26 幼馴染と球技大会(2)
秋野傑という男は凡人である。
大した取り柄があるわけではなく、目立った弱点があるわけでもない。
他人を惹きつける魅力に欠け、他者から嫌われるほどの欠陥は見当たらない。
自分を凡人であると認めているつもりでも、時たまに幸運が向けばその瞬間だけは自身が特別であると勘違いし、理由なき不運に見舞われれば被害者気取りに傷ついてみせる。
口では凡人だと認めておきながら、醜くも有り得ない"もしも"に期待をし続けて、その期待が報われることは終ぞない。
秋野が唯一他者に優っていたものがあるとすれば、それは自身に見切りをつけるのが異常なまでに早かったこと――僅かに、精神的に早熟であったことになるのだろう。
幼かった秋野は知ってしまった。
凡人の自分が、特別に手を伸ばす方法を。
ほんの少しだけ誰も気がつかない程度でいい。特別なその誰かに、優しく接するだけでよかった。
子供の世界は純粋で単純で残酷だ。
そこに価値があれば何をせずとも人は集まり、そこに利がないのであれば彼らは見向きもしないだろう。
幼少期、少年期、そして現在の青年期。
秋野傑はどの時代でも、クラスの人気者のすぐ隣に立っていた。
好かれることがなくとも、決して理不尽に嫌われることのないという性質は、いつしか彼の味方になった。
居ても居なくても変わらない存在でありながら、露骨な媚びにならないように慎重にかつ確実にそのときの人気者との距離を詰め、秋野は特別へと手を伸ばす。
虎の威を借る狐とまで驕れるほど厚顔無恥な男になった覚えはない。そもそも、秋野は権力が欲しくて彼らへと近づいたわけではないのだ。
もちろん、承認欲求が満たされる甘美な感覚の虜になっていたことも事実の一つではあるのだろう。
『××君の友達』という立場は、平然と他人を惹きつけた。秋野自身の魅力と比べてしまうのが馬鹿らしくなるぐらいに。
擬似的に体験した人気者の立場は次第に秋野の渇望を加速させていき、無様な今に至る。
ただ憧れた。
あまりにも諦めが悪かった。
特別な彼らの隣にいるときだけは、同じ世界を覗けているように錯覚した。
いつか自分も向こう側へと行きたいと、そう願い続けて生きてきた。
本人の気づかぬうちに秋野の中で天才への神格化は進行する。
選ばれるべきは釣り合いの取れた未来。
その世界に凡人の存在は許されない。
特別な者は特別な者との繋がりを大切にするべきだと、そんな意識が彼の思考の根底に宿り始めたのはそう最近のことではない。
思い込みが強いのは元来の性分で。
『あの二人お似合いだと思わない? 秋野君、二人の遠足の班を同じにするの手伝ってよ』
与えられたちょっとした餌は、遅効性の毒のようにゆっくりと秋野の思考の方向を誘導していった。
――気に入らなかった。
彼に、彼女に、声をかけられて平然としている凡人が。
その在り方に影響を与える様が。
自分と同じ立場で在りながら、全てを見下しているかのような目をしたあの人間が。
邪魔で、目障りで、腹立たしくて。
あの雨の日。
怪我をしたらしい宮城さんを背負いながら、山荘へと帰還した泥だらけの凡人を見た瞬間、頭に血が上った。
そこにいるべきはお前じゃない。
これ以上出しゃばるなと。見苦しいと。
その烏滸がましさに、心底吐き気を覚えた。
認められない。
認められて良いわけがない。
観客に、ステージの上に立つ資格はない。
お前に主人公は見合わない。
たまらず、喧嘩をふっかけた。
巷ではストーカーなんて噂もある相手に配慮なんて必要ないと思った。
まあ要するに、端的に。
臆面もなく一言でまとめてしまうのならば、秋野傑はどうしようもなく薄雲紅夜が嫌いだったのだ。
✳︎
不必要に速いパスを足元に収め、サポートに入ってくれた佐竹にボールを預ける。
常日頃から誰の目にも留まることなく平均以上の結果を出し続けている彼は、本日も期待を裏切ることなく自身のタスクをそつなくこなしていく。
俺や佐竹が担当している側とは逆のサイドにて、コートからボールが出たのを見計らい、佐竹は俺に声をかけてきた。
「……露骨に狙われてるな」
「あ、やっぱそう? 気のせいじゃないか」
それは佐藤君(仮)が率いる俺たちのチームの初戦のこと。
