30 幼馴染と球技大会(6)
「「…………あっ」」
球技大会2日目の放課後。
手持ちの水分がなくなったため、校内に設置されている自動販売機にやってきた所で、珍しい相手と遭遇した。
周囲を見渡してから、ぺこりと会釈をする。
全く同じような動きが返って来た。
「……水もお茶もスポーツドリンクも売り切れですよ」
「ありゃ、マジですか。まぁ、然程意外なことでもないか……」
三つ並んでいる自動販売機のラインナップを確認する。そのほとんどの下に『売り切れ』と赤文字が浮かんでいた。
よく見ると、意外にもこちらへ話しかけて来た彼女の手元にも財布だけがあるのみで、どうやら目的の飲み物は手に入らなかったようである。
「その難しそうな顔は?」
「喉の渇きを潤すために、缶コーヒーを買うか悩んでいただけです。先輩はどうするつもりですか?」
「……限界ってほどでもないから、帰りにコンビニでも寄ろうかなと」
「なるほど……賢明かと。横着しても良いことはありませんか」
はぁ、と嘆息。
普段の三割増しにやさぐれ感の強い彼女の様子に、それも仕方ないことだよなぁと勝手に納得しておきながら、やることもないのでその場から離れることを決める。
「それじゃあ、俺は帰るけど……水分取らずに倒れたりはしないようにね」
「ええ、お気遣いありがとうございます。では、また図書室で会いましょう」
「……あい、また図書室で」
そうして図書委員会の仕事でペアを組んでいる後輩と別れた俺は、溜まっていたスマホの通知に気がついた。
「――ッ! ようやく、本命が釣れたか」
吉報といって良い。
これで最後のピースが集まった。
もはや秋野が仕掛けた策については、瓦解したと見て問題ないはずだ。
対外的な意味合いを含めて、藤堂颯を味方に引き込むことに成功した時点で勝敗は既に決している。
故に、その吉報とは最後の一手に必要となる情報を指していた。
回復ではなく、反撃でもなく、相手を詰ませに行く攻撃のための一手。
その準備がこれで完全に整った。
✳︎
「……負けた」
「みたいだな」
むぅ……と、少し不満そうな無表情を浮かべる幼馴染様を左側に置き、帰り道を共にする。不満そうな無表情ってこれなんぞ。気にしたら負けである。
「楽しかったか?」
「……ん」
「それが一番だよ。お疲れさん」
ぽんぽんと彼女の頭に左手をのせる。
飛び出してきたグーパンを、頭を撫でていた手でそのまま受け止めて、するりとお手を拝借。
「よーし、このまま帰るか」
「…………ッ!? ま、待って、その――」
「却下です。今日はこっちに付き合って貰う」
「……ひゃ、い」
最近は中々、彼女との時間を取ることが出来ていなかった。主な原因がこちらにある、というのは理解していたが、それはそれとして着実にストレスが溜まっていたのが現実である。
幸いなことに、既に楔を打ち終えた。
だからといって校内で大っぴらに幼馴染様へと絡むつもりは無いのだが、神経質になり過ぎる必要もあるまい。
時折、にぎにぎと悪戯に手を動かしたり、その度にビクリと肩を固まらせる彼女の姿に笑みが止まらなくなってしまったり、なんてこともありながら、のんびりと雑談を続けて下校する。
「久々に……本気で、動いた気がする」
「それは同感。機会がないと、とことん動かないものだよなぁ……ちょっと危機感を覚えるぐらいに」
「……ランニングとか……する?」
「…………んー、祝日の早朝とかなら、要検討って感じ」
「……走るなら言って」
「了解しましたよ……って、藍夏が自主的に運動するってのは珍しくない?」
「…………思ってたより、体力落ちてたから」
「なるほど?」
運動についての会話から、自然と話題は藍夏が負けたと言っていた試合へと移る。
試合は点を取られては取り返してと接戦のまま終盤までもつれ込む展開となったとのことだったが、明暗を分けたのはチームとしての戦い方の違いだったそうな。
『天使ちゃん』を中心としたチームワークを武器に勝ち上がって来た一年生チームに対して、我らがクラスの女子チームはぶっちゃけ藍夏頼みのワンマンチームといった印象が否めなかった。
結果、こと運動においては藍夏の唯一の弱点と言ってもいい体力不足によるスタミナ切れが致命打となり、終盤戦にて一気に点差を突き放されてしまったのだと。
「にしても、アレが噂の『天使ちゃん』か。話には聞いてたけど、本当に懐かれてるみたいで安心したよ」
「……可愛いよね、月見さん」
「まだ何も言ってねぇよ」
月見さん、という自慢の後輩が居るのだという話は以前より、幼馴染様の方から聞いていた。その少女が校内で『天使ちゃん』と呼ばれている人物と同一であることも。
「だって……その、可愛いし」
「確かにそれは否定しない」
「…………」
「握るな痛い黙るのやめい怖いから!」
美的感覚は一般的な方である……と少なくとも自分では思っている。
だから、どれほど俺が藍夏以外に興味がないとしても、件の月見さんの見目が整ったものである、という意見に対しては同意を挙げる他にない。
「可愛いだけの人なんて幾らでも居るだろ。そもそも、見た目の話をするなら、涼風だってあの後輩ちゃんと変わらないレベルな気がするんだけど」
