プロローグ 幼馴染と約束
短編に目を通してくれた方はお久しぶりです。
そうでない方は初めまして。
プロローグと短編が殆ど同じモノとなっています。
その後は新しく書いたものを投稿しますので、味見感覚で一話目をお楽しみ頂ければ幸いです。
随分と昔の話だ。
一人の少女と、ある約束をした。
幼い頃からお洒落に気を遣っていたおませなその子が、見ていられないくらいに泣きじゃくり、鼻水をすすり、顔を真っ赤にしてこちらを見ていたことを今でも覚えている。
母親譲りの明るい茶髪を一つ結びにまとめた彼女のことが、大好きだった。
格好良くて、可愛くて、強くて弱い。
不器用で意地っ張りで、少しお調子者で目一杯に優しくて。
そんな少女と、約束をしたのだ。
✳︎
「…………お前、ほんっっとに宮城さんに嫌われてんのな。何したんだ?」
「別に何もしてないよ。あと、そんなにハッキリ嫌われてるとか言うのやめて」
賑やかな、言い換えれば騒々しい昼休みの教室。
その片隅にて、俺は勝手に親友を名乗るクラスメイト――佐竹和馬と雑談に興じていた。
佐竹がチラリと視線を投げた先には、件の宮城さんがクラスのカーストトップ集団の中で談笑している姿があった。
「いや、アレを嫌われていると言わずに何と表せば良いんだよ……普段はあんなに穏やかで誰にでも優しい女神様みたいな人格者なのに、幼馴染のお前にだけは塩対応なんだもんな」
「…………女神様、ね。大層なあだ名だよな。高校生にもなって驚いたよ」
「そうやって、逆張り感だしてるから嫌われてんじゃねーの?」
「逆張り言うな。あと、嫌われてない」
……多分。
なんとも情けない後付けを心の内で行なってから、改めて幼馴染さんの様子を観察してみる。
昔から何も変わらない綺麗な茶髪は低めの位置でおさげに緩くまとめられていて、ほんわかとした彼女の雰囲気と非常に合っていた。
佐竹の話によると、男女問わず多くの人を惹きつける彼女の最たる魅力は、慈愛に満ちた人柄とふわふわとした印象による包容力にあるらしい。
どこか小動物感もある姿に癒される人も少なくないのだとか、なんて話を思い出していると、偶然なことに、そして不運なことに彼女とバッチリ目があった。
「あ、やっべ」
「……ん? どうした…………って、うわぁ」
途端、その場の空気が凍りつく。
あんなに騒がしかった教室内が静まり返ったのがわかった。
ふわふわゆるゆる、ほんわりふわりと、そんな雰囲気を醸し出していたことが嘘のように、彼女の顔は完全な無表情に早変わりしていた。
佐竹がびくりと肩を揺らしていたが、まぁ、あんな感情の消え失せた瞳を直視したら、そうなる気持ちも少しはわかる。
彼女を囲んでいた生徒たちも、今だけは息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待っているかのような姿勢を見せていた。
人のことを災害のように扱う態度に、それはそれで失礼じゃないか? なんてことを考えながらも、俺は彼女から大人しく視線を外して、前を向く。
そして数秒も経てば、教室には再び先程までの熱気が戻ってきた。
ついでに教室中から「何やってんだお前」みたいなことを言いたげな視線を感じたが、我関せずと次の授業の準備を始めることにする。
「……で、誰が嫌われてないって?」
「やかましいわ」
佐竹のため息混じりの揶揄いに、俺は苦笑いで応じる。
何の反論も出来そうになかったからだった。
さてはて、それにしても我が幼馴染様こと宮城藍夏の調子は今日も今日とて絶好調のようである。
