最終話 私とエリナ
「ただいまー」
しんとした玄関で声が反響する。
当然、返事はない。
「はぁ……」
ため息をつきながら、私はキッチンへ向かう。
冷蔵庫からジュースを取り、自分の部屋に行こうとして、テーブルの上の白い封筒に目が止まった。
誰からの手紙か、読まなくてもわかっている。
今日は……。
ママが、ママがいなくなった日だから。
壁際の棚に飾られた写真の横に、白くて小さな花が飾られている。
ママが好きだった花……。
写真の前に立ち、ママの笑顔を見つめた。
自分でも似てると思う――、最近は本当にそっくり。
私はそっと、写真の前にパパからの手紙を置いた。
ママの命日、パパは決まってこの手紙と、白い花を置いていく。
初めは、ちゃんと手紙を読んでいた。
でも、いつからか私は読むのをやめてしまった。
延々と、娘に会えない理由を説明されても、私の心が埋まることはなかった。
私に何か言いたいのなら、戻るまでの数時間、たった数時間を待てば……。
――そうでしょ、ママ?
いつ帰ってくるかもわからない家族を、ただ待ってるだけなんて、私は嫌。
それにもう、今までの私とは違う。
私には、あかりがいる。
私を必要としてくれて、好きだと言ってくれる親友が――。
***
――異世界専門学校生徒寮。
「そうなんですよ、向こうの材料でカレーに挑戦しようかなって。へへへ」
「それなら似たようなお野菜があると思うわ。あ、でも……、キャンプだと泊まりでしょ? 気をつけなきゃ駄目よ?」
テーブル越しに、心配そうな顔を向けるタエさん。
本当におかあさんみたいだなぁ……。
「大丈夫です、エリナっていうすっごく強い友達がいますから」
そう答えて、私は肉じゃがを頬張る。
「ん⁉ この肉じゃが美味しいです!」
「ふふ、ありがとう。いっぱい食べてね~」
「はーい」
私は特製肉じゃがをペロッと平らげ、洗い物を済ませてから自分の部屋に戻った。
「レベル8か……」
嬉しい。
机に向かって日記を書きながら、思わず口元がにやけてしまう。
ただ、少し棚ぼた感というか……、戦闘なんかエリナ頼みなわけで。
「……」
もうちょっと、頑張らなきゃ。
一応、私もチャーム・ショットという攻撃スキルを覚えたし、戦えるはず。
次こそは、良いところを見せられるようにしよう。
「目標、エリナより先に敵を倒す……と」
明日は買い出しもあるから早く寝ないと……。
私は日記を閉じてパジャマに着替え、布団に潜り込んだ。
目を閉じて今日のミーティングを思い返す。
しかし、まさか顧問があんな人だとは思わなかったなぁ……。
***
――レムリア商業区。
バスケットボールくらいあるジャガイモに似たイモが軒先に並んでいる。
「うわー大っきい! 見て見て、これってジャガイモにそっくり!」
「いらっしゃい! お嬢ちゃん、それはマイケルってフルーツだよ」
「こ、これが……フルーツ?」
「ああ、ちょっと待ってな」
店主がナイフでマイケルを手際よく切り分けていく。
一口大に切り分けたマイケルに、爪楊枝のような木の枝を刺して、
「ほら、食べてみ、食べてみ?」と、私とエリナに試食を勧めてきた。
「あ、ありがとうございます!」
「ありがとう」
私はエリナとアイコンタクトを交わして、せーので齧った。
「んーっ! 甘ぁーい!」
「ほんとだ、んー、なんか、洋梨みたいな味ね」
「美味しい~」
目を細めていると、店主が「だろ?」と笑った。
「あ……でも今日はカレーの具材を探さなきゃ……」
「これ、デザート用に買えばいいんじゃない?」
「そっか、そうだよね。じゃあ、おじさん、それ2つもらえますかー」
「まいど! なんだいお嬢ちゃん達、カレー作るのかい?」
店主がマイケルを紙で包みながら尋ねてきた。
「え? カレー知ってます?」
「ははは! 知ってるも何も、一時、こっちでもブームになったからな。こっちの野菜でも代用できるぜ? 良かったら見繕うかい?」
「のわっ! 本当ですか⁉ ぜひお願いします!」
「おう、じゃあちょっと待ってな」
店主は店の奥へ入っていった。
「へへ、良かったね。えーっと、鍋もあるし、飯盒もオッケー、お米とルーは持ってきたから……、ん? エリナ? どうかしたの?」
やっぱりエリナの様子が、いつもと違う気がした。
「え⁉ ううん、どうもしないよ?」
「そ、そっか……。あはは……」
普通に振る舞っているように見えるけど、何となく、心ここにあらずといった感じ。
どうしちゃったんだろ……?
