15 幼馴染と遠足(4)
「…………いい景色」
「天気がいいからな。幸運だ」
山の頂上と聞くと、岩場の殺風景なものを想像する人も多いだろう。標高が高い山岳地帯などではその想像も間違いではないが、なだらかな丘の上――ともすれば、登ってからどこが頂上なのかわからないような山頂だって珍しくはないのである。
実際、俺たちが登った白野兎山も『白野兎山頂』と書かれた木の板が存在しなければ、どこが最も高い場所なのかがわからないような場所だった。
板の周りに集合して、記念撮影兼証拠写真の入手を行う。エモと夢のなさの温度差で風邪引きそう。
「……さて、自撮りでよかったんだろうか」
「スタンド持ってなかったからね……怒られることはないんじゃないかな?」
写真の写りを確認していた俺に困ったような笑いを浮かべながらも藤堂だけが味方をしてくれる。他の奴らといえば、俺なんかそっちのけで景色やらお菓子やらを楽しんでいた。
「お前いい奴だな」
「……………………」
「なんで嫌そうな顔すんだよ、泣くぞ」
このイケメンの不審行動に関しちゃ、そろそろ思考を放棄したくなってきた所存の俺です。
「……いや、僕は薄雲君にいい人なんて言われるような人間じゃないって思っ――」
「藤堂、評価ってのは、いつだって嫌でも他者に押し付けられるものだよ」
何やら、藤堂が真面目腐った意見を口にしていたので、無理矢理割り込んで持論をぶつけた。
「俺が、お前にいい奴だって言った。お前が他に何を思おうがその事実は変わらないだろ。褒め言葉ぐらい、適当に受け取っておけよ」
悪口を投げつけられたのなら話は別だが、藤堂を貶めるような発言をしたつもりはない。
貰えるものは貰っておくのが俺の主義だ。
お前もそうしとけと伝えると、藤堂は力の抜けたような笑みを見せた。
「…………薄雲君は大雑把だね」
「寛容だと言ってくれ」
強張りが取れたような、緊張の糸が解けたかのような、どこかスッキリとした顔をしている藤堂を見て、ふと思った。
藤堂颯は今この瞬間、初めて俺に自然体の自分を見せているのではないのだろうか、と。
空は青く澄み渡っている。
涼風に絡みに行っている幼馴染や、俺や藤堂を呼ぶ眼鏡の声。
賑やかな心地の良い空気を味わいながら、スポドリで喉を潤した。
「…………ん、いい景色だ」
たまの登山も中々、悪くない。
そんなインドア派にあるまじき思考をぼんやりと浮かべながら、俺はしばらくの間、何をすることもなく時間を潰すのだった。
✳︎
「………………さーて、どうすっか」
呑気につぶやいた自分の声が存外に余裕のないものであることに気がつき、つい苦笑してしまう。
「…………ごめん、なさい」
「……謝んな。悪いことしたわけじゃないだろ。いいから休んでなさい」
耳元から聞こえる掠れ気味の声。
色々と柔っこい感触を背中で受け止めてながら、山中を歩く。
周囲には俺と彼女以外に人の気配はなかった。
「…………大、丈夫?」
「当然。高校生男子舐めんなっての」
山の天気は変わりやすい。
小学生でも知っていそうな常識的な知識。
まさか、それをここまで身をもって経験させられることになるとは思いもしていなかった。
端的に言って、遭難中である。
時を遡ること十数分、山頂から下山する途中だった俺たちは雷雨に見舞われていた。
ゲリラ豪雨もビックリの土砂降り。
さっきまで「青空が素晴らしいね!」なんて思っていたのが馬鹿みたいだった。いや、そんなアホ丸出しの感想は述べていないのだが。
痛いくらいの勢いの雨に加えて、雷まで鳴り始めた瞬間「ジーザス」と真顔で呟いた佐竹を殴りかけた俺は余り悪くないはず。
一々、煽り性能が高いのがあの眼鏡の悪癖だろう。
