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25 幼馴染と球技大会(1)











 涼風美鈴は深いため息を吐いた。

 意識的に行った大仰な動作に、彼女を後ろから抱きしめていた友人の肩がびくりと震える。


「…………す、すず……お、怒ってる?」

「……怒ってはない。いつにも増して面倒だとは感じているけど」

「うぐぅ……」


 嘘をつかない涼風の言葉に情けない呻き声を挙げた藍夏だが、それでも涼風へのハグをやめないあたりに彼女の幼馴染の影が見える。

 謙虚で清楚で優しい女神様も、陰湿でぼっちで性根の腐り果てたストーカーさんも、涼風からすれば、似たり寄ったりの図々しさを持ち合わせた友人だった。


「…………で、いい加減、惚気は聞き飽きたのだけれど」

「の、のの、惚気なんか、私言って――」

「幼馴染と同衾した話のどこが惚気じゃないわけ?」

「ど、同き――ッ!? そ、そんなはっきり言わないで!?」


 頬を真っ赤に染めた藍夏と表情の一つも動かさない涼風の二人の様子は実に対照的である。「したけど! 確かにしたけど!」とわたわた慌てる自称親友の友人は、なるほど確かに愛らしい。


「でもこれ、付き合っていない方が不健全よね」

「け、健全だから! 私、何もしてないから!」

「そこで『何もされてない』と言わないところが貴女らしい」

「……あ、えっと…………えへへ」

「可愛く笑って誤魔化さないで」


 性別を問わず誰もが見惚れる彼女の笑みも、涼風には意味をなさない。

 ぴしゃりと叱りつけるような声音の涼風の言葉だが、それを聞いた藍夏は何故か笑みを深める。


「……褒めてないのだけど」

「わかってるよ。すずはすずだなぁって感心したの」

「――――日本語として、成り立っていないわ」

「伝わらなくてもいいことだから問題なしです」


 ……わからない。

 彼女の、彼女たちの言葉の意味が、涼風にはわからない。


 名前も知らない有象無象の衆から自分が奇妙な人間だという評価を受けていることを彼女は当然知っていた。

 好奇の視線に晒されることにはもう慣れた。

 自身の感性が他人とズレていることを、涼風は正しく認識できている。


 逆に言えば、涼風の理解はそこまでに過ぎないのであった。

 彼女は自身が浮いているという事実を認識していても原因の特定をすることがない。そもそも『何が問題なのか』という思考に至らないからだ。

 当然、何が他人を遠ざけているのかを理解していないのであれば、何が他人を惹きつけているのかを理解できるはずがない。

 故に、単純な賛美の言葉ではなく『彼女らしさ』を理由とした賞賛を受け取ると、涼風の思考はエラーを吐いたコンピューターの如き停止を見せるのだ。


「……物好きな人」

「見る目があるって言って欲しいな」

「そこまで自信過剰な人間にはなりたくないわね」

「つれないなぁ」


 ただ他人の言葉の意味を理解できないところで涼風が被害を受けるのかと聞かれれば、影響は皆無だと断言できるだろう。

 自分は自分、他人は他人。

 そんなドライとも言える考え方が涼風の思考の根底に存在している。そして、直感的にその本質を読み取っているからこそ宮城藍夏は涼風美鈴に懐いているのだ。


 今日も今日とて意味のわからない言葉は適当に捨て置き、涼風は投げやり風の態度でその友人の相手をする。

 

「…………暑い。離れて」

「はーい」


 少しばかり本気の度合いを強めてそう言えば、その美少女は大人しく距離を取ってくれる。

 気を遣うのが上手な娘だと改めて感心しながら、涼風は無意識の内に飴を投げるのだ。


「それで、急に抱きついてきたのは何が原因? 本題があるのよね?」

「…………ッ! ねぇ、すず――結婚しない?」

「しない」


 友人の作り方を知らない彼女は友人の突き放し方も知らないのだった。





 ✳︎






 ぜぇ、はぁ、と荒く乱れた呼吸。

 昂る鼓動。

 悲鳴を上げる四肢を無視して、白黒のオーソドックスなタイプの球体を追いかける。


「…………ははっ」

「…………ッ! 楽し、そうだなぁ、おい!?」


 必死に足を伸ばし、それを弾き飛ばそうとする。爪先が届く寸前に彼はボールをふわりと浮かばせた。

 舌打ち、叫ぶ。

 目の前の少年があまりにも純粋に生を楽しんでいるように見えて、少しだけ嫉妬にも似た感情を覚えた。


 早朝の校庭。

 ほんのりと水分を含んだ独特の空気感。

 周囲に人の気配はなく、今だけは立派な人工芝のグラウンドは俺と彼だけのものだった。


「ふふっ……あははっ、楽しいね、薄雲君!」

「見りゃわかる……ちょっとは、手加減しろよっ!」


 日頃の運動不足がたたり、身体は信じられないほど重たかった。運動自体は苦手な方ではないのだが、現役の運動部と比べられては流石に脆弱だと言わざるを得ない。

 サッカーボールを自身の身体の一部であるかのように操る藤堂は息の一つも切らしていなかった。歴然たる疲労の差については、俺が彼の二倍は振り回されている、というのも理由の一つになるのだろうけど。


