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18 感謝と歪み








「……で、できた……と思う」


 神妙な面持ちで器に装われた肉じゃがを見つめる幼馴染。

 もはや睨んでいるのではないかと疑いたくなるほどの目つきになっている彼女を亜澄葉さんは微笑ましそうに見ていた。

 うちのクラスの奴らもこの人ぐらいの寛容さを持っていてくれたら、俺としては楽なんだけど。

 そんな有り得ない想像なんかを浮かべながら、藍夏の視線を追うようにして盛り付けられた肉じゃがに目を向けた。


 にんじん、さやえんどうが彩りを加え、味のよく染み込んだ玉ねぎと豚肉、しらたきの程よい色味。率直に言って、既に心が躍り始めている。

 汁気は少なく、味が奥まで染み込んでいる肉じゃがとほかほかのご飯を隣に並べられては、食欲が掻き立てられるのは言うまでもないことだろう。


「……待ちきれないって顔してる。藍夏さん、早速頂いてもいい?」

「…………ん」

「そんな緊張しなくてもいいのよ、藍夏? 味の方はお母さんが保証するわ」


 俺の目を見て、呆れたように翠は笑った。

 幼馴染から食事の許可が出されたので、両手を合わせて食前の挨拶をする。


「っし、んじゃ、ご馳走になります!」

「…………ん」

「はい、どうぞー」


 そうして一目散に箸を向けたのは、本日の食卓のメインである肉じゃが。

 視界の隅で幼馴染様の無表情が更に強張りを増した。ただ、今は敢えて彼女の反応を無視しつつ、待ちに待ったご馳走を口に運ぶことに集中する。


「……ん、うまい」

「………………そう」


 生憎と芸能界なんかを目指しているわけではないため、気の利いた食レポなんかはできないが、ただ一言、思ったままに感想を述べた。

 満足げに目尻を下げた藍夏も同じように食事を始め、一口、肉じゃがを口にしたところで眉を顰める。


「…………お母さんが作った方が、美味しい」

「あら嬉しい」


 十分美味しいと思うんだけど、と翠の方を見てみれば彼女も俺と同じような顔をしている。

 微笑ましく藍夏を見ていた亜澄葉さんだが、娘に促されるままに肉じゃがに口をつける。


「……んー? お母さんも普通に美味しいと思うけどなぁ…………藍夏は自愛が足りないんじゃない?」

「……自愛?」

「そう、自愛。よく言うじゃない? 隠し味は愛情だって」

「…………意味がわからないこと言わないで」


 数秒ほど考えて、母親が何を伝えようとしているのか理解したのだろう。

 うまうま、と今も呑気に肉じゃがを味わい続けている俺や翠だが、もし亜澄葉さんの言葉が真であるのなら、つまりそれは――


「うるさい。黙って」

「…………何も言ってねえですよ」

「顔が言ってた」

「ちょい理不尽では?」


 ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた藍夏の頬はほんの少しだけ色づいていた気がした。




 ✳︎



 ざー、という水音がキッチンの中に響いては消え行き、やがて静寂が訪れる。

 蛇口から零れた水がシンクへと落ちる音。

 右手のスポンジがキュッと小気味好い音を鳴らした。

 無心で皿洗いを続ける。

 掃除だったり、皿洗いだったり、カレーを煮込む時間なんかだったり。

 そんな日常の中に存在する何気ない空白の時間のことを、昔から好ましいと感じていた。

 ぼうっとしていることが自覚できる時間。

 それはつまり思考を休ませていることを指しているのだと思うから。


 食器の泡を水で洗い落とし、隣に立つ藍夏へ渡す。受け取った食器を彼女は丁寧な手つきで拭いて、水切りラックの上に並べた。

 肩がぶつかることなんて一度や二度の話ではない。お互いに邪魔にならないギリギリの距離感で、しばらくの時間を過ごしていた。当然だが会話はない。

 我ながら会話がない時の方がリラックスできる関係性って奇妙すぎんか? それだけ聞くと仲悪いみたいだよね。


 因みに、翠は既に帰宅済みだ。

 食事を終えた後に俺が洗い物を引き受けたのを見て、彼女はあっさりと「じゃ、私帰るから」と一言だけ告げて宮城家を後にしていた。

