9 幼馴染と腹黒教師
「はい、じゃー適当に班ごと集まれー。連絡事項がたっぷりあるんだ。ちゃっちゃか終わらせてさっさと帰るぞー」
コツコツと教卓を爪で叩きながら、黒板の前に立つ男は気怠げな態度でそう言った。
さっぱりと切り揃えた髪。
髭の剃り残しなどはなく、清潔感のある服装で身を固めた美形の若手教師。
成瀬晴彦――27歳独身。
それは、これほどの好条件が揃ったにも関わらず一切の生気を感じさせない死んだ魚のような目をした残念な男だった。
そんなでも生徒たちからは「ナル先生」なんて略称で呼ばれて親しまれているのだから、顔がいいやつは恵まれている。
どうでも良いが、あだ名の命名に関しては「せが多くて呼びにくい」なんて意見が殺到したからなんて噂があったりなかったり。
「ほれ、騒ぐなっての。お前ら、早く帰りたくねーの? どうせ仕事が残ってるから俺は帰れないんだけどさ」
遠足についての詳細な情報が開示されるらしい授業だからだろうか。
元々、普段の二割増し程度には落ち着きのなかった教室は「仲の良い奴らで固まり直せ(意訳)」の指示を出された結果、かなり騒がしくなっていた。
その様子を覇気のない目で眺めていた担任教師ことナル先生が、ふとこちらへと視線を投げる。
特にやることもなく頬杖をついていた俺を見て、彼はその瞳をより濁らせたように見えた。
「…………なんすか?」
「……騒ぐなって言っといて何だが、お前らの班はお通夜状態過ぎんだろ。程よく"らしく"楽しみなさい」
教室の騒がしさの収拾をつけることを諦めたのか、俺や佐竹が座っている方へとやってきたナル先生がペシペシと頭をはたいてくる。
何の反論も思いつかなかったので、大人しくはたかれていると数秒ほどで教室が静かになっていくのがわかった。
「おー、効果覿面。常日頃から地雷原でタップダンスしてるだけあるな。大注目じゃねえか」
「聞こえない音量だからって何言ってもいいってわけじゃねーのわかってます?」
絶妙な声量での呟きに、ため息を返す。
不本意ながら、俺とこの腹黒ゾンビ教師の付き合いは二年目を迎えており、彼は教師の中では唯一、校内で俺が置かれている立場を正確に把握している人物なのだった。
さて、知っての通り、俺たちの班には藤堂と藍夏というクラス内人望ランキングのツートップが揃っている。それだけでも周囲からの注目は集まりやすいのだが、そこに加えて藍夏といる際には露骨に悪目立ちをする俺がいるのだ。
無意識下において、教室中の注目を最も集めているグループが俺たちの班であることは間違えようのない事実だった。
そして、そんなグループが教室の片隅で教師と会話をしていれば、その様子を伺おうという流れが教室の中に生まれるのも自然なことなのである。
ナル先生はそれを見越した上で、わざわざ俺に絡みにきたのだろう。単純に、俺たちの班の座る一角が通夜状態だったことが目に余ったというのも理由にはあるのかもしれないが。
教室中の注目が集まりきったところで、ナル先生は俺の頭を叩くのをやめる。
それから、何事もなかったかのようにスタコラと黒板の前へと戻っていくその教師の背中を見て、隣に座る藤堂は僅かに首を傾げていた。
「……薄雲君はナル先生と仲が良いの?」
「うへぇ、素直に肯定したくはないなぁ……悪くはないと思うよ。でも、ちょっと目をつけられてるってだけ」
「……誤解するなよ、藤堂。薄雲は基本的にツンデレさんだからな。今のを意訳すりゃ、めっちゃ仲が良――顔はやめて!?」
いつも通り前の席に座っている佐竹が、ドヤ顔で振り向いた瞬間に合わせてグーパンチを叩き込む。
思ったよりも勢いがついた一撃となったが、本人は楽しそうにしているので謝罪は必要ないだろう……己はドMか?
あと、ツンデレ言うな。
今までまともに男友達が出来なかったから、反応に困ってるだけ……あれ、これってうちの幼馴染と同じ症状なのでは?
何か気がついてはいけないような真理に触れそうになった瞬間、背中に生じた鋭い痛みによって俺の意識は現実へと引き摺り戻される。
「…………失礼なこと、考えてない?」
「――ッッ!? 滅相もございません」
本人から説明されたわけではないが、恐らく目が合う可能性が一番低いという理由で真後ろの席を陣取った藍夏からの攻撃。
抓るという攻撃はどれだけ肉体を鍛えていようが防御力を貫通してきそうな気がしてずるいと思います。別に鍛えてはいないんだけどね。
「紅夜、先生が睨んでるわ」
「俺が悪いの? ねぇ、本当に俺が悪いの?」
「……? いつ誰が貴方を悪く言ったの?」
最後に言葉の刃を突き刺してきたのは、いつも通り悪気のない涼風さん。
藍夏の隣に座る彼女は純粋な目で前を向いて先生の話を聞け、と正論を促していた。
前門の眼鏡、後門の女傑。
ナル先生に聞いてますよと目線を送りつつ、そんなワードが頭の中に浮かんできて身震いをする。
「……なあ、藤堂。仲良くしような、俺たち」
「ひぃっ……そ、そうだね、うん!」
で、君はいつまで、僕に怯えているんだい?
