28 幼馴染と球技大会(4)
球技大会 二日目
全身を襲う筋肉痛に顔を顰めつつ、恐らくは同様の痛みを澄ました顔で堪えているだろう藍夏と二人並んで登校する。
つまりはいつも通りの朝である。
強いて言えば、球技大会を頑張っているからと翠が少しだけお弁当を豪華にしてくれたことが特別なぐらいだ。うちの妹がただただ優しくて、兄ちゃん感動で泣きそう。
「顔」
「はい」
シャキッとしなさいと叱られたので、ゆるゆるになった表情筋を元に戻す。
ついに会話が単語でしかなくなったけど「顔、キモい」とか言われるよりは百倍マシだと思うので気にしない。
やばい、想像しただけでも泣けてきた……さっきから俺泣き過ぎじゃない?
「……痛いの?」
「んー、そりゃぼちぼちね。けど、偶には健康的で良いんじゃないか?」
「…………」
こくん、と可愛らしい頷き。
カタカナではなく、平仮名表記の擬音であるのが彼女の可愛らしさを表す際のミソである。
所作の所々から会話を咀嚼しながら、というのが見て取れるのが微笑ましいところだ。
「……見過ぎ」
「あら、失敬。そっちは?」
「…………普通」
「そっか」
ほんの少しだけ回答を渋った様子から見ると割と辛いのが本音といったところか。見栄を張れる元気があるなら問題は無さそうだ。
「バスケ、明日まで残れるといいな」
「……」
コクッという頷き。
彼女が楽しめているなら本当に良かった。
いつも通り、言葉数は少しだけで。
だけど、やっぱりこの時間は幸せに満ちている。
「……薄雲」
「……! ……ん、どした?」
口を開いてから、二度三度と唇を持ち上げては下げ、数秒悩んでから一言。
「……頑張って」
目が合って、感情の色が伝わる。
言いたいことがないわけではないのだろう。その上で彼女はきっと「仕方がないなぁ」と諦めてくれているのだ。
本当に甘えているのはどちらの方なのか、それがわからなくなるような感覚に気恥ずかしさを覚える。
「――ん、頑張るよ」
目一杯の笑顔で返事をしてみれば、彼女はふいと顔を逸らしたのだった。
✳︎
「あ! おはよう、二人とも」
「おはよう、藤堂君」
「おう、おはようさん、颯」
教室に入った俺たちを颯が笑顔で迎えてくれた。全身から伝わるこの大型犬感よ。顔の良さも相まって、大勢から慕われているのが納得でしかない。
颯は女神様モードの幼馴染様の微笑みを直視し、一瞬だけ思考を固まらせたようだったが、すぐに気を取り直して「今日も頑張ろうね」と人好きのする笑みを浮かべ直す。
……根が陰の者寄りだもんなぁ、顔の良さにキョドるのは許してやろう。
藍夏がいつもの友人たち――真面目ちゃんと勝気ちゃんの二人組――に呼ばれて離れていくと、颯に薄らと残っていた緊張が解けたのがわかった。
そんなに警戒しなくてもあの子めちゃんこに優しいから、俺しか殴らないんだけどね。
「今日は応援に行くからね、紅夜」
「あれ、颯さんってば卓球は?」
「昨日負けに負けたからもう試合が無いんだよ! 態々、言わせないでくれる!?」
「冗談だって。応援頼むな」
予想通り、というのは少し失礼かもしれないが、卓球に出場した颯はボコボコにされてしまったようで二日目からは自分の試合が無いとのこと。
俺や藍夏はチームが勝ち進んでいるため二日目も試合を楽しむことが出来るが、既に負けが決まってしまったチームの生徒は別のチームの応援に回るか、教室で自習するかの二択を迫られることになっている。基本的にこの学校を受験している者にはお祭り騒ぎを好む傾向があるため、自習を選ぶ生徒の数はそう多くない。
必然的に試合が三日目に近づけば近づくほど観客の人数は多くなっていくというわけだ。
「MVPを取りたいなら今日からが本番だね」
「……? ああ、そうだった。それもあったな」
「それもって……この前も思ったけど、あの噂のこと気にしてない感じ?」
「今回の球技大会、俺の最大の目標はお前が出られない分だけ楽しんでサッカーをやることだ。後から突然生えてきた噂話なんかに振り回されてる余裕はないし、その予定もないよ」
「……そっか。うん、良いと思う。折角のサッカーだからね、楽しむのが一番だよ」
何度も頷きを繰り返すサッカー星人を微笑ましく思いつつ、何気ない会話を続ける。その最中、気取られぬように教室内の空気を確かめた。
無関心が3割に困惑が5割、残り2割が強烈な敵意といった具合か。
