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幕間 ヘタレ王子と暴君少女

 




 ちょっと番外編気味です。

 






 

 藤堂颯は図らずとも高校デビューに大成功してしまったただの陰キャ高校生である。

 それが、僕が自分自身へと送る簡潔な自己評価だった。


 一体どこで何を間違えたのか、学内で自分のことを『王子様』やら『天才エース』だなんて大袈裟な呼び方をしている人がいることは認識していた。

 最近新しくできた友人たちから、モテモテである、なんて事実無根な印象を持たれていたことは知らなかったが。


「ほんと、そんな訳がないのにね」


 誰に言うでもなく放った独り言は情けないほどに弱々しく、思わず笑ってしまう。


 今、ここにいる自分が生まれることになった全ての始まりはサッカーに出会ったこと。

 ただそれだけは嘘偽りなく大好きなのだと、臆面もなく宣言できる大切な存在に出会ったことなのだろう。

 


 トン、トン、トン。

 心地の良い音、足に伝わる衝撃。

 ただただ取り留めもなく思考を宙へと浮かべ並べつつ、庭の片隅――両親が用意してくれた芝のスペース――にて、リフティングを続ける。

 時間を忘れて、呼吸も忘れて、次第に思考すらもが溶け落ちて、ボールの弾む音だけが後に残る。その感覚が狂おしいほどに好きだった。


 気がついた時には辺りは暗闇に包まれていて、足には無視できない程度の疲労が溜まっていた。


「……また、やっちゃった」


 母親が夕食の準備をする間だけ、と言って始めたリフティングだったが、どう考えても約束を無視してしまっている。

 悪気はない。全くないのだが、サッカーが絡んだ瞬間に周りが見えなくなることに関しては常習犯であるとも言えた。

 申し訳ないことをした、と素直に思いながらリフティングを切り上げる。

 謝罪の気持ちはある割に改善の様子が全く見えない点については、我ながらタチが悪いと思っている。

 

「……遅ばせながら戻りました」

「やっと帰ってきたわね、このバカ息子」


 ペコペコ、と頭を下げながらリビングへと戻ると夕食の並んだテーブルに頬杖をつく母親の姿が目に入る。

 当然、彼女の前には皿などなく、テーブルの上に残っているのは自分の分だけだ。


「完全に忘れてた」

「知ってる。二、三回、声かけたしね」

「え、本当に?」

「嘘ついてどうすんのよ。まあ、早々に諦めたからいいけど」


 母親は「さっさと食べちゃいなさい」と告げると直ぐに風呂へ向かっていった。

 待っていてくれたことに申し訳なさと感謝の気持ちを感じながら、自分への対応が酷く甘いことを複雑に思った。


 先程、サッカー関係の事象に視野が狭くなることは常習的であると述べたが、それに対してお叱りを受けたことはほとんどない。

 期待されているから、放任主義だから、既に諦められているから、そんな様々な予想が立てられると思うが、恐らくはその全てが間違いである。


「…………心配させたから、だよね」


 まだ熱の残っている夕食に手をつける。

 リフティングに熱中していた時間を考えると、何度か温め直してくれていたに違いない。その心遣いが心身に染み渡る。


 夕食を味わいながら、思考は先の話の続きへと伸びていった。

 両親に心配をさせた。

 何故かと問われたのなら、回答するのは簡単だ。

 それは数年前、藤堂颯が何の取り柄もない引きこもりであったからに他ならない。


「…………ん、美味しい」


 からあげ、うまい。

 疲労感からだろうか。唐揚げが美味しいからだろうか。どこかふわふわとした思考のまま、サッカーと出会うきっかけとなったあの日のことを思い出していく。




 今から丁度、三年ほど前。

 無気力のまま何をするでもなく、ただ一人ぼっちで部屋に閉じこもっていた引きこもりに、昔からの付き合いのある知人が突撃してきた。

 今思えば、それが全ての始まりだった。

 

『何やっても無駄。意味がない。価値がない。だからやる気が起きない? ふざけてんの? 死ぬ気でやってから言いなさい』


 それは傍若無人という言葉がよく似合う少女だった。

 ともすれば不遜にも見える太々しい態度の彼女は自身が一つ年下であることなど気にも留めずに――もしかしたら本気で忘れているだけなのかもしれないけれど――僕の手を引き、勝ち気に笑う。


『どうでもいい人生なら全部私に寄越しなさいよ。捨てるには勿体無いもの』


 そしてそんな物騒なことを言いながら、面白いくらい簡単に少女は独りぼっちの少年を外の世界へと連れ出した。


『何でもいいのよ。野球でもサッカーでも、テニスでもバスケでも……読書でもお絵描きでも、ギターだろうが何だろうが構わない。手当たり次第に全部やるわよ、あ、当然だけど拒否権はないから』


 冗談だろうと鼻で笑う人もいるだろう。

 けれど、彼女は余りにも現実的ではないその暴論を本気で述べていた。

 そして彼女の言葉に微塵も嘘がないことを僕もわかっていたのだ。


『やる気なんてなくていいわよ。拒否権がないんだもの。最初の動機は私からの命令だから、だけで十分。でも、そうね――――』


 そのとき、彼女は見たことがないくらい眩しい笑顔を浮かべていた。

 確か、次に続く言葉は――――




「ちょっと、どこで寝てんの。唐揚げに頭から突っ込むつもり?」

「……………………んぁ?」


 頰に走る痛み。

 聞き慣れた声にいつの間にか落ちていた瞼を持ち上げる。

 ややぼやけた視界の中に彼女が映っていた。


「…………夢?」

「だとしたら悪夢ね。可哀想に」

「あ、本物だ、これ」

「どういう意味よ、それ」


 綺麗な薔薇には棘があるとはよく言ったもので、高頻度で毒を吐くその少女は非常に整った容姿をしていた。標準より少し低い程度の背丈で、亜麻色の長髪にゆるふわのパーマをかけている如何にもな現代っ子である。

