16 幼馴染と遠足(5)
雨に打たれ、泥に塗れ、格好なんて一切つかない始末ではあるが、それでも女性の前では意地くらい張り続けるのが男の子ってものである。
休憩を取った後。
岩のように重たい体に鞭打って、無心になりながら藍夏を運び続けること二十分程だろうか。
「……おーおー、派手にやったな、お前。大丈夫か?」
唐突にかけられた声に一瞬、反応が遅れる。
ガバッと顔を上げ、声のした方向に目を向けるとそこには我らが担任教師の姿があった。ちゃっかり、傘なんて便利なものさしてやがる。
「これが大丈夫に見えてたら問題では? 明日、筋肉痛確定っすよ」
「うるせー、クソガキ。大丈夫じゃねえなら、大丈夫じゃないってさっさと言え。俺じゃなかったら、大問題だぞ」
「あ、やっぱバレてます? 謝るんで、ちょっと荷物持って貰ってもいいすか」
「……はぁ、仕方ねーなぁ」
ナル先生は佐竹から話を聞いて、俺と藍夏の中に問題が生じたことを察していたらしい。
そりゃそうだよなぁ。ただの怪我なら、どう考えても班員全員で負担を分け合った方いいに決まっている。
助けが必要なほどの大怪我だったから置いてきた、というのなら、また遭難とは別の意味で大事になるわけだし。
面倒臭そうにしながらも、山荘を飛び出して来てくれたことには感謝しかない。
遠慮なく、荷物を渡すとナル先生は僅かに表情を歪めた。
「…………薄雲、お前どのぐらい歩いた?」
「大した距離は歩いてませんよ。ほら、俺ただの陰キャですし」
「今、お前の性格は話に関係ない」
「わぁ、手厳しい……正確な距離がわからないのは事実ですよ。まぁ、この子が眠るぐらいの時間は歩きましたけど」
ナル先生の視線が俺の背後で寝息を立てている彼女の方へと移ったのがわかる。
一瞬、何見てんだテメェとキレそうになったが、流石にそこまでふざけられる元気はなかった。
「……呑気なもんだな」
「そう望みましたから」
「俺は時々、お前が怖くなるよ」
「……アンタ、生徒に何言ってんだ?」
「聞き逃しといてくれ」
「問題発言しかしないなぁ!?」
先生としてあるまじき言動。
ナル先生は常識や良識からは考えられないような行動を取ることが多い。
フランクな態度や偏見のないフラットな視点がそうさせるのか、彼の生徒へ向ける態度は一貫して異質なものだ。
ただそれでも、常に彼は生徒たちから確かな敬意を向けられている。
その一点では、彼は誰もよりも教師として認められているような気もするのである。
「何にせよ、助かりました」
「お前なら意地でもここまで辿り着いてた気もするけどな」
白野兎山荘が見えてくる。
身体から力が抜けそうになるのを必死になって抑えつつ、最後の最後まで気を抜かずに歩みを進めた。
「…………注目の的だな」
「考えないようにしてた所なんすけど」
「教師は、生徒に正しく夢と現実を見させてやる職業なんだよ」
澄ました顔でそんなことを言う男の瞳は、相変わらず濁っていた。
彼に促されて周囲を見ると、遠巻きに多くの生徒たちの視線を集めているのがわかる。
いや、正しくは視線を集めているのは俺の背中で眠りこけているお姫様の方みたいなのだが。
これからどうしようか、なんて考え始めた矢先のことである。
「ああ、そうだ。お前ら風呂入ってこい」
「え、混浴ですか?」
「なわけあるか、くたばれ」
ナル先生は呆れたようにそう言って笑った。
✳︎
グランピングができる施設には、客の為に浴場が設置されているところも少なくないのだという。
近隣の銭湯の割引券を配布している場所なんかも多いそうだが、白野兎山荘が提供しているグランピング場は前者に当てはまる方だったらしい。
バスでやって来たことから、個人の都合で帰りの時間をズラすことはできない。
時間に余裕はないが、短くても入らないよりはマシだろうということで、浴場を使わせて貰えることになった。
まあ、突然の雨により濡れ鼠状態になったのは俺たちだけではなかったとのこと。
あまりに酷かった俺たちは強制的にだが、着替えに当てがある者は同じく入浴が認められたようだ。
ほぼ貸し切り状態に近い大浴場をクラスの面々がテンション高めで使用しているのを横目に、シャワーを浴びる。
洗っても洗っても髪から砂利や泥が見つかるので、風呂に浸かるのはもう少し後のことになりそうだった。
それにしても、ナル先生は俺と藍夏は着替えのことを気にしなくていい、なんてことを言っていたのだが、予備の体育着でもあるのだろうか?