まぁ、嫌がらせをした(ということになっている)俺と被害者の颯が延々と仲良くしているのだ。涼風みたいな特殊事例でもない限り、疑念やら困惑やらと多少思うことがあるというのは想像に易い。
「……はぁ、嫌われたもんだなぁ」
そんなにジロジロ見られると照れちゃいそうなんだけど、なんて下らないことを考えられる程度の余裕はあるので気にしない。
「何か言った?」
「いや、大したことじゃない」
首を横に振ったところで、誰かが俺の背中を叩く。中々の衝撃に驚いていると聞き慣れた軽薄そうな男の声がする。
「へい、親友の俺を置いて仲良くしてんなよな、お二人さん」
「いきなり出てきて気色の悪いこと言うな」
「あはは……超辛辣! 絶好調だな!」
「何で佐竹君は笑顔なの……?」
「変態だからじゃねーかなぁ」
「じゃあ、しょうがないね」
「藤堂さん!?」
颯も随分とクソ眼鏡の扱いに慣れたものである……まぁ、このアホが藤堂が絡みやすいよう弄られ方に気を遣っているからなんだろうけど。
「お? なんだよ、そんな熱ーい視線を向けちゃって。俺が居なくて寂しかったのか〜?」
「……うちの幼馴染に真正面から喧嘩売るとか勇気あるな、お前」
「うっそだろ、宮城さんの嫉妬センサーって男にも反応すんのかよ……」
ベタベタと肩を組んでだる絡みを始める佐竹だが、すぐに言いようも得ない悪寒を感じたらしく、速やかに距離を取ってくる。
やや呆れ顔をしているのは、彼女に対してのものなのだろうか。それとも、藍夏の反応を見ても平然としている俺に対してか。
「どっちもだ。どっちも! 君たち本当にお似合いだな……」
「照れるなぁ」
「皮肉に決まってんだろ」
彼のげんなりとした顔を見るのは、割と珍しいことだった。飄々と食えない態度で、根本的に世界を舐め腐っているのが佐竹という人間だ。一応、悪口ではないつもりである。主観的評価ってやつだ……ほんとだよ?
そのまま三人で適当に時間を潰していると、教室の前のドアが開いて目に生気のない担任教師が入って来た。
余りにも似合わないジャージを着ているナル先生の雰囲気は信じられないほど、どんよりしていた。
「はい、おはよう。ぼちぼち席つけよー」
大人しく指示に従う生徒たちを無感情な目で見届けて、静かになった教室で彼は気怠げに話を始める。
「えー、とても喜ばしいことに我々のクラスは男子サッカー及び女子バスケの両チームが二日目まで残ることが出来ているとのことです。応援したい人は他クラスの生徒に迷惑かけないように各自マナーと良識をもって燥ぐように。先生的には、怪我さえしなけりゃなんでも良いので、そこだけ気をつけて楽しんでください…………他に言うことは、多分ないな。何かあったときはそのときに知らせます。他に連絡事項ある人? いない? じゃ、解散で。程良く頑張るんだぞー」
クラス全員の心が『『『適当だなぁ……』』』の一言になったのは言うまでもないが、アレは自分の発言でクラスの団結力を増してやろうなどと殊勝なことを考えるやつではないので、勘違いしてはいけない。
担任から解散の許可が出たことで、生徒たちは直ぐに思い思いの行動に移る。
友達の元へと駆けていく者、颯爽と教室を飛び出し厠へ走り出した者、更衣室へ向かう女子たちに、彼女らのことなど気にも留めずに着替えを始める男子たち。
総じて結果、騒がしくなった教室の中で俺に手招きをする人がいた。
「薄雲君、ちょっとだけ時間貰えないかな?」
「……大丈夫だけど、教室で話しかけてくるのは珍しいな」
暗めの茶髪を肩口あたりまで伸ばしている快活そうな少女――委員長こと水嶋雪羽だった。その隣では金髪の白ギャルさんが品のある微笑みを浮かべている。
「……それは私なりの気遣いなんだけど」
「いつも助かってるよ、ありがとう」
「出来ることなら『そんな配慮必要ない』って言って欲しかったかなぁ……」
ジト目になる委員長から視線を逃がすと、むむという唸り声が聞こえてくる。見かねた榊さんが委員長の頭を撫でると、ものの数秒で彼女の機嫌がなおった。榊さんのママ力が凄い。
「さて、その気遣いを無駄にしないためにも、まずは場所を変えようぜ」
「はーい。体育館裏でいい?」
「普段なら良いけど、今日明日はダメです。教室より人居るわ」
「冗談だってば」
適当な場所ね……最近、人目を避けて話す機会が多過ぎて、そろそろ候補が減ってきたんだよなぁ。一年の頃にサボり魔だった時期があってよかった。ここまでサボりスポットを網羅してる生徒はそう居ないだろう。