「ほい、お待たせ! これだけありゃ、美味いカレーが作れるぜ」
店主が籠に色々な野菜を詰めて持ってきてくれた。
「うわー、凄い! 何このジャガイモみたいなやつ?」
「ああ、それはリドリーだ。ジャガイモに似てるが皮ごと食えて美味いんだ。そっちのが人参っていったっけ? あの赤いやつな。その代わりになるハマーだ。こっちはちゃんと皮を剥いてから調理してくれ」
「へぇ~、やったじゃん。これでカレーも問題なしね!」
「うん、へへへ……」
私は店主に代金を支払って、野菜をエリナと半分ずつバックパックに詰め込んだ。
「うわ、結構重い……」
「ま、まあ、仕方ないね」
「二人共、気をつけてな」
「あ、はい! ありがとうございました!」
「じゃあねー!」
店主のおじさんに手を振り、私達は店を後にした。
***
「どうする? 森まで飛竜で行く?」
「うーん、それよりもルイス達……どうしようかな」
その時、突然、ぽんっとルイスが目の前に現れた。
『シシシ……呼んだ?』
「ルイス⁉」
「本当に突然なんだから……心臓に悪いわよ」
『あ、今日はね、僕カミラとお出かけだから二人とは行けないよー。シシシ……』
「やけに嬉しそうじゃない」と、エリナが訊く。
『そ、そんなことないよ! ま、まぁ、そういうわけだから、あの骨犬でも連れてってやるといいよ』
ルイスはそう言って、空中をくるくる回った。
「はいはい、じゃあカミラさんによろしく」
「あんまり迷惑かけちゃだめだからね」
『ぼ、僕の方がカミラとは長いんだぞ! ふん!』
ルイスはぷいっと顔を背けると、パッと消えてしまった。
「ふふ、よっぽど嬉しいのね」
「だね、ルイスからしてみれば、お母さんみたいなものなのかも」
「お母さんか……」
エリナがぼそっと呟くように言った。
「あ、その、なんていうか、えっと……」
「ははは! 大丈夫、気にしないで、そういうあかりだって同じでしょ?」
「へへ、そういえばそうだね」
「なにそれ、あはは」
いつものように、エリナは笑顔を見せた。
気にしすぎだったのかな?
「じゃあ、ポリス迎えに行って、そのまま森に行っちゃおうか?」
「うん!」
***
Wyverで飛竜をレンタルした私達は、ポリスを連れて原初の森にやって来た。
良さそうな高台に降り立ち、さっそく野営の準備を始める。
「ねぇ、一回り大きくなってない?」
ウロウロするポリスを見て、エリナが言った。
「そうかな?」
言われてみると、少し大きくなった気もするけど……。
「あ、そっち持って」
「うん」
テントを広げ、端っこにテントを固定するペグを打つ。
ちょうどエリナの家に、二人用のテントがあって良かった。
薄いオレンジ色でかわいいし。
「じゃあ、かまど作ろう、かまど」
「どうやるの?」
「じゃあ、エリナはこのくらいの石を集めてきて」
私は手頃な大きさの石を見せた。
「うん、わかった」
エリナが石を集めている間に、私は薪になる枝をかき集める。
「ポリス、こういう枝、わかる?」
返事はないが、ポリスはカチャカチャと走り出して、木の枝を集め始めた。
「おぉ~、ポリス、使える子……」
「持ってきたよ―」
「あ、ありがと、ここに」
エリナと二人で円形に石を並べて置く。
その真ん中に薪を組んで、後は火を起こすだけだ。
「これで後はご飯の準備かな」
「ご飯! ご飯!」
二人で分担して、ハマーの皮を剥いたり、ドリーを洗って、下準備をしていく。
火を起こすのは超簡単、エリナのファイアアローで一発だった。
「さぁ! いくわよ~!」
持ってきた網台高さを調節し、網の上に鍋と飯盒を乗せ、それから鍋に具材を入れ炒めた後、ルーと水を足して煮込む。しばらくして、くつくつと煮え始めると、スパイシーな香りが漂い始めた。
「え、めっちゃいい匂い!」
「でしょ? むふふ……」
そうこうしているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