 早々にお風呂へと逃げ込んだ亜澄葉さん同様、俺と藍夏に気を回してくれたのかもしれない。まことに出来た妹である。


 それから、穏やかな心持ちのまま皿洗いを続けること数分で贅沢な時間は終わりを迎えた。

 単純に洗う物がなくなった、というだけなんだけどね。


「…………」

「ん、お疲れさん。ありがとな」


 感謝と労いの意が込められた視線に、笑顔で言葉を返す。特にやることもないのでタオルで手を拭き、キッチンを後にする。

 幼馴染に背を向けたそのときだった。


 コツン、と。

 背中に何かがぶつかる。

 ふわりと彼女の髪が揺れた。

 どことなく甘さを感じる落ち着く匂いを覚えたところで、藍夏が後ろから抱きついていることにようやく気がついた。


「…………どした?」

「……………………」


 グリグリと無言で頭を背中に押し付けてくる幼馴染様。反して遠慮がちに回された華奢な腕。淡雪のように白い柔肌に触れると、ピクリと身体を震わせる。


「………………昨日の、こと」

「……ん、気にしなくていーよ」


 どうやら、件の転落事故について話がしたいらしい。

 因みにこの事故だが、俺が口止めを頼んだ結果、うちの班員とナル先生以外は事故が起きたこと自体を知らなかったりする。大事にしたくないとは言ったが、教員内に共有すらしなかったナル先生はそれでいいのだろうか? いつか知らない内に懲戒免職とか受けていそうで心配。

 まあ、それはそれとして。


「……終わった話を蒸し返すのは、好きじゃないんだけどね」

「…………勝手に、終わったことにしないで」


 コツ、コツと二度の衝撃。

 目一杯に不満の感情を伝えてくる幼馴染様。

 でも、頭突きをコミュニケーションツールとして使うのはどうかと思います。


「……知ってると、思うけど………………私、こんなだから…………言葉にするのは苦手……頭、真っ白になる、から」

「……」

「……でも、その…………っ、あの……嫌じゃ、ないの……」


 辿々しさと拙さの間には、言葉選びを丁寧に行う確かな優しさが見えた。

 藍夏は本質的には非常に思慮深い人間だ。

 俺との付き合い方に問題があるように見えるため勘違いされやすいが、彼女は人間関係を構築することを得意としている。

 そもそもの話、クラスの人気者なんかをやってみせているこの幼馴染様にコミュ力が欠落しているわけがないのだ。

 欠点と言えば、緊張や焦りで理性の制御が及ばなくなった瞬間、本人すら予測のできない行動が突発的に引き起こされるだけなのだから。


 はい、そこ。十二分にデカいデメリットだとか言わないで。ほとんど俺に対してしか発動しないから、この特性。

 

「…………薄雲は……多分、言わなくてもわかってくれる…………それを、私がわかってることにも気づいてるんだよね?」

「…………」

「ずっと、ずっとそうしてきた…………薄雲が、何の文句も感じてないことだって、わかってるの…………だから、これは自己満足」


 もう一歩、先に進みたい。

 そう告げる藍夏の顔は残念ながら見えないが、きっといつもの無表情なんかではないのだろう。それが感覚的にわかるから、贅沢にも勿体無いなんて感情を抱いてしまう。


「…………私を助けてくれて、ありがとう」


 言わなくても伝わっている。

 過度な謝礼は必要ない。

 大仰に対応されてしまうと、まるで自分が大層な善行をしたのだと勘違いしそうになるからだ。

 財布を拾えば交番に行く。

 迷子を見つけたら手を貸してやる。

 年寄りに席を譲ったり、大量の配布物を一緒になって捌いたり、そんな当然の出来事と何の違いもない。

 幼馴染が困っているときには隣に居る。

 寧ろ、俺にとってそれは前に挙げ連ねた全ての事象よりも当たり前のことだった。決して、特別に感謝なんかされるものじゃない。


 そんな面倒臭いことを考える俺のことも、きっと彼女はわかっている。


「――ッ」

「…………これは貴方に捧げるための言葉じゃない……私の心から溢れて零れた、想いのほんの一欠片みたいなもの。掃いて捨てるほどあるような、受け取ってもらわなくても誰も困らないような独り言だから」


