29 幼馴染と球技大会(5)
こっそり、ひっそり一話だけ。
一年と少しぶりの投稿です。
幼少期の記憶。
遠い昔、そこには無邪気な顔で将来の夢を語る友人たちがいた。
希望に満ち溢れた未来を語り合う賑やかな彼らに囲まれて、どうしてか自分の口だけが全く動かなかったことを今でもふと思い出す。
夢を、願いを、望みを。
自分の中には存在しない「宝物」を抱えた彼らのことを、心の底から応援をしてあげたいとそう思った。
大人にとっては微笑ましい空想を描いた言葉であっても、彼らにとってソレは何よりも輝いて見えるものだと知っていたから。
しかしながら、往々にして望みというものはそう簡単に叶わないものだらけだった。
人は手に入れることが困難であるから願うのだ。手を伸ばさねば、掴めないからこその夢なのだ。
誰もが欲しいと祈るような『価値』というものは、きっと誰にでも与えられるものではないから、輝かしいものなのだ。
ただ一つの願いを叶えるだけで全ての物語が円満に終わるのであれば、それでいい。それはきっと愚かしいほどに幸せな物語だろう。
けど、残念ながら現実はそこまで優しい世界じゃない。
歪んでいる。捻くれている。
悲観的過ぎると呆れて果て、自嘲したことは数え切れない。
別に何も巷にありふれているサクセスストーリーの全てが嘘であると、そう断じるほど捻くれているわけではないのだ。
ただ、全てを運に任せられるほど、自分自身の幸運を信じられないというだけの話。
人は生きているだけで他人を傷つける。
この世界の凡ゆる物が有限である以上、意図したものではないとしても目の届かない所でリソースの奪い合いは必ず生じてしまう。
それは世界の摂理であり、そこには善も悪も存在しない。言ってしまえば一つの機構に過ぎない。
けれど、一度知ってしまったのならば、気がついてしまったのであれば、黙って退くことなどできやしなかった。
願いに順序はつけられないし、そもそも未来を選ぶのは俺じゃない。
わかっている。十二分に承知している。
この我儘が取るに足らぬ些事であることなんてのは今更考えるまでもない純然たる事実だ。
――その上で。
足掻くと決めた。
何も知らないまま遠くのどこかであの輝きが壊れてしまうぐらいなら、他の何を賭してでもその尊き夢を守り抜くと誓ったのだ。
端から"全て"は諦めている。
一人の願いが叶ってくれるのなら、他はどうなっても構わない。そして定めた生き方を後悔したことは一度もなかった。
人生の価値に貴賤はない。
そんな考えを綺麗事だとは思わない。
寧ろ、ご尤もだと賛成してみせよう。
故に。
美しく、尊く、優しい夢や素晴らしい願いごとにありふれたこの世界には――「だから、どうした」と迷いなく自分の為に他人の夢を踏み潰せる人間こそが、相応しいと思うから。
どうしようもなく我儘で、健気な君のことを愛おしく思ったんだ。
✳︎
端的に言ってしまえば、その瞬間まで、俺は藤堂颯という人間を利用価値のある外敵としか見ていなかったのだろう。
そもそもの話、校内一のイケメンとか警戒対象でしかないよねって話でもある。
まぁ、蓋を開けてみれば、あの子はただの顔がいいだけの不審者だったのだけど。
基本的にお人好しで、気が弱く、真っ直ぐな性格をしている無垢な少年――まるで、誰かに守られ続けてきたかのような純粋さを保ち続けていたその人は、余りにも魅力的な駒に思えた。
騙すか、脅すか。
何をやっても、どう扱っても、簡単に盤面を掻き乱すことができる。それぐらいの極上の素材。
だからこそ、あいつが本当に『良い人』だと気づいてしまったことは、俺にとって本意ではなかったといえるのだろう。
誰かの思いを大切にしてあげたいと、心からそう感じたのは随分と久しぶりのことだった。
それぐらい屋上で聞いた彼の独白は、既にほとんどを彼女に捧げた俺の心の残り滓を揺さぶるに余りあるものだった。
「……悪いな、颯」
遠くの方で、聞くに耐えない弁解の声が聞こえた。騒然としている観衆も呆然と立ち尽くしているクラスメイトの顔もよく見える。