「……球技大会中だしな。特別棟でいいか」
「きゃ〜、私、このまま人気のない所に連れ込まれちゃうの〜?」
「ぶん殴るよ?」
「本当に殴りそうな声音やめて」
相変わらずテンションの高い委員長を連れて教室を出ていく。
その直前、ふと視線を感じたので振り向いてみたが、そこには佐藤君(仮)に話しかけている派手めな女子生徒の姿があるだけだった。
✳︎
今日は俺たちの三回目の試合が始まる直前に、藍夏たちの試合が行われることになっていた。
せめて試合の頭部分だけでも観戦できれば、と颯と眼鏡を連れて体育館へと向かったわけだが、そこに異様な光景が待ち受けていた。
まだ決勝戦からは遠く離れた試合であるにも関わらず、目の前で繰り広げられている女子バスケの試合の注目度は過去最高に高まっていた。
それと言うのも――
「うわぁ……『女神様』やっぱ別格だな」
「いや、別格って程でもないだろ! 俺、容姿だけなら月見ちゃんの方がタイプだし」
「ちゃん付けはやめとけ。普通にキモいぞ」
「いいんだよ! バレてねえし、例えバレても『天使ちゃん』なら笑って許してくれるさ!」
「きっっつ」
「キモいより傷ついたんですけど!?」
とても単純な話で――
「頑張って、宮城さん!」
「負けるなー、月見ちゃーん!」
学年の顔と言っても過言ではないほどの知名度を誇る二人の生徒同士の直接対決が実現したからだった。
「ふふっ、言われてますよ、『女神』先輩」
「もう……怒るよ、月見さん。今度、デザート一つ減らしちゃうかも」
「あ、それは困ります。もちろん、冗談ですよ。わかってるとは思いますけど」
熱狂の中心に居るのはバスケ部でもなければ、ましてや運動部ですらない家庭部所属の美少女たち。トントン、トンと少しばかりの間、コートの中心にて藍夏は一定のリズムでボールを遊ばせる。
目が合って、二人は笑みを交わした。
「髪、シンプルにまとめても可愛いね」
「私も先輩のお団子姿好きですよ」
ふと今思い出したかのように、互いに見慣れぬスポーティーな格好なんかを褒め合った直後、藍夏が仕掛ける。
歓声が上がり、悲鳴が上がり、息を呑む者もいれば野次を飛ばす者もいた。
「……っ!? はっや――」
自分を慕ってくれている数少ない後輩の前で格好悪い所は見せていられないと、普段の三割増しになったやる気をもって藍夏が月見のディフェンスを突破する。
応援していた二年生たちが騒ぎ出すと、その場にいた一年生たちは張り合うように「負けるな」と声を張り上げた。
「……っと。よし」
月見を抜き去った勢いそのままに藍夏が危なげなくゴールを決める。そして相手ボールになった途端、攻守が一転して切り替わった。
「月見ちゃん!」
「ありがとっ! 皆、反撃行くよー!」
その愛らしい微笑みを崩すことなく『天使ちゃん』と呼ばれたその少女はチームメイトに声をかけながらドリブルを始めた。
圧倒的なカリスマ性で皆の先導となる藍夏に対して、多くの者に寄り添い皆の背を押し続けるのが月見という少女の役柄である。
何度もパスを繋ぎ、着実にゴールへ近づくと、最後は月見が3ポイントラインの一歩半ほど後ろの位置から見事なシュートを決めてみせた。
早速、注目されていた二人が活躍したことに、観客全員のテンションは加速度的に跳ね上がって行く。
その様をベンチメンバーが座るコートの脇で体育座りをしていた涼風がアホを見る目で眺めていた。ちまっとしていて非常に可愛らしい。もう怪我するんじゃないよ。
「色々と、凄い試合になりそうじゃねぇか?」
「『天使』だの『女神』だの、何言ってるのかはわからんが、楽しそうだから大丈夫だろ」
「うわぁ……平常運転すぎでしょ、最高かよ」
「情緒不安定か?」
どこか愉しげに熱戦となっている試合を観ていた佐竹に思わずため息を吐くとそれを見て彼は益々笑みを深める。全く本性が隠せていない。
「そろそろ時間だな。グラウンド行くか」
「あいよー」
「あと、お前はもう少し真面目に試合しろ」
「あはは、前向きに検討しとくわ」
これまでクソ眼鏡が必死になっている顔を一度も見たことがないため、文句をつける。もはや、ただ拒否を示す言葉になりつつある返答を聞いて、再びため息が溢れる。
「…………颯? 行かないのか?」
「……ぇ、ぁ…………わ、わかった! もう行くよ」
俺と佐竹の話を全く聞いていなかったらしい颯は慌てて俺たちに着いてくる。
随分と集中して試合を観ていたようだったが、何かあったのだろうか?