昔から素直じゃない所がある節は重々承知していたのだが、ここ数年でそれは悪化の一途に向かっていた。
……いや、幼い頃はまた別の意味で面倒くさかったので、どっちもどっちのような気はするのだが。
それはそれとして。
高校生となった現在、目が合えば瞳から感情が失せ、声をかければ露骨に声色を冷たくし、近づいただけで驚くほどに口数が減る。
俺と宮城さんの関係といえば、終始一貫してそんな具合だった。
文字に起こしてみれば、疎遠になったどころの話ではない。
確かにクラスの共通認識として、俺が宮城さんに嫌われていることになるのも納得であった。
けれど、俺は佐竹に嘘をついたつもりなどは全くないのだ。
なぜなら、俺は本気で彼女に嫌われているとは思っていないし、特段冷たく接されていると感じることもないのである。
「……そもそも、嫌いなやつと毎朝一緒に登校するような物好きはいないと思うんだけど」
「それはアレだろ。宮城さんの慈悲だとか、お前がストーキングしてるとかって噂が有力な話のことだよな」
「この学校に常識を求めた俺がバカだったよ」
俺と宮城さんが登下校を共にしているという状況証拠で納得して貰えたら楽だったのだが、納得どころか知りたくもなかった噂が流れつつあることを知らされてしまった。
ストーカーとか、人聞きが悪いったらありゃしない。
「まったく、俺ほど人畜無害な存在は中々いないと思うんだけどねぇ」
「それは自分で言うことじゃないだろ……まあ、俺もお前が犯罪まがいの行動を取るとは思ってないけどよ」
噂については、仕方がないと割り切るほかないだろう。
何かと目立つ彼女と行動を共にしていれば謂れのない非難を受けることなど日常茶飯事だ。
そんなものは最初から覚悟の上であり、態々気に病んでやれるほどの暇があるわけでもない。
そんなことを気にしている余裕があるのなら、授業前に軽い予習でも挟む方がよっぽど有意義である。
それなりの成績をキープしなければ、我が家の元締めである母上様から雷が落ちてしまうため、ダメージで言えばそちらの方が明らかに大きい。
ぼうっとノートを眺めて、前回の授業内容を思い出している内に昼休みの終わりを告げるチャイムの音が校内へと響いた。
「……変な所で真面目だよなぁ、お前」
「残念ながらよく言われるよ。何にせよ、不真面目よりはいいだろ」
「それもそうだな」
何だかんだ「俺も教科書読むかー」なんて呟きながら教師がやってくるのを待つ佐竹も、根は真面目な方なんだろうなと思った。
✳︎
コツコツというローファーの足音が隣から規則的に聞こえてくる。
道行く人々が皆、遠巻きにこちらの様子を伺っていることには当然ながら気がついていた。
「……」
「…………」
「………………」
無言。
ひたすらの無言が、その場には満ちていた。
夕刻の帰り道。
少し前、スマホのチャットアプリにて。
『今日部活ない』
との一文を送りつけてきた幼馴染様は、現在、相も変わらぬ無表情を保ったまま俺のすぐ隣を歩いている。
普段の雰囲気とのギャップが、この状態の彼女に近寄りがたい原因にもなっているのだろう。
俺としては、手に負えないくらいに振り回されている方が彼女らしくていいと思っているくらいなのだが。
「…………にしても、暑いな。汗やばい」
季節は春過ぎ。
葉桜の美しい初夏である。
既に日は傾き、炎天下というわけではないのだが、近年の気象の荒ぶりようは普通ではない。
頬を伝う汗を手の甲で拭う。
澄ました顔のお隣さんはと視線を投げてみれば、いつの間にかかなりの距離を取られていた。
「…………えぇ?」
この距離、何?
馴れ馴れしくすんなって暗喩じゃないよね?
