03 入杜試験(下)
「―――結構です」
と242の台詞が面接室に響いた。
今回の絵は砂漠に横たわった金髪の青年男性の裸体画だった。前回の羊の絵同様、写実主義や自然主義のおもむきがある油彩画で、そのヨーロッパ系を思わせる青年男性の量感に満ちた肉体は、あまりにもなまなましく、そしていくぶん猥褻的に描き出されていた。
中学生に見せるには少しばかりセンセーショナルな内容だったが、桃はこの手の絵画にはあまり関心の向かないタイプだった。
そういえば、全体的に裸体画の割合が多いような気がする。それも特に男性の裸体画であることが多い。少なくとも桃がこの絵を見たときは《あれっ、また?》と内心で唱えたのだった。
「―それでは最後の質問です」
桃はばくっと心臓が高鳴るのを覚え、すぐさま242の顔を見た。しかし無表情。次に345の方をチラ見する。やはり無表情。相変わらず変化に乏しい二人を見て、桃は今のが聞き間違いではないかと疑った。
しかし242は、今まで机に積みあげられていた膨大な枚数の絵画を、時間をかけて紙袋へとしまい込むと、あらたまるようにしてこう口を開いた。
「柳田桃さん、あなたはなぜ覚醒者になろうと思ったのですか?」
まったく唐突だった。これまで数百問すべてが絵画問答に費やされてきたなかで、はじめて絵画とは無関係な、しかし普通の面接であれば当然聞いてしかるべき質問がなされた。
《あ、やっと志望動機を聞かれた!》桃は聞き間違いでないことをとっさに確かめると、この日のために周到に準備しておいた文言を記憶の水底から軽やかに引き出して、
「…私は覚醒医学を学びたいと思って、御杜を志望しました。なぜなら私の妹が、血液にかかわる難病を患ってい――」
「結構です」
思いがけなく面接官242が彼女の発言を途中でさえぎった。そして、間を置かずに、
「これで面接は終わりです。柳田桃さん、本日は誠にありがとうございました」
とにべなく言って、隣の345とともに形式ばったお辞儀をした。
え?
あまりの急転直下さに桃は驚いてしまった。文字通り開いた口が塞がらない。口腔ではまだ喋り足りない言葉の数々がもつれあうようにして渦をなしている。出口を求めて混淆する言葉の氾濫に瞬間溺れそうになる。《え? いったいどういうことなの? 私、まだ志望動機をちゃんと言えてないのに…。》
桃は懸命に今の242の発言とそれに続くお辞儀の意味を考えたが、長丁場ゆえの疲労も相まって、すぐには理解できなかった。
345はそんな桃の驚き困惑した表情を見て、すかさず電子帳に何事かを記録する。
「これで面接は終わりです」
と242がふたたび桃に告げる。これまで無表情、不愛想に徹してきた試験官二人は、結局最後までその姿勢をつらぬいた。中学生相手にいくぶん圧迫面接がすぎたが、桃はそれに対してはいささかも不満を抱くことはなかった。それよりも、自分の本当に伝えたい思いが何一つとして十全に紡げられなかったことの方が、よっぽど不満足だった。
そして次第に泣きだしたいような気分になった桃は、それを必死でこらえつつ、ふたたび、なぜ? と心のうちで自問しだした。
《なぜ、242さんは私の解答を途中で止めさせたんだろう? 今までこんなこと、一度たりともなかったのに…。もしかして私、何かまずいこと言っちゃったのかな? ……それとも、私の言い方がまずかったのかな? 私としては最後まで真面目に答えよう、答えよう、って思っていたんだけど、それが裏目に出ちゃったというか…、もしかしたら、やっと志望動機が言えるって嬉しさも相まって、少しはしゃいじゃったのかな……。いったい、私のどこが悪かったのかな、242さん…》
落ち着いて考えれば考えるほど、まったくもって腑に落ちなかった。
「聞こえませんでしかた、柳田桃さん。これで面接は終わりです」
みたび242が桃に告げる。抑揚のない、平坦な言い方で、感情の片鱗さえ見せようとしない。それを受けて、いよいよ意気阻喪し、変に錯雑した感じに打たれた桃は、ゆっくりと顔をあげると、
「………はい、ありがとうございました」
とひ弱くしょげ返った声で一礼した。
それを聞いた面接官242と記録係345は、前とまったく同じやり方で桃に目礼し、驚くほど同時に席を立つと、後方の扉を開けてそそくさと退出した。
桃はその去り行く二人を目の端でぼんやりと追っていった。《あ、本当に終わっちゃうんだ…》