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私たちの魂は徒花に非ず  作者: hiyori
プロローグ
4/6

04 臨時試験委員

 しばらくすると、それと入れ替わるようにして、五人の係の者―全員若い女性で、服装は試験官と同様のスーツ姿だった―が小教室に入ってきた。彼女らは、うずくまった猫のようになった桃に近づくと、頭と左手背部に繋げられた二つの測定器を手分けして外していった。それが終わると一人が後ろに回り込んで、桃の両手首に冷えた()()をかけた。そして室内の整理をはじめた。


 まず中央に置かれた長机の脚を手際よく折りたたむと、二人がかりでそれを外へと運んだ。続いて別の二人が、242と345が先刻まで座っていた、まだ生暖かさの残る木椅子をそれぞれ運び出した。その間、残る一人は桃の目の前に立ち止まって、一歩たりとも動く気配を見せなかった。

 桃は彼女を見あげ、あ、と思った。その女性は困ったような仔細ありげな面持ちで、何かを喋ろうと絶えず口をもごもごさせながら、桃の臍のあたりをじっと見おろしていたからだ。


 《私に用があるんじゃないんだ…》桃は、瞬時に目の前の係の女性は、自分の木椅子を片づけるために、そこにたたずんでいるのだと悟った。しかし後ろ手錠で自由を奪われた桃は、立ちあがろうにも、下肢の感覚が麻痺していて、思うように身体を動かすことができなかった。いやその前に、立ちあがる気力自体がほとんどなかった。

 やがて、女性の目線が自分の目元へじりじりと移動していくのを見定めた桃は、自分の弱いところが見透かされないように、すかさず眼を逸らした。


《私って何てじれったく、子どもっぽいのだろう!》面接が不本意な形で終わってしまったことに、いつまでもくさくさしてはいられないと、心のうちでは解っているが、なかなか精神的に立ち直ることができない。一度落ち込んだ感情を完全に恢復するためには、どうしても時間がかかってしまう。いわゆる落ち込み癖と呼ばれるやつである。《いつだってそうなの…私は……》

 それは、中学にあがった頃に突如として発症した、桃が自身で嫌うところの悪い性癖である。これまでも何度となく、この性癖のために苦々しい思いをしてきた。他人(ひと)にとっては道端に転がる石ころ程度のものでも、桃にとってはときに大きな落とし穴として立ち現れるのである。

 もっと幼かった頃は、こんなにも臆病で脆弱でみじめったらしい気弱な女子ではなかったのに…と、時おり桃は自己懲罰的に思ったりもしたものだった。 


「脚、痛みますか?」

と、そんな暗く落ち込んだ桃に、係の女性は優しく語りかける。


「うえっ?」


 桃は思わぬ彼女からの問いに驚いて、頓狂な声をあげた。ふたたび見あげると、女性は実に柔らかい微笑をたたえてそこにいた。


「長時間お疲れ様でした。試験はこれですべて終わりになります。えっと、立ちあがれますか? 脚、痺れてないですか?」

と女性は包み込むような声でくりかえす。


「え、あ、はい、大丈夫です」


「本当に? 私にはかなり辛そうに見えますよ」


「…………」


「ちょっと待っていてくださいね。それ、外しちゃいますから」

と言うと、女性は桃の後ろに回ってしゃがみ込み、今しがたつけたばかりの手錠を外した。


「あっ…でも良いんでしょうか、受験生は、試験時間以外は杜内(とうない)で手錠を装着することが義務づけられていると思うのですが…」

と桃があからさまに不安げな顔をする。杜とは、今桃がいる神津の杜(こうづのもり)特別行政区のことである。


「そうですね。でも、手錠をつけたままだったら、立ちあがりづらいでしょう? それに他の係の人も今さっき出ていったから、誰にも見られることはないですよ。万一見つけられたとしても、ここはまだ試験会場。だから大丈夫です」

と言って、女性は腰を折り曲げて桃に顔を近づける。「ね?」

 それはしなやかな曲線美をそなえた、温かくて優しい顔立ちだった。


 その途端、桃はそれまで心をとらえていた暗い感情が音をたてて氷解していくのを自覚した。


「さあ、私の腕につかまって。そう、両手でね。大丈夫? うん、それじゃあ行きますよ、いちにの、さんっ」

と掛け声にあわせて桃を立ちあがらせる。


「あ、ありがとうございます」膝をぷるぷる震えさせながら桃が言う。


「やっぱり脚、痛い?」


「…はい、少し」


「歩ける?」


「たぶん、平気です」


「じゃあそのまま私の腕につかまっていてくださいね、ゆっくり歩きますよ」


 そして二人は一歩一歩、互いの歩調を確かめ合うようにして、慎重に歩きはじめた。

 桃は彼女の自然な親切心を受けて、心身ともにすっかり恢復的な気分にいざなわれていることを、充実した実感として味わうとともに、一方では、なぜ係の人のなかで、彼女だけがかくも自分を気にかけてくれるのかと不思議に思った。


「私ね、実は正規の試験委員ではないんです」

と、そんな桃の気持ちを汲むかのように、歩きながら女性が喋りはじめる。


「本来は別の人がこの仕事にあてられていたらしいのですが、直前で来れなくなったみたいでしてね。…え、理由ですか? ……実は私も詳しくは解らないんです。とにかく、私はこの大学の学生掲示板に入杜試験委員の欠員募集が載っているのを見つけて、何となくというか、試しに応募してみたら、即日採用ってことになって。あっ扉、私が開けますね」

と言って二人は小教室から廊下へと出る。


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