 性格は強かで我儘で傲慢な上で、慈悲深い。噛み合っていなさそうだけど、多分そんな感じ。

 処世術に長けていて、ゆるっ、きゃぴっ、みたいな頭の悪そうな効果音を伴う後輩ムーブなんかをさせてみれば、超がつくほどの適性を見せつけるはずだ。

 何故か上手く行ってしまっている僕の処世術の師匠なのだから、人付き合いが得意というのは当然か。


「それでどうしたの? もう結構、遅い時間だけど」


 こちらの頬を抓るのをやめた彼女に質問を投げる。とはいえ、回答の想像はついているのだが。


「別に、お風呂借りに来ただけよ。いつも通りでしょ」

「いつも思うんだけど、これがいつも通りになってるのって変じゃない?」

「今更よ。というか、アンタはさっさと食べ終わりなさい。さっきお義母さんから愚痴が届いてたわよ」

「…………仰る通りです」


 我が家の引きこもりの救世主ということで、両親は彼女に絶対的な信頼を寄せている。

 母親に関しては僕より仲が良いのではないか? と疑いそうになることが多々あるぐらいだった。

 隣の家で一人暮らしをしている彼女は割と頻繁に僕の家へとお風呂を借りにやってくる。わざわざ一人しかいないのに湯船を張るのが手間なのだとか。


「……ご馳走様でした」

「次、気をつけなさい。この親不孝者」

「…………うん、そうする」


 表情に強張りが出ていたらしい。

 僕の返事に妙な間が空いたのを半目で咎めてから、彼女はぐいと頬を引っ張ってくる。


「生意気」

「……僕、これでも年上なんだけど」

「私、プライベートじゃ本心から敬っている相手以外には敬語使わないって決めてるの」


 余りにもらしい言い草に笑ってしまう。

 何か文句でも? なんて目をする彼女に対して首を横に振った。

 見た目だけは愛らしい少女が胡乱げな顔を浮かべている姿は中々に違和感を覚えるものだったが、長い付き合いなだけあってもう慣れた。

 母親が風呂を出るまでまだ時間がかかると判断したらしい彼女は、ソファへと腰を下ろしてクッションに持たれかかった。


「そういえば…………」

「…………え、何? 途中まで言いかけて口を閉じられても困るんだけど」

「……んー……ま、いいや。アンタ、あの女神様と付き合ってるってデマが広がってるけど、どういうつもり?」

 

 何でもない雑談のようなテンションのまま、何か凄いことを言ってくれたような気がするのは、気のせいでしょうか。


「……………………は?」

「…………やっぱ知らなかったか……まぁ、だとは思ってたけど」

「待って待って待って、何で!? どこからそんな話が?」

「知らないわよ。自分でなんとかしなさい。最悪でも死ぬことはないでしょ」


 教えてあげただけ感謝なさい、とソファに横になった彼女を他所に僕の思考は勢いよく回り始める。つい先程まで寝ぼけていたのが嘘みたいだ。


「…………薄雲君に殺される」


 自分で口にして何だが、結論がひどい。


「物騒なこと言わないで」

「最初に死ぬとか言ったのそっちだけど」

「もう忘れたわ」

「頭鶏すぎない?」


 三歩、歩いてすらいなかった。

 いや、今は彼女の都合の良い記憶力について考えている場合じゃない。


「何でそんな噂が……一年生も知ってるってこと?」

「私が知っているから、そういうことになるわね。流石に全員ではないでしょうけど」

「…………頭が痛い」


 逆にどうして自分は知らなかったのだと呆れそうになるが、往々にしてこのような噂話は本人たちに気づかれないように最新の注意をするのが常である。この状況はある程度作為的なものと捉えていいはずだ。


「…………大変そうね」

「手伝ってくれてもいいんだよ?」

「気が向いたら考えとく」

「それ絶対考えないやつなんだよね」


 云々と唸る僕をどこか楽しそうな笑みを浮かべながら見守りの姿勢をとる彼女。

 その余裕をどうにか崩せないか、と珍しく反撃なんてものを行ってみる。


「…………というか、空乃(そらの)はどうしてその噂がデマだって断定したの」

「え、アンタが私に惚れてるからでしょ。他に理由って必要?」

「……………………」

「あ、お義母さん、風呂上がったみたい。私、先に借りるから」

「………………………………」


 彼女と入れ違いになるようにリビングへと帰ってきた母親が、ギョッとした目で僕を見る。


「顔、すごいことになってるわよ。熱とかないわよね?」

「……………………ないです」

「なら、いいけど。空乃ちゃんに変なことしたら許さないからね」

「しないけど!?」


 味方はいないし、問題の解決案は出ていないし、幼馴染は強すぎる。


「…………胃が痛い」


 学校では何の弱点もない『王子様』として扱われている少年は、綯い交ぜになった色々な感情を押し込みながら、ただそう一言つぶやくことしかできなかった。


 尚、後日、薄雲にきっちりと詰問される運命にあることを彼は知らない。

 









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