27 幼馴染と球技大会(3)
「……あー、負けた負けた。流石に、付け焼き刃じゃ話にもならないよねー」
体育館の外。
ひっそりと存在する水飲み場で顔を洗い、熱冷ましに頸なんかを冷やしてから、コンクリートで舗装された地面へと座り込む。
周囲に人影はない。
祭りの喧騒の中、静けさが際立つ暗がりのことを好ましく思っていた。
初夏を過ぎ、夏を迎える準備が始まる梅雨前のこの季節。火照った頬に風が当たるその感覚は独特の心地良さに溢れている。
しばらくのんびりしたい気分ではあるものの、自身を取り巻いている現状を思うとこんな場所で油を売っている余裕はないだろう。
「……紅夜の方はどうなったかな?」
颯は最近できた友人のことを考えていた。
自身の卓球の試合とクラスメイトが出場するサッカーの試合の時間が重なってしまい、練習を共にした紅夜の応援に行けなかったことは颯の心残りになっていた。
一人つぶやいた疑問の声。
こんな辺鄙な場所を訪れる人なんて居ないとばかり考えていた颯にとって、その返答は想定外のものだった。
「2ー1でアンタのクラスの勝ち。少しは練習の成果が出たんじゃないの? 私を放置した甲斐があったみたいで良かったわね」
「………………はぇ?」
「何よ、その間抜けな声と面」
「ぇ、ぁ、いや、待って? ちょ、あの……何で居るの?」
颯の思考に乱れが生じる。
動揺が顔に出ているイケメンを見て、その少女はわかりやすくため息を吐いてみせる。
「私がここに居て、何か都合の悪いことでもあるわけ?」
「…………それは、ない……けど」
「けど?」
「いや、ないです。全然、全く、ほんとに。うん、これっぽっちも思ってません!」
颯は彼女に対してめっぽう弱かった。
これ以上ないぐらいの恩人であり、そもそも勝てる道筋が何一つ見出せないのだから道理だろう。
颯の前に現れた空乃は普段は下ろしているふわふわとした亜麻色の髪を一つにまとめて、スポーティーな装いになっていた。
「……えっと…………似合ってるよ?」
「――あっそ」
なんとか絞り出した褒め言葉をたった三文字であしらった少女は、顔を真っ赤にしているイケメンの隣でしゃがみ込む。
顔を隠そうとした颯の手を掴み、その表情を覗き込む。
数秒後、空乃は満足したような顔で颯の手を放してから、パチンッと中々な威力のデコピンを彼の顔面へと叩き込んだ。
「アンタの癖に生意気なのよ」
うぐ、と呻き声をあげて倒れ込んだ隣人に空乃は勝ち誇った顔をする。
幼馴染のナチュラルな横暴さに、僅かにでも愛嬌を感じてしまっている時点で颯は既に手遅れなのだろう。
「ちょ、空乃! 急に――へぶっ」
いきなり何をするのだと文句を口に出そうとした直後、顔面に何かが飛んできた。
ボフッという軽く柔らかな衝撃。
一瞬、視界が完全に塞がる。
「……これ、タオル?」
「アンタ、濡れ鼠みたいで見苦しいもの。自分で拭けないって言うなら、手伝ってあげるけど?」
「遠慮しとくよ……どうもありがとう」
彼女の見た目によく似合う可愛らしいタオルで顔を拭く。ほんのり甘い香りに顔が赤くなっているのがバレないように念入りに。
それにしても、幼馴染の徹底した猫被りには頭が下がる。プライベートでは飾り気のない実用性重視の無地のタオルを使用していることなど、誰にも想像ができないだろう。
「じゃ、私もう行くから。それ、アンタの方で洗濯しておいて」
こちらの返事も聞かずに背を向ける空乃の姿をため息一つで見送って、最後にふと疑問を覚える。
「…………何でここに居たんだ、あの人」
当然、空乃が颯の想像の5倍は過保護であるという事実を知らない彼は、最後まで空乃が単純に藤堂颯の応援の為にやって来た可能性などには思い至らないのだった。
✳︎
「鼻血、止まらないのだけど」
「あー、もう! やると思ったよ、このおバカ! ほら、ティッシュあるから下向いて! 鼻抑える!」