思わず困惑の声をあげると、それに対してついに彼女は口を開いた。
「……デリカシーに欠ける男」
「わぁ、一言目から辛辣」
冷たい眼差しで俺を睨むようにしながらの発言に、自身の言動を振り返る。
……ああ、なるほど。
「汗なんて気にしなくて良いと思うけどな。同じ人間なんだし」
「顔でいい?」
「返事する前に拳を飛ばさないでくれる?」
スパッと空を切り裂き、顔面へと迫ってきた右ストレートを難なく受け流して会話を続ける。
周りに人の気配がないところを見ると、誰にも見られていないことを確認した上での犯行だろう。
うちの幼馴染はそれなりにバイオレンスチックなのである。俺限定という文言がついてしまうのだが。
何その特別扱い、超嬉しくない。
「…………コンビニ」
「あいよ」
どこかぎこちない動きで距離感を元に戻した彼女が、ボソリと一言そう呟いた。
既にあと少しで自宅というところまで来ているわけなのだが、寄り道をしたい気分なのだろうか。
特に予定もないので、最寄りのコンビニへと足を向ける。
買いたいものは思いつかなかったので、幼馴染様が予定を済ませるまではコミックスの置かれているコーナーを物色して時間を潰す。
何かの週刊誌を追っているわけではないのだが、偶に手に取ってみることで謎の感動を覚えてしまうのは俺だけではないはず。
何と言うべきか、独特の厚みと紙の具合に少年心が揺さぶられるのである。
パラパラと適当にページをめくっていると、トンと背中を軽く小突かれた。
何も言わずに外へ出ていく彼女の姿に安心すら覚えてしまい、少し笑ってしまう。
「…………ん」
「どしたん? ……って、アイスか」
彼女が持っていたのは一袋の中に二つに割れるタイプの入ったアイス。
チョコなのかコーヒーなのかよくわからんが美味しい味のするアレである。
その片方を平然と手渡した後に、幼馴染様は無言で歩いていく。
男女が二人でアイスを分け合いながら下校する、ということに対しては一切の羞恥感を覚えないらしい彼女の感覚が俺にはわからなかった。
そこに存在したのは先程と同じ無言であったが、当人の感じ方としては随分と心地の良さが違うものだった。
僅かに目を細めて、気を緩ませながらアイスを味わっている美少女が隣にいるのだ。
こちらの気も楽になるというものである。
それからはさしたる会話もなく、程なくして俺と彼女はそれぞれの自宅の前へと辿り着いた。
例の如く、という言い方は少しおかしいような気がするが俺たちの家は隣同士である。
「……んじゃな」
「…………ぁ」
少しの無言の後に別れようとしたのだが、彼女の口から名残惜しそうな声が聞こえてしまい、思わず足を止めて振り返る。
「……帰らないの?」
「…………ほんっと素直じゃないなぁ」
条件反射のように冷たい声音を返される。
その後、やってしまった言わんばかりに泣きそうな顔を見せるのが彼女のお約束であった。
「…………おさげ似合ってるよ、藍夏」
「……………………ん、知ってる」
慌てる彼女が微笑んだことを確かめてから「じゃあね」と言って別れた。
✳︎
約束をした。
どうしても素直になれないと。
傷つけたくなんてないのに酷いことばかり言ってしまうと。
本当は大好きなのにそれが伝えられないと。
そんな盛大な告白をしながら、幼い少女は泣きじゃくっていた。
それがどうしても気に入らなかった。
そんなことで彼女を泣かせてしまう自分が、堪らなく嫌だった。
誰に何と言われようが、彼女が優しい人であることは幼いながらにわかっていた。
彼女が自分の特別であることは明白で、相手もそれと同じようなことを考えてくれていると自信を持って自惚れるぐらいに信じていた。
だから、約束をした。
嫌いじゃないのに冷たくしてごめんなさいと、何度も何度も泣きながら謝るその少女に泣き止んで欲しかった。
嫌いじゃないことを信じてほしいと痛いくらいに叫んでいた彼女を安心させてあげたかった。
だから。
子供ながらに頭を働かせて、わかりやすいサインを作ったのだ。
藍夏が俺を嫌いになったときは髪の毛を解いて教えてほしい。
藍夏が髪を結んでいる間は、何があっても、何を言われても、藍夏が俺のことを嫌っていないということを信じてやる。
だから、安心して素の表情を見せて欲しい。
そんなニュアンスのことを、恥ずかしげもなく約束したんだ。
子供の頃の口約束だと笑いたい奴がいれば、笑えばいい。
あれから十数年。
未だに一度も俺の前で髪を解いたことのない幼馴染のことを信じ続けることが、俺が彼女で誠実である証明だと思うから。
だから。
「…………お前、やっぱ宮城さんに」
「――嫌われてない……はず」
親友の認識の訂正を、今日もやめない。