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 学生時代の印象――と言っても、ほとんどイジメられていた被害者というイメージしかなかったのだが――とは打って変わって、ナナの目の前に颯爽と現れた中島は、まるで現代版の王子様のようだった。

 ナナと母親の仕事の休みが合う日を見計らい、ほとんど突然に近い形で親への紹介を行うことになったのだが、それが彼と再会した次の週の週末だったくらいに、二人は急速に――これまで離れていた時間を埋めるかのように、密度の濃い日々を駆け抜けていった。

 息子である総のことも、案外問題なく解決した。ナナか、はたまた父親に似たのか、内向的な部分がある性格なので、最初は中島に懐いてくれるか心配だったが、そんなものは杞憂に終わった。幼心に自分の父親だということを認識したのかもしれないと中島は笑って、そして「賢い子だ。ナナにそっくり」と言ってくれた。

「ううん、きっと……昴に似たんだよ。凄く心の優しい子だから」

 とんとん拍子に進んだ話の中で、ナナと中島――いや、昴はお互いのことを名前で呼ぶようになっていた。これから夫婦になるのだから、いつまでも苗字で呼び合うのはおかしなことだけれど、それでもやっぱり……なんだかまだ心の中では少し照れくさくて、彼の下の名前を呼ぶ時は声が上擦ってしまう気がした。

「なら、それは僕達両親からのプレゼントってことで。さて、そろそろ予約の時間じゃない?」

「もうそんな時間? やだ、早く総にお出かけ用の服着せなきゃ」

 お互いの休みが漸く合った今日は、二人の結婚後の新居を見に行く手筈になっていた。どんなところでも三人で居られればそれだけで幸せだとナナは伝えたのだけれど、昴が頑なに自分の希望――所謂タワーマンションと言われる物件だった――を譲らなくて笑ってしまった。

「親には成金みたいって笑われたんだけど、やっぱり僕だって『男のプライド』ってのがあるからさ。ちゃんと無理のない範囲で買えるんだから大丈夫だよ。ナナにはみんなが羨む生活をして欲しいから」

 そう言って余裕の笑みを見せるのは、昴がIT系のベンチャー企業の社長を務めているからだ。まだ若いが勢いのある昴を社員達も尊敬しているようで、時代の波に上手く乗った彼の会社は従業員数こそ少ないものの、それなりに安定しているとのことだった。

「昴のご両親にも、早く挨拶しないとね」

 ナナへの気遣いばかりに気がいってしまっていた昴は、自分の親への対応が疎かになっていたらしく、ナナが彼の実家に挨拶に向かうのは来週末の予定となっていた。その足でそのまま婚姻届を出すつもりだと言った昴には思わず笑ってしまったが、そのおかげでナナは来週末のビックイベントが終わるまでは緊張が抜けそうにない。

「僕の親にはもう、ほとんどナナのことは話してる。だから本当に、ナナは挨拶だけで大丈夫だよ。それに、ちゃんと……あの日のことは、言ってないから安心して?」

 ナナを安心させようとして、昴の手が頭をポンポンと撫でてくれた。祖父母の実家のリビングにて、時たま訪れる二人きりの時間を楽しむ。廊下を挟んだ向こうの空間からは、総のキャッキャとした明るい声が小さく響いていた。

「うん、平気。私……あの日のこと、嫌だって思ってないから」

「それは……今だからこそ、僕もそう思えるようにはなった。でも……いや、だからこそ、もう“二度と”ナナを傷つけたりしないよ。約束する」

「ありがとう。本当に、嬉しい」

 人の気配を探りながらのキスは、そっと触れるだけの優しいもので。初めて繋がれた『あの日』にも、きっと育ち始めていたはずの愛情が、今は二人の胸をいっぱいにさせている。その気持ちの大きさそのままに、『幸せ』を具現化したような存在の足音が迫る。

「ママー! パパー! おでかけー」

 まだ背伸びしても手が届かないため祖父に開けて貰った扉からひょっこり顔を出した総の弾けるような笑顔に、思わず両親揃って笑みを零してしまう。しかし、頬が緩む程の幸せの象徴の手には、何故か見慣れない『封筒』が握られていた。