あんな噂を聞いてしまったので『万が一にもアイツにMVPを取らせるわけにはいかない』と俺が試合に出させて貰えなくなる未来を期待してしまったのだが、全然そんなことはない。
初戦のみ、登録生徒全員が出場しなければならないというレギュレーションが存在する以上、本気で考えていたわけではないのだが、まさか前半からフル出場する羽目になるとは思わなかった。
佐藤君(仮)に思うことがあるのは事実。
けれど所詮は多少の苛立ち程度。クラス全員に不幸をプレゼントしたいわけでもないので、真面目にサッカーをしていたのだが――
「……っ、佐竹ッ!」
逆サイドからのロングボール。
落下地点へ走り込み、胸でトラップして佐竹にボールを渡す。
平然とした顔を装いながらも、俺の内心は緊張と安堵、焦りにその他諸々でぐちゃぐちゃだった。
……また、だ。
ミスらなくてよかったと息を吐きながら、思考を続ける。
取れないボールではない。
理不尽とまでは言い切れない。
ただ、少なくともそこに優しさは感じられない。
それらは全て外から見ている観客たちは態々意識もしないような流れの中のプレーだ。
高さのあるロングボールや僅かに速いパス。加えて言えば、単純にボールの回ってくる回数が目に見えて多い。
「……クラスのサッカー部全員がグルって思った方がいいな」
「…………ふぅ……そりゃ、仲良しなようで何よりだ」
佐竹も同じ考えに至ったらしい。
珍しく真剣な顔をしている彼に皮肉混じりの軽口を投げると「まるで俺たちみたいだな!」と本気で背筋に悪寒が走る言葉が返ってきた。
「差し詰め『あの素人、馬鹿みたいにサッカーの練習をしてたから、その成果を見せて貰おうぜ(笑)』みたいなとこかねぇ?」
「……素直に同意しにくいこと聞かないでくれない?」
余りにも地味で姑息で性根の悪いちっぽけな嫌がらせに、笑いが込み上げてくる。
約一週間、ほぼずっと颯と一緒に行動していたのだから多少のやっかみを買うのは想定内だった。
お前らどれだけ颯のことが好きなんだよと呆れそうになる気持ちは一旦置いておくとして対抗策を考える。
「――とは言え、やれることも特にないんだよな」
サッカー部の皆様の思惑を逆手に取り、超絶技巧のスーパードリブルなんてものを披露できればよかったのだが、生憎俺はそこまで才能溢れる人間じゃない。
可能な限りサッカー部っぽい味方に対しての警戒を続けることしか出来なさそうだ。後は頑張れるだけ頑張るということで。
普通にサッカーをすることだけでもキャパオーバーだってのに、どうして他に意識を割かなくてはならないのか甚だ疑問である。
……まぁ、クラスメイトの所属部活を正しく把握できていないのは完全に俺の落ち度なのだけど。
残りの体力と相談しながら、適度に全力で試合に向き合い続ける。
その裏でほくそ笑んでいる自分がいることを悟られないようにだけ気をつけた。
……大丈夫。
全てが順調に進んでいる。
自分の性格の悪さに比べたら、こんな嫌がらせなんて可愛いものだ。
もはや何度目かわからない逆サイドからのロングボールを眺めながら、息を吐く。
「……ツケにしとくか、このくらいは」
打開策も思いつかない。
ならばいっそのこと、今ぐらいは精々笑い者としての役割を全うしてやるとしよう。
✳︎
審判を務めていたサッカー部所属のお手伝いが試合終了のホイッスルを鳴らす。
どこか力の抜けるその音が響いた後、コート内の生徒たちは整列をして礼をする。
観客が彼らを温かい拍手で讃える中、涼風美鈴は満面の笑みで試合の応援をしていた隣の友人の横顔を見ていた。
「……楽しそうね」
「……え、そ、そう? …………わかる?」
「ええ、余程鈍くない人ならわかるでしょうね」
むにむにと自分の頰を引っ張りながら恥ずかしそうに笑う藍夏を見て、どうしてこの顔を彼の前ではできないのだろうかと今更過ぎる疑問を思う涼風である。
「満足そうにしてるけど、お世辞にも出来が良かったとは言えない試合だったのではないの?」
「あはは、すずは手厳しいね…………運動ダメな癖に」
「……後半、聞こえてるわよ」
あと、運動がダメなわけじゃない。球技がほんの少しだけ得意じゃないだけだから、勘違いしないで欲しい。
