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1 班決めと幼馴染









「うすぐも! うすぐもー! ……どこ行ったのよ、あのバカ」


 

 時々、夢を見る。

 それは大抵の場合、不遜で生意気な少女が幼馴染の姿を探している光景だ。


 幼稚園だったり、公園だったり、或いは互いの自宅の中であったり。

 状況は多岐に渡るが、どの場合でも物語の道筋に影響はない。



「あ、いた! どこ行ってたのよ、うすぐも!

かってに私からはなれちゃ――っ、ぇ?」



 そうやって辿り着いた場所には、彼女の前では見せたことのない笑顔をしているあの人の姿があるのだ。


 少女は声をかけようと口を開き、そしてゆっくりと背を向ける。


 それから音を立てることなく、けして少年に気取られることがないようにどこか遠くへと歩き出すのだ。

 両目には目一杯の涙を浮かべ、それが零れ落ちないようにと何度も瞬きを繰り返していた。



 少女はやがて体育座りで丸くなる。


 それは木陰の中だったり、押入れの中だったり、空き教室の隅っこだったり。


 そんな人の気配の薄いどこかだった。


 知っている。

 この夢の結末には、何度も立ち会っていた。


「…………ぐすっ、……っく、……ぅぅ」  


 一人、泣いている自分。

 そこに、少年がやってくる。


「……そのクセどうにかした方がいいぞ」

「…………っ、……あっち、行って」

「やだよ、なにアホなこと言ってんのさ」


 びっくりするくらいに大人びた表情で、穏やかな雰囲気のまま、彼は私の下へとやってくる。

 …………やってきて、しまう。


「泣きたくなったら、すぐにかくれんぼを始めたがるんだもんな……ほら、今日はどうしたんだ?」


 来て欲しいと願ったときにいつも必ず助けてくれるその人のことを、子供の頃は王子様のように思っていた。


 それまでは、ただ自惚れていただけだった。

 その日、私から離れた場所で彼の無邪気な笑顔を目にするまでは。




 助けてくれてありがとう。

 迷惑をかけてごめんなさい。

 

 私のもとから離れないで欲しい。

 私なんかに構わないで過ごして欲しい。


 どうして来てくれるの?

 どうして来てしまうの?




 矛盾を孕んだ幾つもの思考が脳裏を過ぎた瞬間、私は――宮城藍夏はいつも通りに覚醒する。


 目が覚めた後に残るのは、何も選べずに現状維持を選んだ醜い自分のみ。


 いつまでも彼の優しさに甘え続けている自分のことは、いつまで経っても嫌いなままだった。




 ✳︎




「やっっっべぇぇ、寝過ごしたぁあ!」



 その日、俺こと薄雲紅夜(うすぐもこうや)は盛大な二度寝の後に起床した。

 意識が覚醒した瞬間、自身が二度寝の決断をした記憶を思い出すこの感覚は、まるで悪夢を見ているのではないかと錯覚するほどの絶望感がある。

 なんなら、夢であるだけ悪夢の方がマシなぐらいだ。


 二階の自室にてベッドから飛び起き、爆速で制服に着替えてから、全速力で階段を駆け降りる。

 勢いそのままにリビングへと飛び込むと、そこには呆れた目でこちらを見る妹の姿があった。


「兄さん、うっさい」

「知ってる。よく言われるからな」

「なら直せ、おバカ」


 中学の制服に身を包み、いつでも家を出れますよ、といった様子の彼女は暴言を放つと同時に、俺の口へと食パンを突っ込んでくる。


「じゃ、私先に行くから」

「…………ん、…………!」

「なーに言ってんのかわかりませんが、藍夏さんに迷惑かけないようにね。ほんとに遅刻するよ」


 そう言って、さっさと家から出ていってしまう妹の姿に甘えん坊だったかつての面影は――――あれ? 俺、アイツに甘えられたことあったか?


 うん、悲しいほどに思い出せない。

 あの子、我が家で一番のしっかり者だし。

 俺は兎も角、なんで両親が娘に負けているんでしょうかねぇ。


「なんて、考えてる暇すら惜しいんだったな」


 あむと食パンを噛みちぎり、急いで洗面台の前へと向かう。顔を洗い、食パンを詰め込み、寝癖を整え、食パンを飲み込み、口を濯いだ。


 時計を確認。

 幸い、遅刻確定ラインまでには幾分かの猶予がある。

 あと三分ぐらいなら、ギリ耐えか?