「え、すずにも手を出すつもり……?」
「やっべ、墓穴掘った。誰か助けて……!?」
じと、という非難の目。
俺の慌てた様子を見て、珍しく彼女はくすりと口元を綻ばせた。
「冗談」
「……知ってる」
「嘘つき」
「それも、知ってる」
とん、と肩をぶつけられる。
一歩分、距離の近づいた彼女の横顔は、恥ずかしさを誤魔化そうとしているのが全く隠せておらず、それがどうしようもないぐらいに愛おしかった。
「……薄雲は、まだ頑張らないといけないの?」
「さてね……翠に見られて恥ずかしくないぐらいには頑張ろうとは思ってるけど」
「シスコン」
「悪いかい?」
「…………別に嫌いじゃ、ないけど」
「え、今、俺のこと好きって言った?」
「言ってない」
気がつけば、俺の左手を握っていた彼女の右手から余分な力は抜け切っていた。
表情こそ全くの無であるのは変わりなしだが、今の彼女がリラックスしている状態であるのは容易に見て取れた。
なんとびっくり、無意識の間に鼻歌なんて歌ってしまうぐらいの自然体である。何この子、超可愛いんだけど嫁にしたい。
幼馴染様の横顔に見惚れていたせいで、コンビニに寄る予定をすっかり忘れていた。まぁ、後悔などはない。
少しでもこの幸せな時間を味わっていたくて、不自然になるギリギリ一歩手前ぐらいのペースで歩みを進めていたのだが、嫌でも終点はやってくる。締切とはいつだって非情なものなのだ。
「まぁ……頑張るか、頑張らないかは置いておくとして、だ」
「…………?」
宮城家の前にて立ち止まる。
繋いでいた手を離してから、中身のないふわっふわの決意表明を、彼女の心配に対する答えとして返すことにした。
「我ながら今日は凄え頑張った。頑張りました。そんで、超疲れた。だから、明日については――まぁ、何か適当に良い感じなれば良いなぁ、とか思ってる……そんな感じ」
向けられたその優しい眼差しに、試しにちょっと甘えてみようか、なんて悪戯心が目を覚ます。
「だから元気くれ。ざつーな応援とかでも可。建前ってことにして、名前呼びとかしてくれてもいーのよ?」
茶化しながらも、真面目な彼女はこんな無茶振りに対しても何かしらを頑張ってくれるのだろうなぁ、なんて考えてしまうのは付き合いの長さが故か……はたまた、彼女のことなら何でもわかっている、なんて気色の悪い自惚れの精神が俺の思考に染みついているのかの、どちらかか。
昼間の一件で思考がダークサイドに落ちやすくなっていることを自覚して、本当にどうしようもない奴だなとつい呆れてしまった。
そんな、どうでも良い自虐を頭の中に浮かべていた。
だから。
その対応が、遅れた。
「……………………おつかれ、さま」
「――ぇ?」
温かい。
その熱は、全身を包み込んでいた。
緊張から僅かに掠れた声は、耳元のすぐ近くから聞こえる。
ふわりと靡いた髪が肌を擽る。
一瞬の抱擁。
こちらが呆然としている間に藍夏はパッと離れては、直ぐに背を向けて自宅のドア目掛けて猛然と全力疾走を開始する。
「――ッ!? ちょ、っと待て、藍夏さん!?」
「ま、待たない! うるさい! ばいばい!」
「……あ、はい。ばいばい、また明日?」
脱兎の如きうちの幼馴染の逃げ足がアホほど速い。
それはもう追いかけようという気力すら削ぎ落としてくるレベルであった。多分、世界とれるぞ、あの子。
というか、律儀に別れの挨拶なんてものを投げつけて来られると、こちらも全力で手を振り返してしまうのでやめて貰いたい。おかげで兎を取り逃した。
「…………なんか、アレだな……うん、アレだ」
ぼうっと惚けたままの思考で、足を我が家へと進めつつ、ポツリと一言つぶやいた。
「世界救えそう気がするぐらい元気出た」
「何言ってるの、バカ兄さん」
丁度、買い出しに出かけようとしていた妹に変な目を向けられたが気にしない。多分、妹もいつも通りだと気にしていない。さては末期ですね?
✳︎
「要するに、大雑把に言ってしまえば『現状に満足していないから』というのが二人の動機になるのかな?」
「……私はそれでいーよ? そっちは?」
「……少しだけ、違う。俺は、あれ以上あいつがでしゃばって来るのが、どうしても許せなかっただけだ。本当に『現状』ってのが変わらないのなら、何も文句はなかった。だけどよ、緩やかで、けど確実に起ころうとしていた変化を俺は見過ごせねぇ」
「……難しいことを考えるのが好きだねー、秋野君は……さて、質問ばかりされるのもフェアじゃないし? 私たちにも教えてよ。どうして、あなたが私たち側に立っているのか…………正直、悪巧みが得意なイメージは無かったけど、ねぇ? 委員長さん」
「……あ、やっぱり気になる? 柄じゃないよね、こういうの。理由は簡単――頼まれたからだよ。『宮城藍夏は球技大会でMVPをとった相手に告白をする予定だった』なんて根も葉もない噂を校内に広めるように、ね」
夕暮れ時。
放課後の仄暗い教室にて、彼女は妖しさの残る笑みを浮かべて回答する。
普段の快活で溌剌とした姿とはかけ離れた陰を感じさせる声音で。
「ふふっ、よくわかったね? 驚いちゃった」
秋野傑と百瀬あずきの目の前で、委員長と呼ばれた彼女――水嶋雪羽は微笑んだ。