「…………確かに、紅夜君よりサッカーが上手な人なんて幾らでもいると思うけど……でも、その人たち紅夜君じゃないし、上手い下手に興味とか無いかな。多分、私の知らない事情があったんだとは思うけど、それはそれとして紅夜君の出番が多かったから私としては大満足なのです」
ふふん、と胸を張る上機嫌な彼女。
もうそれ告白みたいなものじゃない? と言いたくなるような発言が混じっていたような気もしたが、無自覚な惚気に耐性がついてきた涼風は華麗なスルーを披露して会話を続けていく。
「チームとしては2-1で私たちのクラスの勝利。次の試合は午後みたいね。貴女の試合は?」
「えっと、私の試合は……って、すずも同じチームでしょ!? そんな他人事みたいに言わないでよ」
「……私、運動ダメらしいからパスで」
「良いわけないでしょー! ……え、もしかして拗ねてる? すずさん?」
拗ねてない。
全く拗ねてなんかない。
「め、目が合わない……!?」
「冗談よ」
大袈裟に胸へ手を当てほっとしたような顔をする藍夏に笑みを返してから「もう行きましょう」と声をかける。
人の多いところが嫌いなのは普段の態度から明白である。
生徒たちが観客席代わりにしているスタンド擬き――校舎から人工芝グラウンドへ向かうエリアを区切っている階段のような場所――から立ち上がり、グラウンドを後にする。
その最中、幾つかの声を鼓膜が捉えた。
「――――」
「……………………」
ほんの少しだけ、後ろを歩く少女の雰囲気が冷たくなったのがわかった。
「…………はぁ」
嘆息。
それから涼風は声をかけることもなく彼女の手首を掴み、歩くペースを上げる。
校舎に入り、人の気配が少なくなってきたところでようやく手を離した。
「…………言いたいことがあるのなら、言い返せばいいじゃない……と少し前の私なら、何の躊躇いもなく言ったのでしょうね」
「…………ぇ?」
露骨に表情を暗くする――ことすら許されないと決めつけているその友人は、涼風の言葉に目を丸くする。
「――決して、無様なんかじゃない。代わりに私が言ってあげてもいいのよ」
「…………すずは、いつも本当にかっこいいね」
「……答えになっていないわ」
彼は涼風にとっても数少ない友人の一人だ。
その誇りが汚されると言うのなら、多少の面倒ごとの一つや二つ引き受けてもいい。
涼風の提案に藍夏は首を横に振った。
「…………いいの。あの人は、紅夜君は、本当に……多分、私たちが思っているよりもずっと――」
どこか寂しそうな顔で、その友人は言う。
「私たちを大切にしたいと思っているから」
言葉に詰まった。
空気を読まないことに定評のある涼風でも、このときばかりは反射的に頭の中へと浮かび上がった感想を直ぐに口にしないだけの良心を持ち合わせていた。
――否、良心とはまた少し違うだろう。
正しく言えば、それは涼風の本能が察知した一つの警告のようなものだった。
彼らの在り方を「歪んでいる」の一言で切り捨てて仕舞えば、何か後戻りのできない道へと彼女の背中を押すことになってしまうと、涼風は理解し、一先ずは口を噤んだ。
同時に思い出したのはいつかの食堂での記憶。あの気に食わない腐れメガネの悪どい笑顔だった。
「えっと……すず? どうかした?」
「………………何でもないわ。教室に戻るのよね?」
「うん! あ、誰か私たちのクラス以外に応援したい人が居るなら――」
「特に居ないから帰りましょう」
「あ、うん。ですよね」
何事もなかったかのように会話を続ける藍夏を見て「元気だな」なんて思いつつ、一つ大きく息を吐く。
誰かの為に思考を回すなど、らしくないことをやりすぎた。
「……お腹減ったわ」
「すずって結構、単純だよね」
「…………? 私、何か変なこと言った?」
「言ってないから大丈夫! すずはずっとそのままでいいからね」
「過度な停滞は退廃の一歩目に過ぎないと思うのだけど」
「そこまで難しい話じゃないかなぁ……」
よくわからないが気にしなくて良いらしい。
それなら、言葉通り放っておくとしよう。
「私たちも試合頑張らないと!」
「……憂鬱ね」
「すずぅ……!」
これは冗談。
帰りたいと思っているのは事実だが、そこまで彼女は我儘じゃなかった。