そんなただ辛いだけであった状況が悪化したのは不運が重なった結果、一つの事故が起こったからだった。
未然に防げた事故だと今では思う。
だが山中、雷雨に見舞われるという初めての体験に俺も注意が散漫していたのだ。
皆に迷惑をかけたくないと、そんな状況だからこそ、彼女が自分の問題を隠してしまうことなど、考えるまでもなくわかったはずなのに。
蓄積した疲労に加え、雨により足場が悪くなった山道。一際大きな雷の音が鳴り、同時に強い風が吹いた。
結果、よろめき足を滑らせて、俺の幼馴染様は見事に転倒した――山道の端側を歩いていた俺に倒れ込むようにして。
後はもう想像の通り。
急勾配の斜面を藍夏を抱えたまま、ぐるんぐるんと転げ落ちたというわけです。
いやー、誇張抜きで死んだと思った。
転がり落ちた先が崖じゃなくてよかったね。あと、倒れた場所に俺が居てよかった。そう思えば運がいい。
そんなこんなで現在、正規の山道からかなり傍に逸れてしまったであろう俺と藍夏は強制的に班員たちとは別行動になってしまったのである。
因みに藍夏さんはバッチリ足を怪我しておられでしたので、問答無用で背中の上に載せてやりました。羽のように軽いな、もっと食え。
擦り傷が中心であり、パッと見では腫れなどは無さそうだったが念には念をの考えだ。どうせ歩く体力は残っていないのだろうし、また転ばれては俺の心臓の方がもたない。
幸い、電話で佐竹たちとの連絡は取ることができていたので、お互いの安否についてはわかっていた。
学校側への連絡をいつするかという話も出たのだが、今すぐにでもするべきだという佐竹の意見を俺の我儘で待って貰っているのが現状である。
いやね、俺も先生達に連絡をして捜索してもらう方が正しいとは思うのよ。
ただ、少しだけ足掻きたかった。
今、俺の背中に身を預けている優しい彼女に、これ以上の責任を背負わせたくなくて。
山荘に戻った後の彼女が「ちょっと怪我しちゃった。心配しなくても大丈夫だよ」なんて、笑って話せるぐらいの未来を、傲慢にも求めたいと願ったのだ。
ザーザーと降り止むことを知らぬ大雨に全身を濡らしつつ、道なき道を進む。
藍夏の身体が羽のように軽いのは事実だが、彼女をおんぶしながら彼女の荷物と俺の荷物を同時に運ぶというのは、中々に骨が折れる重労働である。
重さもそうだが持ちづらさが並ではない。
いや、逆に考えよう。
藍夏が小さめのリュックで遠足に来てくれた結果、ギリギリ一人で荷物を運べているのだ。
これが山岳部の持っているようなリュックだったら、完全にお手上げであった。
全身の筋肉が悲鳴をあげている気もしたが無視だ、無視。多分、気のせいである。気のせいってことにしておけ。
そうでもなけりゃ、やってられん。
しおりに書かれていた正規の山道のルートを思い出しながら、半分ほど勘で山を登っていく。
迷子防止のために落下してきた道を登ればいいのでは、なんて意見もあるかもしれないが、傾斜がキツすぎて藍夏を背負った状態では無理であったのだ。
現在、地道に横移動をしながら高さを稼ぎつつ、上手いこと正規の山道に戻れないかと考えているところです。
ただ、あまり時間をかけると佐竹がブチ切れて、学校側に連絡を入れかねない。
それはそれで有難いことだが、早めに山道へと戻ることができたなら、アイツも俺の我儘を聞いてくれるはずである。
「………、…………っ、……………ん」
「……まったく、泣き虫さんめ」
しばらく無言で歩き続けていると、背後から誰かさんの泣き声が聞こえてきた。
大方、やることがなくなったことで、色々とミスについて考え過ぎてしまったのだろう。悪いことって考え始めると止まらないからな。
割と思考が負の方向に傾倒する癖があるし、この子。
