいどれだけの人を虜にしてきたのだろうか。やっぱり、あの兄はもう少し痛い目を見た方がいいと思う。


「……最近、兄さんが楽しそうにしているんですよ」

「…………? 良いこと、だよね?」

「はい。多分、藍夏さんと話すことが増えたからだと思います……何かあったんですか?」


 感情表現のわかりやすい兄さんの機嫌の良し悪しを判断するのは、簡単なように思えて、案外難しい。

 常に飄々とした態度を取っているのは、彼が本心を外界に晒したがらないからである。

 前に親から聞いた情報によると、幼い頃から兄は我儘を言わない子だったらしい。まあ、これに関しては、私も似たり寄ったりらしいのだが。


 そんな妙に面倒臭い兄が素直に接している珍しい相手が、私と藍夏さんの二人だ。

 多分、両親にも同じように接しているのだとは思うけど、親と子の関係という前提がある以上、それはまた別の枠な気がするので割愛。


 結局のところ、兄は最近、柄にもなく浮かれているのである。

 誰にでもわかるくらいには、らしくもなく。


 私が何かをした覚えがない以上、その原因がどこにあるのかはあまりにも明白なわけでありまして。


「そ、そっか……私と話せてるから……そっか」


 この食べちゃいたいくらい可愛い姉(仮)が何かをしているのだと、私は推測しているのである。


「まあ、厳密には会話になってはいないみたいだけど」

「態々、それ言わなくてもよくない!? わかってるよ、もー!」


 藍夏さんが上手にコミュニケーションが取れているのだと勘違いしないように、釘刺しだけは忘れない。

 満面の笑みで会話しろ、とまでは言わないが、極端に無言にならなくてもとは思うのだ。

 本人たちがそれで満足なのだとしても、周りの空気が死んでいることなんて、ざらなのだろうし。


「……私は何もできてないよ」


 藍夏さんは視線を落とし、その意味を噛み締めるようにして言葉を溢す。

 けれど、私が何かを言う前に彼女は顔を上げて、真っ直ぐにこちらを見た。


「まだ、何も出来てない。だから、翠ちゃんには見てて欲しいの」


 鮮烈なまでに強力な意志の光が藍夏さんの瞳の奥に宿っていた。

 向かい合う私たちは、その場の空気に呑まれていて、互いのこと以外に注意を向ける余裕なんてなかった。


「私、紅夜くんから離れて、ちゃんと一人で自立する! ……それが、彼の隣に立つための第一歩だと思うから」


 宣誓、或いは退路を消すための意志表明。

 勇気を振り絞って覚悟を示した藍夏さんを、私は心の底から応援してあげたくなった。



 ――の、だが。



「ただいまーっと。超暑かっ――――へ?」



 はぁ、とため息。

 こめかみを手で押さえた。


 ドサッという乾いた音が宙に掠れ消えた。

 それは丁度、家に帰ってきた彼の持っていた買い物バッグが床へと落下した音だった。


 ほんっと間の悪い人だ。

 我が兄ながら、二、三回地獄に落ちた方がいいのではないだろうか。多分、地獄でも生き抜く程度のしぶとさは持ち合わせているはずである。

 藍夏さんがまさか、という表情で恐る恐るリビングの入り口へと顔を向ける。

 そして、そこに立っていた兄と藍夏さんの目が合った。


「――――」

「……………………」


 地獄のような空気がリビングに満ち渡った。


 無言のまま、藍夏さんが席を立つ。

 そして、そのまま流れるような動きでリビングを出て、更には薄雲家から出て行った。


 余りにも早い帰宅である。

 

「――――」


 あっという間の出来事に、私は色んな感情が置いてきぼりにされる感覚を味わっていた。

 リビングには和気藹々と話をしていた形跡など微塵もなく、ほんの数秒でよくここまで空気を入れ替えられるものだといっそのこと感心しそうになる。

 問題から目を逸らして、どうでもいい現実逃避をする程度には目の前の面倒ごとに関わりたくない妹であった。


 姉(予定)が立ち去り、リビングに残されたのはこれまた何故か呆然としているアホ


「…………兄さん、今、どういう状態?」


 仕方なく、ため息混じりに声をかける。

 それは、もしかしたらこの騒動の果てに彼らの関係が納まるべきところに納まってくれるのでは、という楽観的で希望的観測の込められた声掛けであった。


 乙女の告白を聞いたのだ。

 逆に進展の一つや二つあってくれなきゃ困る。

 そう考えた私だったが、こちらの思惑を悠々と超えてくるのがうちの困った兄さんである。


「す、す、翠……!」

「はいはい、なんです?」

「藍夏が、藍夏がっ!」


 珍しく、本気の焦りを多量に含んだ兄の声。

 数秒後には、すんごい勢いで詰め寄られ、肩なんかも掴まれてしまう始末である。

 近い近い近い。これ、私以外にやったら普通にセクハラものだからね?


「じ、自立して、俺から離れるって意気込んでたんですけど、あれ何!? 遂に本気で嫌われたか、俺!?」


 ……なんで、前半部分しか聞いてないわけ? しかも、ニュアンスが酷い方に変わってるし。


 事情を察し、年に一度するかしないかの『うわ、くっっっそ、面倒くせぇ』の顔を浮かべた私は悪くないと思う。


 


 







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