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奴隷の女を買う男 1

 エルンスト・フォン・べーゼンドルフは落胆していた。深いため息をつき、両手を腰に当てたかと思えば、うんざりしたように左手できちんと整えたシルバーブロンドの前髪を、長い指でくしゃくしゃとかき上げた。


 辺境の視察を予定より早く切り上げたものの、水筒が空になり水を購入するために部下とは別れ、普段立ち寄らない町に独り帰路を変更した結果、そこで厄災に出会ってしまったのだった。


「奴隷の女・・・か」


 思わずつぶやく。


 これを不運かと聞かれれば、間違いなくそうだと答えるだろう。エルンストは苦々しい思いで目の前に横たわる娘を見つめた。


「べーゼンドルフ家の人間が奴隷を買うなど、前代未聞だ。今頃先祖たちが墓場で俺を嘲笑しているに違いない」


 町ゆく人々が自分に向ける視線もエルンストを不愉快にさせた。

 明らかに軽蔑のまなざしを投げつける親子連れ。ニヤニヤしながら通り過ぎる男ども。


 奥歯をギュッとかみしめながらエルンストは思う。

 俺だって奴隷を買う気などなかったのだ。だが、鞭打たれる女が哀れで思わず・・・。

 しかし、貴族、裕福な商家、農家、金に余裕のある連中や、人手が欲しい奴らはみな奴隷を買っているではないか。それなのに、どうして俺は好奇の目にさらされなければならんのだ。


 本意を大声で叫ぶわけにもいかず、エルンストは空を見上げる。


「忌々しい太陽めっ」


 ヤギの皮で作られた水筒いっぱいに水を買い、何気なく町を散策していた時のことだった。


「おらっ、とっとと歩けっ!」


 勢いよく地面に叩きつけられる鞭の音をエルンストは一年ぶりに聞いた。奴隷商人の鞭は独特で、一本鞭の握り手に金属のチェーンがついているため、鞭を振ると独特の金属がこすれる甲高い音がする。


 音のする方へ馬首を向けると、エルンストより頭二つほど背の低い小太りな男が奴隷の列の先頭にいたのだった。

 大粒の汗が額に見てとれた。暑さにいら立っているのか、それとも奴隷にいら立っていたのか、ヒステリックな声を上げ、一人の娘に激しく鞭を振るっていたのだった。


 奴隷市は、毎年カールリンゲン帝国の帝都キートリッヒで数日間行われる恒例行事のようなものだった。その間は大道芸や屋台も出る。

 周囲を山に囲まれた盆地にあるカールリンゲンには娯楽が少なく、奴隷市は年に一度行われる祭りのようなものだった。

 

 奴隷に同情の余地はないと、エルンストは思っている。

 罪を犯した人間が奴隷となるのがこの国での慣わしだ。近隣諸国では娘がさらわれて奴隷にされているとの噂も聞くが、あくまでそれは他の国での話。自国では間違いなく罪を犯した者以外奴隷にはならないはずだった。


 ただ、エルンストに懸念が無いわけではなかった。

 罪人の裁きは皇帝から土地を与えられた領主の裁量に任されている。それゆえ近頃では領主に袖の下を渡し、罪に問われない事案が発生しているらしい。

 地獄の沙汰も金次第。歪んだ実情を皇帝に具申しても、事態は一向に変わらないでいた。

 

 現在の皇帝ゲオルグ三世は、どちらかと言えば武門に長けた皇帝だ。政治経済にあまり興味がない。

 この大陸を統一したのは現皇帝だったが、その野望を果たして以来、空気の抜けた風船のように覇気が無くなってしまい、皇妃がいるにもかかわらず、側室や女官などと浮名を流してばかりいる。


 風の噂では隣国フォーゲルザンクが王政を復活させたらしい。

 いくら大陸を統一したとは言え、いつフォーゲルザンクが牙をむいてくるかも知れない事態にエルンストは憂慮していた。


 もし国境を接する国々が、密約を結び系統立った軍を組織し攻め込んで来たら?

 辺境の視察もそのためだった。


 エルンストは首を振った。


「今は目の前の問題を解決するのが先だな」


 おもむろに足元に転がる奴隷女に視線を移したのだった。




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