 丁寧に、ゆっくりと。

 言葉と自分の感情の間に僅かにでも差異がないことを確かめながら、噛み締めるように言葉をつむぐ。


「いつもありがとう、薄雲…………あと、多分そろそろ、私恥ずかしくなってメンタル死ぬから……今日、振り向かずに帰ってね」

「……あいよ」


 顔が尋常じゃないぐらいに熱い。

 誰が振り向いてやるもんか、なんて負け惜しみのように考えながら、今度こそキッチンを後にして、廊下へと出た。


 パタパタと顔に溜まった熱を取り除くように手を扇ぐ。


「…………ほんっと、いつになっても勝てる気がしねぇなぁ」

「ふふっ、それはお互い様じゃないかしらー?」


 無意識のうちにこぼした独り言。

 ほとんど不意打ちのような反応が返ってきて、背筋がピンと伸びた。


「…………心臓に悪いっすよ、亜澄葉さん」

「ごめんなさいねー」


 丁度、亜澄葉さんがお風呂から上がり、脱衣所から廊下へと出てきたタイミングと俺の帰宅のタイミングが重なった、ということだろう。

 幼馴染様といい、この人といい、つくづく背後を取るのが上手な家系である。FPSとかの才能あるんじゃないのかしら? それか暗殺業。後者の方が似合ってそうなこと、どうにかしてほしい。


「今の俺、アイツに帰るまでは振り向くなって言われてるんで」

「あら、奇遇ね。私も今、身体にバスタオル巻いたままなのよ。振り向いちゃダメよ?」

「バカじゃないの???」


 え、ほんとにバカじゃないの?

 珍しく心の声と実際の発言が完全一致したぐらいには驚いてます。いや、呆れてるの方が近いか? それにしても、普段は考えてることと発言が一致してないとか信用できねー男だなぁ、我ながら。


「風邪ひきますよ…………いい歳して」

「んー? そんな生意気なことを言う悪い口はこれかなー?」

「何でこの状況で近づいてくるかなぁ!?」


 うりうり、と後ろから俺の両頬をつまんでくる亜澄葉さん。せめてタオルが落ちないように片手は防御に回して欲しかった、とどこかズレた文句を考えながら、視線を前方に固定することに全力を尽くす。


「律儀だなー、全く。ま、息子に裸を見られても私は気にしないけど……あの子に怒られちゃいそうだしねー…………ん、今、後ろから抱きしめるのは勘弁してあげましょう」

「…………」

「あ、現実逃避してる」


 そりゃ、現実逃避もするでしょうが。当たり前です。

 亜澄葉さんの問題発言を受け流そうと、どうでもいい思考の海へと身を投げ入れ、沈むどころか勢いそのままバタフライをかますぐらいには全力で現実逃避をしていますとも。


 自発的に意識を遠くの方へと放り投げていた俺の鼓膜が震える。

 不思議なくらいにすんなりと、その言葉の意味は頭の中に入ってきた。


「……ありがとう。私たちの宝物を、娘を助けてくれて本当にありがとう」


 親子だなぁ、とそう思った。

 ほとんど裸だからという理由で抱きついては来なかったらしいが、仮にそうでなかったら、行動まで完全に娘と同じになるところだった。


「…………お礼なら、もう十二分に受け取ってます」

「そっか……相変わらずだね、こーや君」

「つまらない回答だと思います?」

「まさか……君らしいって言ったのよ」


 呆れたような声。けれど、それだけではなく、どこか彼女の声は上機嫌なように聞こえた。


「……じゃ、帰ります。肉じゃが、ご馳走様でした」

「ええ、気をつけて」

「すぐ隣なのに気をつけても何もないですよ」


 俺の言葉に「それもそうね」と楽しそうな声で応じる亜澄葉さんは、その後、ほんの少しだけ息を呑み間を置いた。


「…………ねえ、紅夜君」

「……何です?」

「………………んー、やっぱりなんでもないわ。おやすみなさい」

「……? はい、おやすみなさい。お邪魔しましたー」


 何かを言いかけたような、そんな空白の時間が少し気になったが、幼馴染との約束のせいで顔色を伺うことができない。

 迷いながらだとしても亜澄葉さんが言わなくてもいいと判断したのなら、態々俺が気にする必要はないだろう。

 そう思考に結論づけて、宮城家を後にする。

 

 いやぁ、にしても美味かった。

 幼馴染様の手料理自体は割と食べる機会があるのだが、出来立てとなるとまた話が違う。

 次はいつになるかな、なんてことが当たり前のように思考できる今の俺の環境は、きっとすごく恵まれたものなのだろう。


「……ほんと、感謝はこっちの方だよ」


 嘘偽りのない純粋な感情、思考をそのまま言葉に落とした。

 



 ✳︎





「もっとあなたの好きなことをやってもいいんだよ、紅夜君…………なんて言っても自覚がないから伝わらないとは思うけどね」


 一人になったその女性は我が子を慈しむような目を玄関の先へと向けたままつぶやいた。








 スローペースで進めて参ります。

 

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