……まあ、今は余計なことに気を回してる時間はないな。
しっかり昨日と同じように頑張らなければ。
✳︎
さてはて、俺や佐竹に特筆すべき活躍があったわけではないが、さらっと三度目の試合を勝ち上がることができましたこちら野郎チームです。
なんだかんだで次が準決勝なのだから、割と頑張っている方だろう。
準々決勝から試合時間が伸びたこともあり、二日目の野郎組の出番はこの一試合だけ。
つまり、今俺がバテバテになってグラウンドの隅で突っ伏していたとしても問題はないということだ。
「…………ぁぁ、死ぬ……ふつー、に死ねるわ。何なの、この競技……きっっついなぁ」
ぜぇ、はぁと息を切らしながら暫くの間、その場で大人しくくたばっていると、余りの無様さを見兼ねたのか、涼風がタオルと◯カリを持ってきてくれた。
「はい」
ぽい、と顔の上にタオルを落とされる。
「……おー、助かる――って、これ、藍夏のか」
「どうしてわかるの?」
「匂い」
「なるほど……? ん……あまり、わからないわ」
罵倒されるのではなく、素直に納得されるとどう反応するべきか困る。
タオルの匂いを確かめるために涼風が一瞬、かなりの近距離まで顔を近づけてきたが、最早彼女はこういう小動物であるという認識が根付きつつある俺に動揺はない。
「プレゼントらしいわよ」
「洗濯して返すって伝えておいてくれ」
「自分で言いなさい」
「言うと思った」
よいしょと上半身を起こして、涼風が持ってきてくれたポ◯リを頂こうとした時だった。
「――なんで!?」
声が聞こえた。
少しだけ離れた場所から、ここ一週間でよく聞き慣れた誰かの――それも、初めて耳にする明らかな怒気を孕んだ大声が聞こえた。
一瞬にして、周囲一帯の空気が凍りつく。
「今日もかよ」「意味がないのに」「玩具扱いに気づかないのか」「バカすぎる」「格好悪い」「ダサい」「みっともない」などなどたっぷりetc。
そんなありふれた悪意の数々を丸ごと切り捨て吹き飛ばすほど、覇気の込められた非難の声がその場に響いていた。
「――なんで! なんでっ!!! あんな、何の意味もない…………ただチームメイトに嫌がらせをするためだけの、最悪の試合が出来るの!?」
確かな怒りの念とそれ以上の悲痛さを感じさせる声の持ち主へ周囲からの視線が集中する。しかし、その圧力に対して度々隣人から『ヘタレ』と評されるその青年は一歩として退く様子を見せなかった。
調和を守り、均衡を保ち、争いを厭う平和主義者な好青年。これまで、一貫してそんなスタンスを取り続けていたクラスの中心人物が激昂している。
「…………あー、畜生…………」
「……?」
重苦しい曇天。湿気を含んだ生温い風が吹き抜けては、遠くの方で葉擦れの音が生まれた。
計画通りだ――心底吐き気がする。
そんな言葉は口に出さず、大人しくペットボトルに口をつけた。