 まるで平均点と赤点の中間の点数を取った学生のような思考をしながら歯磨きをして、リビングへと戻る。


「…………ん」

「サンキュー、藍夏」

「…………さっさと出るわよ」

「わってるよ」


 藍夏から鞄を受け取り、机の上に置かれていた腕時計を着けて出発の準備を完了させた。


 ……まぁ、いいや。


 ここで俺が彼女に対して「何でいるの?」なんて言葉をかけようものなら、向こう一日、幼馴染様の機嫌が悪くなることは経験則で知っていた。

 恐らく、玄関前で出待ちしていた彼女を先に出て行った妹が家に押し込んだのだろう。


 横目で藍夏の様子を確認する。

 そして、変化が薄い(俺限定)彼女の表情が薄らと紅くなっていることに気がついた。


「何?」

「あー、いや……水分足りてるか?」

「……ん」

「なら、いい……悪いな」

「……何の話?」

「なんでもねーですよ」


 季節は初夏。

 梅雨を控えた穏やかな気候……だったのは随分と昔の話であり、近年では残暑に負けず劣らずの猛暑に見舞われることも珍しくない季節である。


 ミスったなぁと割と普通に反省しつつ、一応、冷蔵庫からスポーツドリンクを追加で一本取り出してから玄関へと向かった。


「行ってきます」

「行ってくる」


 そうして、ようやく二人揃って律儀に出発の挨拶をしてから外に出る。

 普段は20分ほどの時間をかけてのんびりと歩いていく通学路を、今日は駆け足にならない程度の早歩きで移動していく。


 幼馴染さんの荷物を持つぐらいの甲斐性はあるつもりなので、鞄を奪い取ったわけなのだが、隣から凄まじい圧を感じるのは何故なのだろうか。


「え、これセクハラだったりする?」

「……相手によるでしょ」

「判断に困る返答やめてくれなーい?」


 いやね、わかってるよ。

 教室とかでお前の荷物を持つなんてことをすれば、変態だのなんだのと罵られることぐらいは百も承知ですとも。

 中高生がそういうのにやたらと敏感なのは何なんだろうね。マスク警察の親戚か何かだったりするのだろうか? 


 心に余裕があるときは受け流してやれるが、苛立ちが限界に達したときにどうなるかは保証できないねーぞ。

 「お前らに関係ねえだろ、ばーか」とか普通に言いかねない。いや、言わないけどさ。


「……やっぱ返すわ」

「重いから、や」

「無駄に可愛いのやめてくれない?」

「ぶち転がすよ」

「もうやだ怖い」


 何が怖いって、これだけ殺意の込められた暴言を受けたとしても何のダメージも受けている気がしないのが怖い。

 一周回って可愛いよねとか思っちゃうのは、そろそろ末期だからに違いない。


 そんな可愛らしい幼馴染さんの今日の髪型は、低い位置で緩めのお団子を作ったハーフアップ。

 ふわふわとした可愛らしさと同時に、大人びた印象を与えるその髪型は、彼女が好んでいるものの一つだった。


 これで感情表現が豊かだったのならば、一体どれだけの男が虜にされるのだろう。

 考えただけでも恐ろしいのだが、コイツは俺以外にはそんな態度をとっているんだよな。


「……そりゃ、モテるわな」

「……何の話?」

「うーん……妹の話?」

「シスコン」

「ありがとう。家族想いと言ってくれ」


 雑に誤魔化しながら、歩みを進める。

 向こうからの詮索はそれ以上なかった。


 こちらに思うところがあったということは、間違いなくバレている。

 それを見逃してくれる優しさがあることに気がついて、思わず頬を緩めてしまった。

 



 ✳︎


 


「……よーし、ギリギリセーフ!」

「…………無駄に汗かいた」

「それは普通にごめんって」



 教室に入った瞬間、多方面から様々な感情を含んだ視線を感じた。

 

 藍夏と離れる。

 それと同時に彼女の表情は無表情から柔らかなものとなり、多くの生徒が彼女のもとへと集まっていく。


「…………よう、親友!」


 対して、嬉々として俺に話しかけてくる相手などコイツのみ。


「ほざくなクソ眼鏡」

「おいこら、早々に暴言が過ぎやしないか?」


 態々、野暮ったい黒縁のメガネを身につけている自称親友に挨拶代わりの八つ当たりをしてから、彼の後ろの自席についた。


 一度大きく伸びをして、それからぼんやりと思考に耽る。

 俺の考え事なんて、彼女についてのものであることがほとんどであることなど、態々説明するまでもない。


 賑やかな雰囲気の中心で、微笑みを浮かべる少女を見る。そこに重ねるようにして幻視したのは、一人ぼっちで俯いていた彼女の姿か。

 ろくに友達もつくれずに周りに当たり散らしていた彼女が、ここまで周りと馴染めるように努力をしたのだ。

 それはきっと並大抵のものじゃない。

 たくさん泣いて、たくさん我慢して、そうやって身につけた彼女の生きる術だ。

 成長の軌跡を見守り続けてきた俺が、それを否定することは決してない。 


 まあ、藍夏の立ち振る舞いに文句をつけたいと感じたことがないのは、そんな理屈めいたものではなく、偏に俺が彼女に甘いからという理由で済む気がしなくもないのだが。



 はぁ、とため息を一つ。

 それはそれとしてと思考を一度切り替える。

 