揺れる赤い火を眺めていると、時間が経つのを忘れてしまう。
ふと、隣に座っていたポリスに手をのばす。
「あんまり近づくと焼けちゃうよ……って、あっつ‼ ちょっと、焼けてんじゃん⁉」
「あははは!」
隣でエリナが大きな声で笑う。
「もう、笑い事じゃないってば! ふーふー、ポリスめっちゃ熱いんだけど」
「ははは! やめて、あはは!」
あまりにも笑うエリナを見て、何だか私まで可笑しくなってきた。
「ふふ、あははは!」
笑い疲れて、二人でしばらくぼうっと空を眺めた。
いつの間にか輝いていた星々がとても近くに感じる。
「すごいね」
「うん、手が届きそう……」
空に手を伸ばして、星を握ってみた。
「異世界でも、星だけは変わらないんだね」
「そうだね……」
隣を見ると、エリナの瞳に映る星明かりが揺れている。
きれいだな……、本当に映画のワンシーンみたい。
「ちょっともう! そんなにジロジロ見ないでよ」
「へへ、ごめんごめん。さ、そろそろカレー食べよっか?」
「うん! 食べるー」
私は二人分のカレーを用意して、簡易テーブルに並べた。
我ながら、上手くできたんじゃないかなと思う。
「はーい、異世界風野菜カレーでーす」
「待ってましたっ!」
ポリスも近くに寄って来て、ねだるように飛び跳ねた。
あんたは食べられないでしょうに……。
「さ、ポリスはこれでも齧ってなさい」
私は手頃な木の枝をポリスに与えた。
ポリスはガジガジと枝を噛みながら、楽しそうに草の上を転がっている。
「よし、じゃあ、いただきますっ!」
「いっただきまーっす!」
「はふぁ、はふぁ、お、おいふぃー」
「うん、おいふぃいね~」
異世界の野菜を使ったカレーは、いつも食べているカレーと殆ど変わらない味だった。
「もう少し、味に変化があると思ってたけど、案外普通だったね」
「んー、私はカレーって殆ど食べたことがないから新鮮!」
おかわりのルーを注ぎ足しながら微笑む。
「そうなんだ? 私は日曜はカレーって決まってたなぁ」
「へぇ、でも、そういうのって憧れるかも」
一瞬、エリナは寂しそうな顔を見せた。
「ま、まあ、どうでもいいんだけどさ、あはは……」
二人でカレーを平らげた後、高台の端の方に座って、遠くに光るレムリアの街の灯を眺めた。
「んー、良い風」
「うん」
ほんのり冷えた夜風が、カレーで温まった身体に心地よかった。
「凄いよねー、なんか全部夢なんじゃないかって……思っちゃうなぁー。あれ、エリナ?」
「あ、うん……」
エリナは何か思いつめたような顔で、街の灯を見つめている。
「ねぇ、やっぱ変だよ? 何かあった?」
「……あのね、聞いてくれる?」
「もちろん! むしろ言ってくれなきゃ怒るよ?」
私が笑顔で答えると、エリナはゆっくりと話し始めた。
「私の家ってさー、パパは帰ってこないっていったじゃん?」
「あ、うん。ミケルさんだよね?」
エリナは小さく頷く。
「仕事だから、仕方ないってわかってる。でもさ、ママがいなくなった日くらい、帰ってきても良いと思わない? そんな日までやらなきゃいけない仕事なんて、辞めちゃえばいいのに……」
「……」
確かに、お母さんの命日くらいは帰ってきても良いと思う。
ていうか、ミケルさん全然帰ってないんだ……。
「なんか、初めはムカついて、怒ったりしてたんだけど、段々ね、それが当たり前になっちゃって……。そういうのが、最近すごく嫌で……、本当はね、パパの事は嫌いじゃないの。会いたいって思う。でも、もう会ってない時間の方が長くなっちゃって……」
そう言った後、エリナは「あーあ、恥ずかしい」と笑って、草の上にゴロンと仰向けになった。
私もエリナと同じ様に草の上に寝て、
「きっとさ……、ミケルさんには、何か理由があると思うんだよね。だって、男親がさ、こんな可愛い娘ほっとくわけないよ」とエリナに言った。
「あかり……、ありがと」
それから、二人で空をぼうっと眺めた。
