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それは静かな夏の夜 1

 その日、フィーアは庭で百合の花の手入れをしていた。

 庭師のルッツに手伝って欲しいと言われたのだった。

 

 本当に何でも屋ね。と思う。


 土をいじるのは好きだし、植物は丹精込めて育てれば、人間の誠意に答えてくれるとフィーアは信じている。

 まず、咲き終えた花はすぐに取り除く。こうすることで他の花に栄養が行く。長く花を楽しむコツだ。


「ふぅ。今日もいいお天気」


 見上げた空には白い雲がまばらに浮かんでいた。視線の先には入道雲が見える。

 この国は大陸性気候なので、夏は朝晩涼しいものの、太陽が月を押しのけ空を席巻している間はかなりの暑さだった。


「フィーア」


 コンラートだった。

 フィーアは彼が苦手だった。自分に嫌悪感を抱いているような気がしてならない。


「はい」


 手についた泥を払いながら立ち上がる。


「すまないが、これをご主人様に届けてくれないか。忘れて行かれたのだ」


 ヌメ革で作られた書類入れを差し出された。


「申し訳ありません。私が気がつけば良かったのですが」

「いいや、これは私が預かっていたものだ。今朝お渡しするのを忘れてしまったのだ」


 シュバルツリーリエと言えば、皇帝付き騎士団だ。エルンストの執務室は城の中にある。

 余程のことでもない限り、自分の身分がバレる心配はないと思うけれど、奴隷が自ら城へ出向くなど、むしろ避けたい。


「本来ならば、私がお届けしなくてはならないのだが、これから外せない用事があるのだ」

「私で大丈夫でしょうか?」

「心配は無用だよ。フィーアはどこから見ても、立派なべーゼンドルフ家の侍女だ。堂々としていれば問題はない」


 自信を持ちなさいとばかりに、コンラートは口角を上げて微笑む。

 その笑顔はフィーアの不安を打ち消すのに十分だった。

 コンラートにお墨付きをもらい、顔をほころばせると、書類入れを受け取る。


「それから――」


 コンラートは胸ポケットから金属のプレートを出すと、フィーアに渡した。

 よく見ると、カールリンゲンの国章である双頭の鷲が刻まれている。


「お城の通行証だ。大切な物だからくれぐれも無くさないように」

「はい、行って参ります」


 それを受け取ると、笑顔でコンラートに頭を下げた。


「もし、馬に乗れるのなら使いなさい。ご主人様も急いでおられるだろうから」


 思いがけない言葉だった。乗馬が出来る。フィーアの心は踊った。

 馬に乗るのは久しぶりだ。

 風を感じて野山を走る爽快感。狐や鹿を追った懐かしい記憶。


 馬番のカールから一頭借りると、勢いよく走り出す。


 大地を駆ける蹄の音はフィーアの呼吸と呼応し、全身を包む風は重力を忘れさせる。

 何とも言えない高揚感。


 森を抜け、湖畔を走り、いつもの町もそのまま通過する。

 そして城門の前まで来ると、馬を降りる。


 緊張しているのが自分でも分かる。両手は汗ばんでいた。

 コンラートならば、顔なじみだからすぐに通してもらえるだろう。けれどフィーアは新参者だ。いくら通行証があったとしても、真贋の見極めをされる可能性もあるし、盗んだ物と疑われるかも知れない。


 とにかく堂々とするしかない。それが一番だわ。


 笑顔で手綱を引きながら門番の前に進み出ると、胸ポケットに入れていた通行証を見せる。

 門番は丁寧に通行証を確認すると、「どちらまで行かれますか?」とフィーアに問うた。


「はい、シュバルツリーリエのべーゼンドルフ団長の元です。この書類を届けに参りました」

 

 べーゼンドルフの家紋が押印された書類入れを見せる。


「ふむふむ」と門番は頷くと、「どうぞお通り下さい」そう言って道を開けてくれた。


 門番に軽くお辞儀をして城門を抜ける。


 良かった。内心で喜ぶと大きくため息をついたのだった。

 気を取り直して歩き出すと、見慣れないお城に興味が湧いて来て、キョロキョロと見回す余裕も出てきた。

 

 城壁の中にはいくつかの建物があるようだ。

 皇帝の居城、礼拝堂、兵舎、衛兵が見張りをする塔もある。塔の地下には大抵牢が作られているらしい。


 この前の酔っ払いさんはまだいるのかしら?


 目の前の建物の煙突からは煙が昇り、小麦を焼く匂いがする。おそらく大勢の食事を作る調理場だろう。


 エルンストの執務室は兵舎の隣にあると、コンラートから聞いている。


「ええと、この先かしら」


 馬を引きながらゆっくりと進む。


「馬はここに繋いで下さい」


 突然掛けられた声に、驚きのあまり足が止まってしまう。

 

「またお会いしましたね」


 恐る恐る振り返ると、黒い軍服を着た青年将校が立っていた。


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