どれだけ綺麗になっても、どれだけ感情を隠すのが上手くなったとしても、なんだかんだで泣き虫なのは昔から何も変わっていない。
「どしたよ、足痛むか?」
「……っ、がう、ち、がうの……す、ぐもが、……う、ずぐもが、いづも……いづも、やざじうで……わだし、わらじぃ……」
すんすんと鼻を鳴らし、声を震わせて子供のように泣きじゃくる彼女に微笑ましさを覚えてしまい、つい笑みが溢れてしまう。
すると彼女はなんで笑っているのだ、と言葉にならない文句を首に回している腕の力加減で伝えてくるのだ。
「残念ながら涙を拭いてやるには手が足りなくてなぁ……すぐに山荘まで届けてやるから、早めに泣きやんでくれよ」
「……ぁいで、なぃ……!」
「お嬢さん、それで泣いてないは流石に無理がありますぜ?」
雨だって? 雨か。なら泣いてないな。
どこぞの大佐のような誤魔化し方をする幼馴染だったが、ここは丸め込まれておいてやる。
まあ、実際に雨降ってるからね! それはもうんざりするぐらいの勢いで。
可愛い幼馴染をあやしながら、歩き続ける。
気づけば、さらに時間は経過していて。
「………………! ……電話、か」
ポケットに閉まったスマホのバイブレーションに気づき、足を止めた。
一度、荷物を地面へと置いてスマホを耳に当てる。
『…………薄雲、もう待てないぞ。というか、俺たち、そろそろ山荘に着くからな?』
いつになく真剣な声音の親友。
だから嫌いになれないんだよ、と本音を溢すのは心の中だけにしておいて、俺も誤魔化すことをせずに事実を佐竹へ伝える。
「わかった。連絡は入れてくれ。ただ、内容は変更だ」
『…………は?』
「ついさっき元の山道に戻ってきたとこだ。ただ、流石にバテバテでな。藍夏が足を擦りむいたみたいだから、それを理由に遅れてることにしといてくれ」
『………………ったく、わかったよ。気をつけて来い』
「あいよ。心配かけて悪いな」
『謝るぐらいなら、やるな……つっても意味ないんだろうけどな』
やれやれ、といった風のため息を最後に通話が切られた。
ひとまず「白野兎山、行方不明の生徒二名!?」的な見出しが明日の朝刊の一面を飾ることはなくなりそうで一安心である。
最低限の連絡も行えたということで、手頃な岩に藍夏共々腰を下ろして、少し休憩を挟むことにした。
長時間座っていても体温が奪われるだけであるとも思ったのだが、足を動かす気力が尽きかけていたのでは休憩もやむを得まい。
幸いというか、今更というべきか、ここに来て雨脚は弱まりつつある。
二人揃ってびしょ濡れの俺たちなのだが、向かい合って座ることで目に毒なあられもない彼女の姿が視界に入るのは当然のことであった。
リュックの中のビニール袋から無言でタオルを取り出して、藍夏の顔面へと投げつける。
意図を察して頬を赤くした彼女の姿は、非常に目の保養になると思いました。
「…………ばか」
「なにその反応萌えるんだけど」
「う、うるさい! ばか!」
「……ふへへ」
「何で笑ってるのキモい」
「おい、最後のだけガチで言ったろ。殺傷能力高いからやめなさい」
いや、ほんともう「キモい」は禁止カードにした方がいいと思うんだよね。
「…………ね、薄雲」
「ん?」
「何で、薄雲は……私なんかに優しくするの?」
ポツリともれた弱音。
「……その質問に答えると、告白そのものになりそうなんだけどいいのか」
「よ、よくない! やっぱ嘘! 何でもないから!」
大慌てで自分の発言を取り消そうとする藍夏を微笑ましく思いながら、わかったよと頷きを返す。
「『いつか私の方から』だもんな」
「うっっっさい! 忘れろ!!!」
遠い昔の記憶に触れると、彼女は真っ赤になって飛びかかってくるのだった。
あ、こら、怪我してんだから、無茶するんじゃない。