「ん……紅夜、流石の私も異性に鼻血の処理をさせるのは気が引けるわ」
「言ってる場合じゃねぇです」
それは、涼風と藍夏が出場したバスケの試合開始数分で起こった悲劇であった。
各チームで最も背の高い選手がジャンプボールで競り合い、結果的に藍夏たちのチームはボールをマイボールにした。
それから3、4回ほどテンポよくパスを繋ぎながら相手コートへと攻め入ると、やがてサイドに開いていた藍夏へとボールが渡る。
相手選手との一対一の局面。抜ければチャンスという場面に観客たちは息を呑む。
体力不足という弱点にさえ目を瞑れば、うちの幼馴染は基本的に万能だ。
クラスの女子から絶大な信頼と期待を受けているから、という理由もあるのだろうが、藍夏は積極的に攻勢に出た。
一歩分、中へと切り込もうとする体重移動のフェイクを挟んでからの急加速にて、彼女は縦への突破に成功する。
バスケ経験があるわけではないため、華麗な技術の披露なんてことは藍夏には不可能だ。だが、故にこそ優れた身体能力と何事もを高水準なレベルでこなすセンスの良さが際立つというものである。
試合開始早々の『女神様』の活躍に外野が盛大な歓声を上げる中でも、相手コートの奥深くまで侵入した藍夏は冷静なままだった。
相手選手たちの注意が自分へ集中した隙を見逃すことなく、彼女はゴール付近へと走り込んで来た味方へパスを出す。
完全にフリーの状態でパスを受け取ったチームメンバーは勢いそのまま、シュートを放つ。
そして――リングに直撃したボールは凄まじい速さで跳ね返り、涼風の顔面を強襲した。
「ぷべ――ッ!?」
「す、すずぅぅうう!?」
カエルの鳴き声のような断末魔を最後にコートへ倒れ込んだ涼風は、結果として一度も手でバスケットボールに触れることなく保健室行きを命じられることになったのである。
「……それで、今更だけどどうして紅夜が付き添いなの?」
丁度、保健室のおばあちゃん先生が芝グラウンドの方へと出向いているとのことだったので、誠に勝手ながら許可なく保健室へと入らせてもらった。
大人しく鼻を抑えながら後ろをついてきた涼風を椅子へと座らせる。
冷蔵庫にて、ほどほどなサイズの保冷剤を見繕っていると涼風が疑問を述べた。
「……お前の友達が少ないからだよ。女子全員『誰が行くの?』って気まずそうな顔してたぞ。俺の方がびっくりしたわ」
「……そう、それは悪いことをしたわね」
「別に悪いことじゃないけどな。ま、今回は俺が居てよかったなってことだ」
「ええ、ありがとう」
冗談混じりの軽口に至極真面目な顔で感謝を伝えてくる涼風に言葉が詰まった。
そんな俺を見て不思議そうに彼女は首を傾げた。
「私、何か変なことを言った?」
「いや全く。どういたしましてだ」
「なら良いけど」
委員長が居れば付き添いを彼女に頼んだのだが、あの人、確か榊さんと一緒に卓球のダブルスに出場するって言ってたからな。姿が見えなかったのでそちらが忙しいのだろう。
「ところで、涼風さんや」
「何?」
「鼻血って冷やした方が良かったよね?」
「……諸説ある、じゃなかった?」
まあ、いいや。
うちの爺ちゃんは冷やす派だったから、その教えに従うとしましょう。
「ほれ、首筋か鼻かおでこでも冷やしてくれ」
「雑過ぎない?」
薄手のタオルで保冷剤を包み込んだものを涼風に渡す。彼女は怪訝そうな顔をしながら、それを首へと当てた。
「…………」
「……………………」
「………………………………何か話すか?」
「…………? 話すことがあるなら付き合うわ」
「あ、全然気まずいとか思わないタイプの人だったこと忘れてたわ」
普通ちょっとぐらい沈黙が気になったりしませんかね……?
学校行事の最中、密室に男女一組の高校生。
青春盛り真っ只中の乙女として、このシチュエーションに思うところが一つも無いのって問題じゃない?