個性の強い彼らと過ごすこの先の時間を思い、早くも遠い目になりそうになるのを必死に理性で抑えつける紅夜さんなのでした、ちゃんちゃん。
……もうやだ。兄は妹が恋しいです。
✳︎
ナル先生からの説明を聞き終わり、またしても賑やかさを取り戻した教室の片隅。
遠足について自由に班内で話し合え、との指示が出された後であるので、この騒がしさにはナル先生もニッコリである。目が死んでいるからわからんけど。まあ、学校行事に対してこれほど活発に反応してくれる生徒というのは、準備その他で奔走しているはずの教師からすれば可愛いものなのかもしれない。
ただそうなると、相も変わらず無言が続いている俺たちは可愛くない生徒ということになるような気がしてならないんだよなぁ。
「……というわけなので、何でも良いから駄弁ろうぜ。こんな空気で遠足の目標その他なんて気にしてられねーだろ」
柄ではないが、今は俺が話の進行を担うことにして、まずそう切り出した。
本当は俺もグループの隅で大人しくしていたい人種なのだが、場合が場合であるので致し方なし。
机を向き合わせて輪を作り、班員の顔を一瞥する。誰かこの役回りを変わってくれる人はいないかなぁ、という助けを求める意味合いを含んだ視線でもあった。
ニヤニヤしている眼鏡に、なぜか頼りになりそうにないイケメン、コミュニケーションの癖が強い不思議系美少女。そして可愛い論外さん。
お前ら、揃いも揃って顔を逸らすじゃない。
こっち向けっての。
「まずは自己紹介から始めた方がいいのかしら?」
「流石にこれだけ濃いメンツで名前を知らない相手はいないと思うけどな……佐竹だけは挨拶しとくか?」
「暗に俺のキャラが薄いって話してない? 俺以外が濃いだけだから、そっち基準押し付けないでほしいんだけど」
そんなことを言いながらも、佐竹はメガネをクイクイと指で押し上げてインテリ感を出そうとしている。無駄な足掻きは見苦しいのでやめなさい。
「佐竹和馬と藤堂颯、あと宮城藍夏に紅夜。確かに名前は覚えてる。でも他には何も知らないわ」
だから、自己紹介をするのでしょう? そんなことを言いたげな目を向けてくる涼風。
不思議ちゃんながらに歩み寄ろうという姿勢を見せてくれることには感謝しかないのだが、少し待て。
「どうして薄雲君だけ名前呼びなんだろう?」
「火遊びが好きだなぁ、お前。尊敬するわ」
「………………」
幼馴染さんからの視線が痛い。すごい痛い。
平然と名前呼びをする涼風に思うところがあるのか、名前呼びをされている俺に拗ねているのか、そんなことを考えながらも名前呼びが出来ない自分に苛立っているのか……多分、最後のやつだとは思うが、何にせよ凄い目をしていた。既に何人か葬ってそう。
「…………私、何か変なことを言った?」
「いや、全く。それじゃ自己紹介からするか。各自、趣味やら何やら喋った後に、どう呼ばれたいかを言って終わり。オッケーなら、佐竹からスタートでどうぞ」
涼風が俺だけ名前を呼ぶ状態に問題があるなら、さっさとそれを終わらせてしまおうという腹だった。
「えぇ……フリ雑すぎない? まあ、いいや。佐竹和馬です。そこのツンデレの親友やってます。で、趣味か……あ、人間観察とか? 修羅場とか大好き。佐竹でもメガネでも、和馬きゅんでも、何でもいいぜ。よろしくなー」
「わかったわ、和馬きゅんね」
「ごめん嘘です。佐竹でお願いします」
「そう」
色々と酷い自己紹介だったが、ノータイムでカウンターをもらっているメガネを見て、スッキリしたので良しとしておこう。
「……じゃあ、次は僕かな。藤堂颯です。趣味はサッカー、特技もサッカー、好きなこともって感じで、サッカー一辺倒のつらまない人間だけど仲良くしてくれると嬉しいかな。名前は……藤堂って名字で呼ばれた方が色々都合がいいと思うよ」
「あーね。イケメンは大変だな。なぁ、和馬」
「くっ、親友からの貴重な名前呼びを喜ぶべきか、暗にお前はイケメンじゃねえと言われたことを嘆くべきか……悩ましい」
そんなことで悩むな、バカ眼鏡。
隣では「都合が悪いとは?」なんて首をこてんと傾げている涼風のことを、幼馴染様が凄く愛でたそうに見ていた。小さくて可愛いものとか好きだもんね、君。
で、随分と余裕があるみたいだけど、自己紹介はできるんだよな?