キリキリと頭の奥の方が軋むような感覚、心のどこかが擦り減っていくような感覚を――罪悪感という名の痛みを延々と受け続けているのは、目の前に広がる光景が引き起こされると分かっていながらも止めなかったからだ。
「……それじゃ、サクッと収拾をつけに行きましょうかね」
涼風とは既に別れた後だった。少し前に藍夏と共にグラウンドから離れた姿をきちんとこの目で確認してある。
重たい腰を持ち上げて、ゆっくりと歩き始める。当然、行き先はざわめきの中心地。
手をあげられないのが不思議なくらいの圧力を、真正面から受け止めながら歩き続けること十数秒。
言葉を紡ぐ度に、颯の怒りに油を注ぐことしかしない彼らの態度を心底哀れだと思いながら、俺は佐藤某こと秋野傑と対峙した。
「何やらやけに騒がしいけれど、困り事でもあったのかい、秋野君?」
さも何も知りませんよといった態度を取って軽く煽りつつ、挨拶をする。
フランクに笑顔で話しかけてやったというのに、秋野は怯んだように頰を引きつらせていた。なんとも失礼なやつである。
「……何の、用だよ」
掠れた声に覇気はない。
周囲の仲良しサッカー部なお友達さんも元気そうには見えない辺り、既に颯から相当の説教を受けた後なのだろう。
「――用事、ね……秋野君には特にないかな。俺はただ颯を呼びに来ただけ」
声色は努めて変えないように。
騒動には何一つとして興味がないのだと。
呑気で鈍感で、敵意なんて微塵も抱いていない善良な愚者を演じてみせる。
相手の心を折る際に、敗北を告げるその瞬間に、必ずしも痛快な勝利や鮮烈な逆転劇が必要なわけではないのだから。
「なあ、颯? 今、特に忙しくないならさ、浮き玉のトラップのコツでも教えてくれない? 走りながらだと一気に難しくなるんだけど、何なのアレ。付け焼き刃じゃどうにもならんわ」
何気ない普段の会話と何も変わらないそんな一言で颯の瞳の色が変わる。
らしくない威圧感などは直ぐに引っ込み、険しかった表情も少しだけ困ったような笑みに変化していた。
「…………うん、わかった。トラップのコツ、だね? 任せてよ!」
笑顔を向けてくれる彼を前にして自分が正しく笑えているのか不安になったが、ここまできて「やっぱ止めます」は通じないだろう。
不必要に騒いだりはせずに、颯を連れて集団の外へ向かう。意外にも秋野たちが絡んでくることはなかった。多少の暴言は予想していたため、拍子抜けといったところだ。
「……怒らなくても、よかったんだぞ?」
「……もし立場が逆だったなら君は黙って見ていたの?」
「当然。俺はバカじゃないからな」
「嘘つきも大概にしときなよ」
「それが買い被りすぎだって言ってんだ」
本当に酷い買い被りもあったものである。
全てを理解した上で、俺は颯の友人関係を意図的に破壊したというのに。
「ありがとな、颯」
「……どういたしまして」
理解していた。
藤堂颯は優柔不断な人間だと。
藤堂颯は臆病な人間だと。
藤堂颯は調和を好む人間だと。
そして何よりも――先に挙げた全ての性質を即座に否定し、抗い、上回るほどの狂気的なサッカーバカであることを、俺は既に知っていたから。
「――ッ」
込み上げてくる吐き気を抑える。
それは颯に対する罪悪感からじゃない。
「……中途半端にも程がある」
「…………え、何か言った?」
思わず、口から溢れた本音。
「……いや、めちゃクソに疲れたって文句垂れてただけ」
「運動不足なんじゃないの? もっと鍛えないと!」
「インドア派の帰宅部陰キャに何求めてんだよ……」
自嘲と共に、最高級の軽蔑を自身へ送る。
全ての選択を自らの意思で行なっているというのに、今更、常識人ぶって罪悪感なんてものを覚えている自分自身が本当に気持ち悪くて仕方がなかった。
✳︎
「なんで、アイツが……」
「どうすんだよ、コレ」
「知らねぇよ、俺らのせいじゃないだろ」
「は? 自分だけ逃げようとするなって。もう誰とかいいから、早く謝りに行こうぜ」
「謝るって言っても……そもそも、なんで颯がアイツを庇ってんの? 俺、何も知らないんだけど。喧嘩してんじゃねえの、あそこの二人」