随分と用意がいいことで、と不思議に思っていると隣に人の気配。
泡を流してから横を向くと、そこには顔は知っているが名前を知らない男子のクラスメイトが座っていた。
確か、藤堂とよく一緒にいる生徒なのだが、俺と関わりは何もないはずである。
偶然か、と視線を前に戻してボディソープを手の上に出していると、わかりやすい舌打ちが飛んでくる。
どうやらイライラしていらっしゃるみたい。
何か嫌なことでもあったのだろう。可哀想に。
あ、泡立ちいいな、このボディソープ。結構好きな方かも。匂いも癖とかなさそうだし。
「……っ、おい……!」
俺はお洒落や身嗜みに気を遣うタイプじゃないからなぁ。好みのものしか使わないって人も女子とかには多いらしいし、拘っている人のことは尊敬している。
多少は気にするべきなのだろうが、食指が動かんのだから仕方ないよな。
「…………ちっ! 無視、してんじゃねえよ!」
突如、大浴場に響き渡る大声。
しんと静まった空間に、バシャと水が地面に叩きつけられた音が響く。
ポタポタと前髪から滴る水滴を眺めながら、隣の男が自分の頭の上でタライをひっくり返したことを遅れて理解した。
コレ、冷水じゃないだけ、マシだと思うべきなのだろうか?
「…………なぁ、いきなり無視とか言われてもよくわからんけど、お前、一回でも俺の名前を呼んだのか?」
「…………あ?」
「それとも、人の名前を『おい』と勘違いして覚えている可哀想な奴なの?」
話しながらシャワーを手に取りつつ、身体に残った泡を流していく。
こいつ、時間に余裕がないってことを知らないのか?
「……ッ! うざいんだよ、お前。いつもいつも、他人のことを見下してそうな目しやがって! 宮城さんに粘着してるだけのストーカーの癖に!」
キンキンと近くで発された大声に、頭痛が誘発される。何デシベルで話しているのか、気になるな。沢山カロリー使ってそう。
髪を手櫛ですいてみて、泥やら何やらをある程度流し切ったことを確認し、立ち上がる。
何でもいいけど、そこまで重要な話ではなさそうだ。湯船に浸かってからでもいいだろう。
「……っ! 何だよ、言い返す言葉もないのか!? どうせ喧嘩もしたことないんだろ! かかって来いよ!」
わぁ、すごい元気。若さっていいですねー。
そんな感想を抱きながら、大風呂に全身を浸す。
「……ぁぁ、……気持ちぃぃ」
意図せず、爺の呻き声のような音が唇から溢れてしまい、少し笑いそうになった。
心地の良い温度に眠気を覚えつつも、そろそろ、真面目に大声で喚いている彼の話について考えることにする。
いやね、わかってた。わかっていました。
俺に対して理不尽なまでの不満を抱えている生徒が何人か存在していることぐらい、端から承知の上ですとも。
だから、いちゃもんをつけられたこと自体に疑問はないのである。
わからないのは、それが何故今なのか。
どうして、今日このタイミングで佐藤くん(仮)の怒りが爆発したのだろう。
それが、只管にわからない。
「おい! 聞いてんのかよ、薄雲!」
ここで湧き上がる初めての罪悪感。
君、俺の名前を知っていたのか、という驚愕が表情に出ないように努めて無表情を貫いた。
「……聞いてるけど、まず風呂場で大声出すなよ。貸切じゃなくて、サービスで使わせて貰ってんだぞ。考えろ」
「…………っ!」
取り敢えずの正論パンチ。
これは佐藤くんへの嫌がらせというより、普通に迷惑だからやめろという警告。
偶に聞くじゃんか。上の代がヤンチャしたせいで、下級生が遠足に行けなくなる話とか。割と胸糞だよね、アレ。
「で、本題は何?」
俺の声量は決して大きくない。
それでも会話が成り立っているのは、浴場の中にいる全ての生徒が俺と佐藤くんの会話に注目し、沈黙を保っていたからだろう。
「…………っ、宮城さんに近づくな」
「何で?」
「……な、なんでも、何も……す、ストーカーを辞めろって言うのに理由は必要ないだろ!」
佐藤くんの言葉を少しばかり考える。
確かに言っている内容は間違っていない。
けれど、どこか引っかかるものがある。
「どうして俺が宮城さんのストーカーってことになってんだ?」
「……そんなの、皆が知ってることだろ。話をすり替えるなよ」
「話をすり替えたつもりはないんだけどなぁ」
周りの生徒の顔を見る佐藤くんだが、俺の反応を気にしてか、周囲からの賛同はまちまちといった具合である。
それでもゼロではないのだから、自分の悪名の高さは喫驚ものだ。
気分は悪人をとっちめるヒーローって所だろうか……いや、違うな。
多分、コイツはもっとタチが悪いタイプだ。
それっぽい理由をつけて、私情をぶつけられている。そんな感覚がしていた。
「…………はぁ、わかったよ」
「……? な、なら、もうお前は――」
「明言すりゃいいんだろ、鬱陶しい」
「……は?」
一度、本気の線引きが必要だと思った。
