01 入杜試験(上)
三人称視点で地の文多めです。主人公の心情は≪≫で表現しています。
(いくらか長い気もしますが一応)プロローグという体で書きましたので、登場する一部の固有名詞には充分な説明が与えられていません。こちらは本編でしっかり説明しています。
「それでは次の質問です。この絵を見てどのような印象を受けますか?」
数百度目の同じ台詞の後で、面接官は一枚の油彩画を目の前の彼女―柳田桃に示した。桃は長机の上に置かれた四方五十センチの絵―その下には、これまでに見せられた同型の絵が数えあげるのを拒むほどうず高く積み重ねられていた―に静かに視線を落とした。
――果てしなく続く草原と玻璃のように澄んだ青空、その真ん中にただ一匹だけ寂しく草を食んでいる野性の羊の後ろ姿。
それ以外は何もない、すがすがしいまでに素朴で、抒情的な風景画である。
桃はしばらくそれを眺めるように見やると、おもむろに顔をあげて、
「穏やかな感じがします」
と受験生らしく明快な口調で答えた。
「そう、それから?」
「それから……寂しい感じもします」
「寂しい? どこが寂しいの?」
「真ん中に取り残された羊の存在がです」
「どうして取り残されたと思ったの? 初めから一匹しかいないとは思わなかったの?」
しばしの間があって、
「後ろを向いているので、もしかしたら、草原の彼方にかつての仲間がいるのかもしれないと思いました」
「そう、ではどうして、羊自ら群れを抜けたのでなく、あくまで取り残されたと思ったの?」
「それは………」
と、間髪を容れず問う面接官を前に、桃は言葉を詰まらせた。面接官の左隣、桃から見て右手側に座った記録係は、そのとき示した桃の表情筋の微細な変化に気づき、すかさず手元の電子帳―大きさはタブレットパソコンよりは一回り小さく、透明な極薄ガラス板を思わせる形状をしている―に何事かを記入する。面接が始まってから、もう幾度となくくりかえされた光景である。
答えに窮した柳田桃はふたたび絵画に視線を移した。無辺際に広がる草原が首を垂れる羊の孤独性をいやでも引き立たせている。やはり寂しい。それも、物淋しさとは別の乾いた方向の寂しさである。
羊は後ろを向いているからその表情を確かめることはできないが、おそらくは茫然自失といった顔をしているのではないか? 仲間はどこにいってしまったのだろうと困惑しながらも、草を食むという羊的な単純動作でそれを誤魔化しているのではないか? あるいは、肉食動物の影に絶えず怯えなくてはならないこれからの生活を思って、生まれて初めて絶望しているのではないか? そもそも羊自ら群れを抜け出たのなら、こんなにも寂しそうに、まるで我を忘れるようなやり方で草を食むだろうか? 云々。
桃が絵画を矯めつ眇めつする間、目の前の試験官はただ口をつぐみ、無表情のまま、辛抱強く彼女の返答を待ちうけた。
隣の記録係も基本それにならったが、時おり、思いついたように何事かを電子帳に書き留めた。あいにく桃が座っている場所からは、そこに何が記されているかを窺い知ることはできない。
大学の小教室を借りた面接室には、この三人―全員が女性だった―を除いてほかにおらず、見たところ、冬着のセーラー服を着た桃がそのなかの最年少で、残りの二人は若いが、身なりからしてともに成人している風だった。
その二人は、白のブラウスと紺色のスーツという生直な試験官スタイルに身を装い、おでこと耳元がはっきりと認められる髪型をし、顔にはほんのりと気に障らない程度の大人向きな化粧がほどこされていた。また、左胸のあたりには小さな名札をつけていた。
その名札をよく見ると、左の面接官は242、右の記録係は345と、なぜか認識番号らしき三桁の数字がそれぞれ印字されていた。
面接では自己紹介の機会が設けられていなかったため、桃はこの三桁の数字をもって便宜的に二人を識別していた。試験官には面接官と記録係という明確な役割区分があるにもかかわらず、その肩書のかわりにあくまで名札の数字に重きを置くのは、彼女なりのこだわりであった。
その柳田桃についても軽く触れておくと、体格は痩せ型の中背。髪はセミロングのハーフアップで、結び目には少女趣味な淡桃色の紐リボンを結いつけていた。着ているセーラー服は中学の制服で、学年は二年生。容姿は幼さの残った目鼻立ちと、母親譲りの柔和な口元が印象的。
表情は同年代の子と比べるとやや穏やかで、こまごまとした仕草のなかにも、本人は無自覚ではあるけれども、どことなく大人びたしとやかさを漂わせていた。しかし裏返せば表情が硬いとも言え、彼女の柔らかい容姿と相まって、少しばかりちぐはぐな雰囲気を醸成していた。
一見して、親しみやすい印象を与えるが、その実、とらえどころの無い不思議な少女、あるいは、全体として育ちの良い上品さを帯びつつも、どこか陰鬱な翳りを窺わせる十代中頃の危うい少女、といった印象である。