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奴隷の女を買う男 4

「お呼びでしょうか、エルンスト様」


 ヘレナの声にエルンストは顔を上げた。


 ヘレナは侍女長で歳の頃は五十歳を少し越えたあたり。美人ではないが、ふくよかな体つきは優しいお母さんを印象づけ、侍女たちからも頼りにされている存在だ。


「この娘を風呂に入れてくれ」


 すでに娘の存在を聞かされていたのか、コンラートほど取り乱さないまでも、驚きの色を隠さずエレナはエルンストをしっかりと見つめた。


「風呂に、でございますか?お言葉ではございますが、奴隷は罪人。けがれを屋敷に入れるのでございますか?」

「穢れか。お前もコンラートと同じなのだな。この娘をここで死なせろと言うのだな」


 するとヘレナは困った顔をした。


「そうではありません。再び奴隷商人にお売りになればよろしいのです」


 エルンストの前髪にかかった雨粒が、ポツリと落ちると娘の閉じられた瞼を濡らす。まるで泣いているように見える。


 奴隷に起死回生の機会は永遠に与えられないのか?


 奴隷商を営むには皇帝の許可が必要だ。更に他国の人間を奴隷として鎖につなぐことは出来ないし、越境して商売をすることも禁止されている。つまり、この娘はこの国の人間だし、何かの罪を犯したことになる。

 この国の奴隷は確実に罪人だ。忌み嫌われて当然だ。それは否定しない。

 どのような罪であれ、罪人を屋敷に入れれば、他の使用人たちも動揺するだろう。暇をもらいたいと言い出す者もいるに違いない。

 ヘレナの言う通り、別の奴隷商に売るのが正解のようだ。


 ふと脳裏にひとつの仮説がよぎった。


 時として奴隷同士が交わり子が生まれることもある。奴隷の間に生まれた子供は奴隷として扱われる。

 交わるのは仕方がないにしても、何故不幸な子供を作るのかエルンストには納得が行かなかった。

 これでは永遠に負の連鎖を断ち切ることが出来ないではないか。


「この娘も奴隷の子供だろうか?」

「もっと幼ければそれも考えられましょう。ですがおそらくこの娘は十代後半。であれば、自ら罪を犯した可能性のほうが高いとわたくしは考えます」


 ヘレナが言うには奴隷の子供は長生きしないらしい。過酷な生活に耐え切れないのがその理由だ。万が一、生きられたとしても女の子であれは十歳になったところで売春宿に売られてしまうらしい。男の子であれば高く売れる青年期まで待つらしいのだ。


 奴隷の子供であれば、屋敷に置く理由に出来たのだが、希望の光は無残に打ち砕かれてしまった。


「詳しいのだな」

「いつぞや、奴隷商に聞きました」

「ヘレナが屋敷に置くのを嫌がるのであれば、お前の言う通り奴隷商人にこの娘を売るとしよう」

「お伺いしてもよろしいでしょうか?」


 ためらいながらヘレナは言った。

 エルンストの性格を良く知っているヘレナからすれば当然の問だったに違いない。


「恋人を作らず、特定の女性とお付き合いされることを拒まれ、ひたすら職務を全うするエルンスト様が女奴隷を買うなど、わたくしには理解できません」

「ただの興味本位だと言ったら、お前は俺を軽蔑するか?」


 怪訝そうなエレナの顔を見て、冗談だ。と前置きして言葉を続けた。


「俺はしばらくこの娘が鞭を打たれるのを遠巻きに見ていた。娘は奴隷商に水をくれと要求し、己の意見を述べていたのだ」


 目を丸くして驚くエレナに無言で頷く。奴隷が主人に牙を剥き、おまけに自らの要求をするなど前代未聞のことだったからだ。


「俺の知る限り、奴隷とは常に家畜のように無気力で、だからこそ我々の心に潜む残虐性を呼び起こし、こいつらには何をしてもいいと思わせる存在なのだが・・・」


 それを是とは思わない。娘に柔らかな視線を落とした。


「罪人であれば、自分の犯した罪の意識から商人に対して反抗は出来まい。正当に扱われる権利など主張出来るはずもないのだ。けれどこの娘はおそらく何らかの事情があって奴隷になったと俺は思ったのだ」


 娘に関してはたとえ罪人であっても、それなりの事情があるはずだ。公正な裁きが行われなかった可能性も否めななかった。


「だから俺は娘に再起の機会を与えたいのだ」


 黙ってエルンストの言葉を聞いていたエレナは無言で頭を下げると、下男を呼んだのだった。


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