周囲が騒がしい。
騒めきの収まらないグラウンドの片隅で、秋野傑は今にでも溢れ出そうになる怒りの感情を必死に抑え込んでいた。
怒りの矛先は当然、あの陰湿ストーカー……ではなく、自分自身に向いている。
負けた。敗北した。
完膚なきまでに打ちのめされた。
押し寄せる敗北感に、彼は両手に自然と力が入り込む。
秋野傑の生き方の芯でもあった一つの領域。
絶対に譲れないはずだった土俵。
『天才を利用する』
その一点において今回、彼は完全に敗北を喫していた。
舐めていたのだ。
周りからの評判も、実際に目にした風格も、何一つとして恐れるような相手ではなかったから。
自惚れていた。
今まで失敗なんてしたことがなかったから。こんな性格の悪い人間が、自分の他にいるとは思いもしていなかったから。
卑怯だ。狡い。
颯のことを何だと思っているのだと。
そんな文句は全て自分へと跳ね返ってくる。
当然、糾弾できるはずもない。
観衆の前で彼へその疑いをかけた時点で、彼の思惑を理解できたことを皆に知られた時点で――同時に、秋野傑は彼と同類であることが暴露されることになる。
それは秋野にとって致命的な一手だ。
大多数に嫌われない努力と、選んだごく一部に好かれる努力を気付かれることなく続けること。
それが秋野にとっての処世術だ。
その生き方以外を彼は知らない。故に彼に打てる手は既になく、状況は既に詰んでいた。
「おい、秋野! これからどうすりゃいい!? お前だろ、最初にコレ考えたの!」
もう無理だ、と。
失敗したと言ってしまおうかと考えた。
一番欠けてはいけないものが、奪い取られてしまっていた。
多少強引な誘導だったとしても、これまで秋野傑がクラスメイトたちを統率できていたのは、全て『これは颯のためになることだ』という大義があったからだった。
その颯が向こう側についてしまったのであれば、全ての前提条件が崩れ落ちることになる。
「なぁ、秋野! 黙ってねぇで、何か――」
「――ッ!」
思わず、声を荒げそうになった。
考えればわかることだろ、とか。もっと自分で考えろ、なんて言葉が。
これまで散々、彼らの思考を誘導してきたのは自分だというのに。
気がつけば、秋野の本能は散々周りを煽っておきながら、責任を取ることすらせずに逃げ出しそうになっている。
自己嫌悪の加速が止まらなくなりそうになった頃合いだった。
「えー、なんかめっちゃ空気悪くない? 勝ったんじゃないの、皆。お疲れ様って言いに来たんですけどー?」
「ほんとだ、何このお通夜状態。何したのー?」
「喧嘩一歩手前ぐらいで笑う。熱くなってるねー、君たち」
颯たちとのやり取りを見ていなかったと思われるクラスメイトの女子たちが、空気を読まずに間に入ってきたのだ。
その結果、いつしか充満していた険悪な空気は、何処かへと消えてなくなっていく。
態々、事情を知らずに球技大会を楽しんでいる彼女らの気分も落ち込ませる必要はないと考えたのか、それとも女子に対して自分たちの醜聞を教えることが出来なかったのか。
正確な理由はわからないが、秋野にとっては幸運なことに、問題の先送りには成功していた。
「はい、お疲れさま。で、どうしたの、この状況」
「…………詳しくは後で話す」
「……! わかった。私も丁度、用事があったから放課後に話そう」
秋野に話しかけて来たのは、彼の所属するサッカー部のマネージャーでもある百瀬あずきという女子生徒。
彼女は秋野にとって不思議な存在だった。
本心の掴みにくさ、という点においてはあの男やその友人らしきメガネと同等の印象を受ける彼女もまた、俗にいう『人気者』の一人だった。
宮城藍夏が何故か懐いているあの涼風美鈴のように、コミュニケーション能力に癖があるわけではない。
どちらかと言えば、自分と同じく腹に一物を隠し持っているようなタイプである。
そうでなければ。
華やかで、人望があって、自らの力のみで輝ける彼女が――秋野傑の共犯者であり、藤堂颯と宮城藍夏が付き合っているという最初の噂を広めた張本人であることの説明がつかないのだから。