「逆に貴方は何か思うの?」
「まあ、本音だけ言えば割と何でも良い」
「それ『どうでもいい』の間違いでしょう。偽ってないだけ、私の方がマシよ」
「……手厳しいなぁ、相変わらず」
顔を顰めた涼風の視線をガン無視していると露骨なため息を吐かれた。
性根の悪さについては自覚しているつもりなので諦めて頂きたい。
少しばかりの沈黙を挟む。
「――噂の出所を潰す、と貴方は私に言った」
次に口を開いたのは涼風の方だった。
言及されたのは丁度一つ目の噂が話題になっていた頃、彼女に伝えた俺の宣言についてである。
「覚えている?」
「……もちろん。適当に生きてるようで、割と真剣に生きているのが俺ですから」
「私、紅夜が適当な生き方をしているだなんて思ったことは一度もないけれど」
「やだ何この娘、かっこいい」
定期的にイケメンな内面を覗かせる涼風のことは兎も角として、少々真面目な話題であるのでこちらも意識を切り替えて言葉を返す。
「……何一つ意思は変わってないよ。あいつに害を与えるなら、そこに何の正当性も見出せないのなら、どんな手を使ってでも叩き潰す。それは別に今回が初めてというわけでもない」
何も過保護というわけでもない……はず。
これでも藍夏が自分で向き合わなければいけない問題については、助けを求められるまでなるべく手を貸さないようにしているつもりだ。
逆に言えば彼女が相手取るまでもないような、何の利も無く心底下らない醜い悪意の数々については、問答無用で俺が引き受けてきたわけなのだが……でもそれは、あの娘の代わりに俺が傷を負うだなんて高尚な自己犠牲の精神なんて理由からのものじゃない。
悪意には悪意を。外道には外道を。適材適所って言うだろう?
「……精々楽しみにしてるわ」
「…………おう。任せとけ」
複雑な顔をしながらも俺を止めようとしないのは、先に仕掛けてきたのが相手の方だと知っているからだろうか。
天然が入っていても、決して鈍いだけではない涼風は何となく理解しているようだ。俺の中の解決法が、とても穏便だとは言い難いようなものであることを。
それも仕方がない。
だって、防御でも回復でも解決できない問題の攻略方法なんて決まっている。
聖人でも何でもない俺は、歴とした悪意を以てこれから彼らを攻撃するのだから。
✳︎
「えっと……あっ、そうです! 確か、私が初めに噂を教えて貰ったのは――」
「へぇ、なるほどね。教えてくれてありがとう」
「い、いえいえっ! 全然、もう! 私なんかがお役に立てたなら良かったです!」
「ふふっ、謙虚なんだな。大丈夫、とても助かったよ」
「ぁ……えっ、と……そ、その! この後って、何か用事があったり……?」
「……ああ、ごめんね。折角のお誘いだけど、今、少し立て込んでいて。また時間が空いている時に機会があれば、そのときは是非」
「ぁ……は、はいっ!」
顔を真っ赤にした女子生徒の元から質問をしていた男性が離れていくと、直ぐに彼女は遠巻きに様子を伺っていた他の女子生徒に囲まれた。
「ちょ、い、今の誰!? 知り合い?」
「何あの正統派イケメン!? あんな人この学校にいた???」
「あんた、何処であんな優良物件見つけて来たのよ!?」
「黒髪爽やかイケメン王子様とか、現実に居て良いわけなくない!? 妄想捗るわぁ……」
「多少腐ってるのはまぁ良いけど、ナマモノは自重しなさい!」
大勢に詰め寄られた女子はわたわたと慌てて、弁解を繰り返す。
「し、知り合いなんかじゃないよぅ!? わ、私も心臓破裂しちゃうかと思ったんだから!」
「……その割にはナンパしてたけどね」
「…………それは、その……出来心でつい?」
「有罪よ、有罪。アンタみたいな真面目で大人しそうな顔した肉食獣が一番罪深いんだから!」
そんな平和だが姦しい喧騒を後に残した原因たる張本人は、愉しそうに片頬を持ち上げて独りごちるのである。
「委員長さん、ね……うん、そう言うことか。確かに性格が悪いなぁ」