これ以上踏み込むならば、相応の覚悟をしろという忠告を孕んだ一言だ。
そもそも、目の前の男が本気で正義の味方を名乗ろうとしているのなら、俺だってとことん納得するまで話し合いをしてやろうという腹づもりであったのだ。
けれど、コイツは違う。
彼は、俺が藍夏のストーカーという立場で居なければ困るとでも言いたげな顔をしていた。
なら、態々この茶番に付き合ってやる道理はない。
「俺は何を言われても態度を変えるつもりはないし、宮城さんのストーカーとやらになった覚えもない。以上だ…………もう上がるわ」
本当はゆっくりお湯に浸かりたかったんだけどなぁ、なんて思いながら湯船を後にする。
「……ふ、ふざけんなよ!」
「だから、何が? 俺が何したんだよ」
予想の倍はしつこい佐藤くん(仮)である。
時間がないって言ってるでしょうが(言ってない)とキレそうになったが、態々、隙を見せるのもアホらしい。
冷静に、冷静にと何度も心の中で繰り返して対応を続けると、彼は口をつぐんで顔を赤くする。
もういいかと今度こそ浴場を後にして更衣室へと戻ると、そこにはナル先生の姿があった。
腰元にタオルを巻き付けて、最低限の防御を固めてから話しかけに行く。
「……うるさくしてすいませんねー」
「…………介入はしなくていいんだな?」
「はい。俺、悪いことしてませんし」
「……はぁ……あまりいじめてやるなよ」
「わかってますとも……というか、小言言われるのは俺の方なんですね」
「大事にしたくないって言ったのは、お前の方だろ」
ため息を吐くゾンビ目教師。
因みに、この男、全く服を脱いでいたりはしていなかった。
何しにきたんだこの人とジト目になりかけたところで、彼は何かが入った袋を渡してくる。
「……なにこれ?」
「山荘のスタッフさんが、食事のオマケに是非どうぞと押し付けてきてな」
中を見ろと言われ、大人しく袋に手を突っ込む。
「…………服?」
中から出てきたのは、正面に『しろうさぎ』の文字と背中に白野兎山荘の絵が描かれたお土産Tシャツだった。
流石に生地は安物感があるが、装飾やその他の出来栄えは見事の一言であった。
「お前らにはそれが有ったから風呂を勧めたわけだが、他の奴らはどうするつもりなんだろうな?」
雨に濡れた同じ服を着る……のはかなり抵抗がありそうだが、そうする以外にないのではないだろうか。
「本当は帰ってから班ごとにこっそり渡すつもりだったんだ。班の中でお揃いで買ったことにしとけよ。今はこういうの特別扱いだって怒られたりすんだからよ」
特別扱いは今更では、と思いもしたが、シャツを用意してくれたのはあくまでも山荘側の厚意であるとのこと。
ならば早速、着替えとして使わせてもらうとしよう。下着はギリギリで乾燥が間に合ったようなので、結果としてみれば、ズボンだけを我慢すればいい状態にまで復活できた。
濡れ鼠スタートだと考えれば、大躍進と言えるのではないだろうか。
鼻歌まじりに髪を乾かし、更衣室を後にする。
散々騒いだ――いや、別に俺は騒いでないんだけどね?――ことで妙に注目を集めてしまい、居心地は悪かったが更衣室で絡んでくるようなやつはいなかった。
泥やら雨やらで酷く汚れた荷物の様子をチェックしている内に、集合の時間がやってくる。
外に出れば、雨は完全に止んでいて、雲間からは日差しが差し込んでいた。
車酔いから始まったこの遠足も、もうじきに終わりを迎える。
これだけ動き回ったのだから、帰りのバスでは嫌でも眠りにつけることだろう。
「よ、おひさ」
「……はぁ、おひさじゃねえ。心配させんな」
「おっと、友達みたいなこと言うじゃん」
「友達ではあるよね??」
駐車場にて佐竹と合流。
ナル先生から連絡が行っていたのか、佐竹や少し離れた場所で友人と会話している藤堂も、山荘で売られていたTシャツを着ている。
君たちお揃いで仲良いね、なんて揶揄いは自分にも返ってくるのでやめておこう。
「……まあ、なんだ。お疲れさん」
「そっちもな」
あの雨風の中、藤堂と涼風の引率をしたのだ。疲れているのはお互い様だろう。
空を見る。
残念ながら虹なんてものはかかっていない。
止まない雨はない。
そんな言葉を時々、耳にする。
その通りだと思いながらも、雨が止んだ所がゴールではないことを忘れてはいけないとも思うのだ。
だってまだ、問題は何一つ解決していないのだから。
いつかの言葉を思い出す。
道化の手から宙へと舞った水風船は、今にも爆ぜそうなくらいに張り詰めていた。
遠足編終了。
一応、区切りがついたので連続更新はここまでにさせて頂きます(遅筆なもので申し訳ない)
感想批評、評価その他諸々を是非とも宜しくお願いします。モチベ及び書く速度に直結します故(現金なやつ)
なるべく早めの更新を目指しますが、長い目で見守って頂けると幸いです。