 宮城藍夏を中心としたクラスの雰囲気は和やかなように見えて、その実、水面下ではいつ破裂してもおかしくない幾つもの水風船をお手玉しているような状況が続いている。


 クラスカーストのトップからはかけ離れた場所にいる俺と佐竹にとっては、勝手にしてくれというのが本音なのだが、そうも言っていられない事情がある。


 その事情というのは単純で。


 先程の例えを続けるのならば、水風船をお手玉している人物が俺であることが問題なのであった。

 尚、水風船は何もしなくても劣化により破裂するものとする、なんて条件が後付けされるわけなのだから本当にやってられない。


「どーしたよ、ため息なんて吐いちゃって……まさか恋煩いか?」

「待てマジで洒落にならないことを言い出すのはやめろ。どうなっても知らんぞ、俺が」

「人質が自分とか、中々面白いことしてんな」


 自惚れているみたいで嫌だが、鈍感を気取るつもりもないので明言しておく。

 俺に関する恋愛関係についての云々が宮城藍夏の耳に入った瞬間、彼女は絶対に不機嫌になる。

 結果、しばらく避けられるか何かして俺が死ぬ。その自信しかなかった。


「で、恋煩いじゃないなら何だって?」

「……世界が平和にならねーかなと嘆いてた」

「なるほどわからん。まあ、いいや……なんか面白そうなことがあったら、遠慮なく俺を呼ぶんだぞ」

「そこで面白そうなことって言い切るのがお前らしいよな。ぶっちゃけ嫌いじゃねえわ」


 だって、何の罪悪感も覚えずに面倒事に巻き込めるんだもの。

 

「うおっ、すげぇ悪寒。やっぱ無しで」

「待てが効くわけないだろうが。言質はとったよ。ほら、よく言うじゃねえか。口は災いの元だって」

「せめて直球で災いって言うのやめい。面白いことって言っただろうが」

「え、人の不幸とか嫌い?」

「は? 大好きに決まってんだろ。舐めんな」

「性根が捻じ曲がってるようで何より」


 ギャーギャーと意味もないことで騒ぎながら、朝のショートホームルームが始まるのを待つ。


 そんないつも通りの朝。

 日々、増え続けている棘付きの視線などには、さも気がついていませんよと言うように。



 一つ、欠伸を噛み殺した。






 ✳︎



 


 そして、同日。

 最後の授業。

 

 LHRにて取り上げられた一つの話題を前にして、俺は頭を抱えることになっていた。


「まぁ、お前がつまらんちょっかいなんて気にしないって言うなら俺は何も言わねえけどよ…………それはそれとして、これどうすんのさ?」

「うるせー知るかよ。そんなの俺の方が知りたいぐらいだわ」


 黒板にはでかでかと大きな文字で『班決め』と書かれており、教室全体の様子はザワザワと騒がしく、そして賑やかなものになっていた。


 教室の隅にポツンと取り残された俺と佐竹を除いて、だが。


「…………だいたいおかしいだろ。なんで高校生にもなって、遠足なんて行事が生き残ってんだよ。学生の本分は勉強だろうが」

「一生徒の俺にそんなことを主張されてもなぁ。その意見の方が学生らしくないと思うぞ」


 何に悩んでいるかといえば今話した通りだ。

 俺たちが通う白野兎(はくのと)高校の学校行事。

 校外研修――とは名ばかりの遠足の授業の班決めを行なっているのである。


 

 白野兎高校は学校行事に力を注ぎ込んでいることに定評があり、初夏に行われるこの遠足は新たなクラスでの親睦を深めることが目的らしい。

 クラス内の仲を深めるために、とクラスごとに遠足の行き先が違うという徹底ぶりだ。力の入れ方が初手から狂ってやがる。


 去年も同じ行事があったのだが、確か風邪か何かに罹って行かなかったんだよな…………今年は仮病でボイコットしてやろうかしら。


「因みに、薄雲が休んだら俺も休むからな」

「お前が休んだところで俺に大した影響はないんだが……確実にサボったのがバレるな」


 あと多分だけど幼馴染様が許してくれない。

 あの子、変な所で真面目だから。


「……ま、残ったところに入れてもらうしかないんじゃないのか」

「それもそうだな」


 頬杖をつきながら、楽しそうにしている生徒たちを外野から眺める。

 少しだけ間を置いて、視線を前に座る友人の背中へと移した。


 ……こいつ一人なら、幾らでもやりようがあっただろうに。


 ふと、そんな思考が脳裏を過ぎて、けれども口に出すことはしなかった。

 それは余りにも不粋というものだろうから。


 机に突っ伏し、半分意識を眠らせるようにして休ませること十数分。

 こちらに向かって近づいてくる気配があった。

 さて、貧乏くじを引いたのはどのグループでしょうか、と顔を上げて、思考が止まる。


 気がつけば、教室中の音が消えていた。

 肌がピリつくような感覚。

 視線が集中しているのがよくわかった。



「………………っ、…………!」

「…………ん、どうした。こんな所で」



 無表情のまま、真っ直ぐにこちらの瞳の奥を貫く視線。

 何を伝えようとしているのか、何をしようとしているのか、それを察して動くことは容易なことだった。


 けれど、今だけはゆっくりと、静かに彼女の――宮城藍夏の言葉を待った。









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