「……はぁ…………ふぅ…………ちょっと、タイム」


 そう言い残して芝の上へと倒れ込むと、全身に自覚していなかった疲労感が襲いかかってくる。余裕を取り繕うことすらできそうもなかった。


「うん、わかった。無理はしないようにね」

「大丈夫……そこまで、柔じゃない」


 俺と藤堂がナル先生の授業をサボったその翌日。

 俺は藤堂に頼み込み、残り一週間を切った球技大会に向けてサッカーの練習を行っていた。


「それにしても薄雲君ってサッカーやってた経験とかあるの? パスとかドリブルとか、平然とこなせてるよね」

「……んー、まぁ、このくらいはな。サッカーを教わったことはないよ。昨日の夜に動画とか漁って座学を齧ってきたぐらい」

「天才かなぁ?」

「これでも小学生の頃は活発なヤンチャっ子だったからな。遊び感覚とはいえ、休み時間にボールぐらい蹴ってる。そのぐらいは履修済みだ」


 会話をしながらもリフティングをしている藤堂へ拍手を送る。

 インステップ、インサイド、アウトサイド。太腿に肩、頭に胸と全身を使ってボールと戯れている藤堂の横顔は面白いほどに絵になった。


「…………うっっっまいなぁ、お前」

「……そう、かな。うん、確かに少しは自信ある」

「へぇ……意外だな。正直、謙遜すると思った」

「仮にも、部活じゃレギュラーとして選ばれているわけだからね…………本当は自信もないし、自覚があるわけじゃないけど……虚勢ぐらいは張れないと、他の皆に顔向けできないでしょ?」


 クッションを利かせてボールの勢いを殺す。

 藤堂がボールを足の甲の上で止めた。


「責任感が強いんだな」

「逃げ方がわからないだけ。君みたいに器用じゃないんだよ」

「照れるなぁ」

「そんな無表情で言われても」


 よいしょと上半身を起こして胡座をかく。

 ぐいぐいと頬を何度か引っ張って表情筋へと刺激を送った。


「よし、復活」

「あ、疲れると表情消えるタイプの人だった」


 労力の最適化と言ってくれ。

 不要な場所へ体力を使える余裕はないのです。

 ふぅ、とため息。

 気合いを一度入れ直してから、立ち上がる。


「パスやろう、パス。ちょい長めの距離で」

「いいよ。どんどん教えてあげる」

「そりゃ、超心強いわ」


 さて、もう少しだけ頑張りましょうか。

 可愛い可愛い幼馴染さんとの朝デート(登校)をお預けにしてまで、俺は今ここにいるのだ。


「……なら、それ相応の実りのある時間を過ごさないとね」


 佐藤君(仮)からの敵視も、藤堂が板挟みになっている現状も、地の底に落ちた俺の評判も。


 その全てを覆す最低最悪の一手を打とう。


 真っ直ぐに飛んできたボールを受け止めて、同じような蹴り方でパスをする。

 その軌道は見るに堪えないお手本とは似つかぬものだった。




 ✳︎




 それから球技大会までの約一週間。

 俺と藤堂は狂ったように球技大会のための練習を二人で行い続けた。


 あるときは早朝の校庭で。

 あるときは放課後、藤堂が部活を終えた後に彼の家の庭で。

 またあるときは俺の家に泊まり込み、彼の出場した試合の動画を見ながら座学を。


 時折、息抜きがてらに卓球の練習を挟んだりしながらも、俺は襲いくる筋肉痛に抗いながらサッカーの練習を続けた。


 積もり積もっていく幼馴染のストレス解消を親愛なる妹と涼風に丸投げし、この一週間は生活の全てを球技大会に捧げたと言ってもいい。

 言わずもがなだが、俺の中に溜まったストレスは何故か楽しそうにしているクソ眼鏡へと八つ当たりすることで消化している。


 いつしか、藤堂は俺を「紅夜」と呼ぶようになり、俺も彼のことを「颯」と呼ぶようになる。

 前々から感じていた怯えの色はさっぱりと消えてなくなり、互いへの遠慮もなくなってきたように思う。


 そうして迎えた球技大会。


 教室で着替え等の準備を整えていると、慌てた様子の颯がここに来て新たな噂が広がり始めていることを、教えてくれた。



 宮城藍夏は球技大会でMVPをとった相手に告白をする予定だった。



 噂の内容を聞いた俺を見て、颯は少し不思議そうな顔をする。


「……予想より、落ち着いてるね」

「…………そう見える?」

「うん。もっと、怒り狂うかと思った。紅夜って、宮城さんのことしか考えてないし」

「そんな褒めんなよ。嬉しくなっちゃうだろ」

「尊敬半分ドン引き半分くらいなんだけど」


 ジト目からは目線を逸らし、視線の逃げ場でピースをしていたクソ眼鏡をぶん殴る。


「ま、もうなるようにしかならんだろ。颯は卓球でボコボコにされる心構えでもしとけよ」

「それに関しては選んだその瞬間からずっとしてるよ」


 地獄行きが確定している颯が憂鬱そうな顔をすると、佐竹は我関せずといった雰囲気を纏いながら笑顔でサムズアップしてきた。


「頑張れよ、お二人さん」

「てめぇは俺のお手伝いだ。無駄に高性能なの知ってんだからな」

「珍しく褒められて我困惑」

「確かに佐竹君も運動神経良いよね、無駄に」

「無駄に無駄に言わないでくれません?」


 かなり仲の深まったように見える颯と眼鏡を見て、少しばかりの笑みを溢してから、教室の外へと向かうことにする。


 楽しい楽しい球技大会。

 全三日をかけて行われるそれは、まだ始まったばかりである。




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