少し眠たくなってきたなぁと思った、その時だった。
「ねぇ、あれ、なんだろう?」
「え? どれ?」
「ほら、向こうから何か……」
見ると、小さな点が近づいてくる。
「あれって……飛竜?」
「えー、こんな夜に?」
そう言っている間にも、どんどんそれは近づいてきて、あっという間に私達の真上で止まる。
バッサバッサと大きな翼を羽ばたかせる巨大な飛竜。
ゆっくりと降り立つ飛竜を見て、エリナが声を漏らした。
「パパ……?」
「え?」
その言葉に、私は飛竜を見る。
立派な飛竜の上には、毎日のように配信で見ていたミケルさんの姿があった。
「ミ、ミケルさんだ……」
す、すごい、やっぱりめちゃくちゃカッコいい……。
超の付く美形、金色の髪を無造作に後ろで縛ってるだけなのに、ため息がこぼれそうになる。
飛竜からミケルさんは飛び降りると、まっすぐエリナの元へやって来た。
その手には、小さな白い花が握られている。
「な、何しに来たの?」
「ちょ、エリナ……」
「あかりは黙ってて」
「あ、うん……」
折角、ミケルさんに会えたのに、なんで……。
ミケルさんは、頭を掻きながらエリナに言った。
「エリナ……、すまん」
「……」
「これ、お前にと思って」
エリナはその花をじっと見つめて、
「ママの好きな花……、パパっていつもこれよね」と言った。
「……ごめんな、パパ、お前が何を欲しいのかわからなくて……」
「バカ!」
エリナがミケルさんの言葉を遮るように叫んだ。
今にも涙が溢れそうな瞳で、ミケルさんを睨んでいる。
「エリナ……」
「今日は本当のことを話そうと思ってね。パパはね……、本当の事を言うと、怖かったんだ」
「怖い?」
ミケルさんは頷く。
「日が経つに連れ、エリナはママに似ていく。あの日、ママが事故にあった日。パパはママを助けられなかった」
「え……」
「事故は本当だよ。でも、雪崩のあったあの日、パパがちゃんとママの手を握っていれば……、手を離さなければ、ママは助かっていたかも知れないんだ」
「……」
「パパはエリナを見るたびに、ママはもういないって認めなきゃいけない気がしてた。だから……、だから仕事に逃げてしまったんだ」とエリナを見つめた。
「そんなの……、そんなの勝手よ! じゃあ、私がママに似てなきゃ、パパはずっと傍に居てくれたっていうわけ? ふざけないでよ!」
エリナがミケルさんの胸を叩く。
「……ごめん、エリナ。ごめん……」
「ひどいよ……」
ミケルさんはエリナを抱きしめる。
エリナはミケルさんの胸に顔を埋めて震えていた。
***
「あかりーっ! そっち行ったよ!」
「おっけー!」
『メロメロ、メローン、好きになれー』
チャーム・ショットがワイルド・ボアに命中した。
ワイルド・ボアはくねくねと私にすり寄ってくる。
「調伏成功!」
「やったね、最近かなり成功率上がってない?」
「へへへ……」
――あれから、エリナはミケルさんと仲直りをした。
ミケルさんは、超人気配信だった『気まぐれエルフのスローライフ』を辞め、今は異世界配信をやりたい若者の指導を行う会社を経営している。
エリナは殆ど家に居るミケルさんを煙たがっているようだが、本心ではきっと喜んでいることだろう。
へへ、だって、顔が全然違うんだもんね……。
そうそう、私達はレベル10を超え、違う街にも行くようになった。
雷堂さんは、未だに心配しすぎだけど、二人だけでバーキュベー渓谷にも行ったし、お肉味の魚もちゃんと食べることができた。
まぁ、味はいまいちだったんだけどね。
ポリスは今じゃ馬みたいに大きくなって、結構頼りがいがある子に成長したし、ルイスは相変わらずカミラさんにべったりで、最近はクエストに付いて来なくなった。
ルイスについては、今度カミラさんに直接言いつけてやろうと思っている。
そして、私は……。
私の隣にはエリナがいる。
――それは、これからもきっと、変わらないのだ。
読んでくださった皆様、本当にありがとうございました~!