「私の番。涼風美鈴。趣味は――特にないから募集中。好きな人は正直者。嫌いな人は嘘つき。好きな食べ物は甘い物。嫌いな食べ物は辛い物。蔑称でもないかぎり、呼ばれ方に拘りはないわ。他に知りたいことはある?」
淡々と言葉を連ねる涼風。
趣味について話す際に若干睨まれた気がしたのは、先日の一件を根に持っているからだろうか。どうか気のせいだと思いたい。
「……特にないなら貴女の番よ、宮城藍夏」
平然とそう言った涼風の顔に傍観していた男共の視線が集中する。
何? と眉を顰める彼女は自分がどれほど冷酷な仕打ちをしたのか、理解していないのだ。
あくまでも、無表情を保ち続ける藍夏。
しかし、透けて見える幼馴染様の感情は、焦りと戸惑いと絶望の念に埋め潰されているようだった。
その様子を見て、咄嗟に口が開いた。
けれど、理性がそこにブレーキをかける。
音を発するギリギリ手前の所で踏み止まり、一つ息を吐く。
普段ならば助け舟を出していたところだ。それをやめたのは、ここ最近の彼女の姿を想起したからだった。
「…………!」
涼風が目を丸くして、俺を見る。
ついで、きっと睨むような圧のこもった目線が送られてきた。いや、多分、本人としては睨んでいるのではなく、どのような心変わりがあったのか、などと問い詰めたい気持ちが滲み出ているだけなのだろうけど。
幼馴染様の唇は僅かに震えていた。
顔色も良いとは言えない。
その姿は、幼馴染だろうがなかろうが、誰が見たってわかるほどの不調を示していた。
ぎゅっと、拳を握りしめる。
目が合った。
「…………たし、は――宮城、藍夏。こんな、だけど……仲良くして、欲しい……です」
視線を逸らされることは、終ぞなかった。
か細い声は教室の中のざわめきに掻き消されてしまいそうで、それでも確かにその言葉は聞いていた者たちの心に届いた。
最後に、ぺこりと一礼。
少しの沈黙を挟んで、涼風が口を開いた。
何だろう、褒めたりするのだろうか?
なんて呑気に考えてみたりなどしてみて。
「――で、私は貴女をどう呼べばいいの、宮城藍夏」
彼女の言葉を耳にし、思考が止まる。
まさかのおかわりに藍夏も動きを完全に止めていた。
内心、冷や汗がダラダラといった状態だろう。ガワだけ見れば無表情だが。
さて、これだけ頑張ったうちの幼馴染の自己紹介に文句つけんのかこの野郎、なんて俺の心の中のモンペが騒ぎ出しそうになったのは、ほんの一瞬のこと。
涼風のとった次の行動で、彼女の真意を理解する。
「いつもの貴女は勝手に絡んで来ては、無邪気に『すず』なんて連呼してくるけど……貴女に要望はないかと聞いてるの」
若干早口で、僅かに頬を赤らめている涼風。
意図に気がつき、緊張気味の幼馴染が涼風に向き直る。
「わ、私は――――」
そして、その陰では佐竹が「何あれ推せる」と悶えていたりするのだった。
……色々と台無しだよ。頼むから空気読んでくれ、ぶっ飛ばすぞ。
あ、俺が自己紹介してないじゃん。
言わなきゃバレなさそうだし、ほっとくか。
✳︎
「――で、結局、遠足については何も話さなかった、と?」
放課後の職員室にて、頭が痛い、といったジェスチャーをする担任教師。
この男と職員室で話をするのも、これで何度目になるのだろうか、なんてどうでもいいことをぼうっと考えていた。
「まあ、結果だけを見るのならそうと言わないこともないかな、という感じですかね」
「どんな婉曲表現だよ……まあ、お前らのグループは見るからに異様だからな。仲が深まったならそれでいいよ。ただ決めるべきことは今週までに決めてくれ、いいな?」
「了解です……いや、なんで俺がグループのリーダーになってんのかは謎なんすけどね」
「消去法。あと、お前どうせ暇だろ」
「雑すぎんか?」
パラパラと机の上の資料を捲りながら、生徒の対応をする姿に、相変わらず生気は感じられない。
「去年は欠席してたじゃねえか。二年分は働け」
「何で覚えてんですか」
「可愛い生徒のことだからな」
「棒読みで言われてもなぁ」
その記憶力を素直に尊敬させてくれないのが、目の前の男だった。
「……何にせよ、長い人生の中でたった三年しかない青春時代だ。楽しめよ、薄雲」
ポンと手渡されたのは、遠足のしおり――の草案と思われる資料を雑にホチキスでまとめたもの。
担任教師の「他のやつには見せるなよー」なんて言葉を聞き流しながら、草案らしい簡素な表紙を眺める。
白野兎山荘。
その文字列から視線を外し、最後にナル先生に礼をしてから職員室の出口へ向かった。
「…………登山、ね」
あいつ、体力大丈夫だよな?