「総? 何持ってるの? それ」

 不審に思ったナナは、そう優しく問い掛けながら愛しい息子の小さな手からその封筒を受け取る。

 どうやら総と祖父は玄関に郵便物を取りに行き、その帰り道にそのまま遊びに突入してしまっていたようで、たくさん遊んでもらって満足げな息子は、「はーい。あげるー」と普段よりもよっぽど聞き分け良くその封筒をナナに渡してくれた。

「……っ」

「……誰から?」

 差出人を見て固まってしまったナナを不審に思い、昴も封筒を覗き込んできて――そして険しい表情で差出人の名前を睨み付けた。

「……同窓会か……」

 その封筒の差出人には、二人の出身校である“あの”高校の名前が刻まれていて。代表者である人物の名前は、やっぱりナナには苗字しか見覚えのない名前だった。今となってはその苗字すらも記憶は曖昧だ。多分、まともに話したこともない相手だったはず。

「……昴は出たの? 成人式の日、式の後にも……あったんでしょ?」

 地元に戻ってからあの忌まわしい土地には一度たりとも足を踏み入れていないナナは、もちろん高校時代の同窓会には参加していない。成人式の後にあったであろうことは容易に想像出来たので、昴にはそう聞いたのだ。

「……あったらしい。でも、僕も大学で忙しかったから出てないよ。それに……会いたくない人ばかりだからね。会いたい人は、ナナしかいなかったし」

「……私も……そうだった」

 二人共険しい表情をしていたためだろう。気を利かせた祖父は総を連れて違う部屋へと移動してくれていた。それに今更気付くくらいには、夫婦共々動揺していた。

 再び訪れた二人きりの空間にて、ナナは改めて己の手の中にある『忌まわしい招待状』を睨み付ける。

 出来ることならばもう二度と、あの地の名前は思い出したくもなかった。テレビのニュースであの地の情報が流れる度にチャンネルを回し、極力心にヒビが入ることから避けて来たのだ。視界からも聴覚からも可能な限りシャットアウトしていた『悪夢』が、まさか向こうから手招きしてくるとは思わなかった。

 おそらく引っ越し先のこの住所だけは母がテストの郵送のために学校側に教えていたため、それをこともあろうに『もうさすがに今更、時効だろう』という加害者故の楽観によって、連絡に利用したといったところだろう。被害者は絶対に、一生忘れず生きていくというのに……本当に気楽なものだ。

 封筒を握るナナの手に、昴の手が添えられる。今まで忘れようと背を向けていた感情達から逃げきれずに震える手を、彼は寄り添うことで宥めてくれている。あの悪夢の中で唯一手にした――『愛情』という宝物だ。愛する家族を愛させてくれたことだけが、今のナナの生きる希望となっている。

 だから……だから……

 答えはナナの中では既に決まっている。決まっていたのだ。

「私は、今も昔と気持ちは変わってない……会いたい人なんて、昴以外にはいない」

「うん……僕もだよ。ナナが決めたら良い。ただ……僕はもう、昔の自分とは違うって胸を張って言える。もちろんナナだってそうさ。僕はそう思ってる。だから、本音を言えば、その……見返してやりたいなって気持ちは、なくもない」

「見返す……誰を?」

「ん? もちろんクラスメート達全員さ。あの頃散々馬鹿にされた僕は、今は社長で、こんなに素敵な奥さんと子供に囲まれているんだってね。大声で自慢してやりたいよ。本当に」

 最後にはわざとらしくウインクまでしてみせた夫に呆れた笑みを返しながら、しかしナナは心の中でそんな彼の優しさに感謝するのだった。

――うん。私も、昴も今が幸せ。過去は、どこまでいっても過去なんだよね。通り過ぎて来た道だからこそ、ずっと燻りはするんだろうけど。でも……それすらも覆い隠してしまうくらいに、今はとっても……幸せだよ。

「そうだね。なら、返事を出さないとね」

 ナナはそう言って笑い、封筒の中に入っていた返信用封筒を持って、テーブルの上にあるペン立てに手を伸ばした。




END


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