第17話 迫る悪意
テーブル席に着くとシンが、
「エリナたちはこっちで何を?」と訊いてきた。
「えっと、当面の目標はレベルを上げてバーキュベー渓谷に行こうって。ね?」
エリナが私を見る。
「あ、うん。色々見てまわりたいしね」
「へぇ、バーキュベーってことは10以上に上げないとなぁ」
「そうよねぇ、あ、二人は今どのくらいなのかしら?」
バーバラの声はしっとりとして、妙に色っぽい。
「今は2です。へへ……。でも、すぐにあげるつもり」
「あらあら、そうなのねぇ」
エリナが答えると、バーバラがにっこりと笑った。
「でも、クエストもしたいよねー」
私が言うと、シンが「それなら」とカウンターを指さした。
「初心者向けのクエストもあるから、相談してみるといいよ」
「へー、あとで聞いてみようかな」
「てっとり早くレベル上げたいなら、俺たちのクエストに同行してみるか?」とウォルフが提案した。
「え、でも……」
さすがに会ったばかりだし、私はちょっと不安に感じてエリナを見る。
エリナも同じ様に考えていたのだろう、
「私達、時間がないのよね」と答えた。
すると、バーバラがニコッと笑う。
「大丈夫よ、クエストって言っても、弱いモンスターをちょっと狩るだけよ?」
「よし、善は急げだ。近くの森だからパッと終わらせようぜ。一時間もあれば、レベルもすぐに上がるし効率いいよ?」 シンが屈託のない笑顔を見せた。
「でも……、そっちに得はないでしょ?」
エリナが訝しげな目を向けると、シンは「いやいや」と笑って、
「俺たちも初心者の頃があったからさ、早くレベルを上げたい気持ちはわかるんだよ」と答えた。
「どうする……?」
エリナが小声で私に囁く。
「うーん……」
私が答えあぐねていると、シン達は席を立ち、
「大丈夫、すぐに終わるさ。こう見えて俺達、結構強いんだぜ?」と胸を叩いた。
「まぁ、いっか。じゃあ、お言葉に甘えちゃう?」
「う、うん……」
無闇に疑うのは良くないか……。
「よし、そうと決まれば出発だ! 冒険しようぜ!」
「お、おーっ!」
私とエリナもつられて手を上げた。
***
私達は街を出て、原初の森とは反対側にある森に来ていた。
ルイスはまだ、私の頭の上に鎮座したままだ。
重さは感じないのでいいんだけど……。
「ルイスー、ここ何て森なの?」
『蟲鳴きの森だよ』
「うわ、何その嫌な名前……」
エリナが顔を顰めた。
そっか、エリナは虫が苦手だっけ。
「ほら二人とも、こっちだよ」
少し前を行くシンが手を上げた。
近づくと、茂みの向こうに樹齢数百年はあろう巨木が見える。
とんでもない太さの幹には、私とエリナくらいならすっぽり入れる大きさの虚が口を開けていた。
「すごい! おっきーっ!」
「うわー、てっぺんが見えないよ」
私とエリナが空を見上げていると、後からシンがボソッと呟くように言った。
「今回のクエストは厄介でね。どうしても君たちの助けが必要だったんだ」
「え、何か言いました?」
振り返った瞬間――、ウォルフの丸太のような腕が迫り弾き飛ばされた!
「のわっ⁉」
「きゃっ!」
私とエリナはゴロゴロと巨木の側まで吹き飛ばされる。
「うぅ、いてて……」
「ちょっと! 何すんのよ、あんた達!」
エリナは白い頬に付いた土を袖で拭い叫んだ。
「悪く思わないでねぇ、ほらほら、綺麗な顔が台無しじゃない?」
バーバラが意地の悪い笑みを浮かべた。
「キーッ! あったまきた! あかり、動ける?」
「う、うん!」
私は慌てて立ち上がり鞭を手に握った。
ルイスも『むぅ、何をするんだ!』と毛を逆立てている。
「へー、こいつらやるつもりだぜ?」
「ほっとけほっとけ、直に餌になってくれるさ」
シンが意味ありげにウォルフに言うと、木の虚から何やら不気味なモーター音のような音が聞こえてきた。
「な、何? この音……」
生唾を飲み込み、虚を見つめる。
すると、暗闇の中から赤い点がぽつり、ぽつりと灯り始めた。
「ちょ……」
赤い点は加速度的に増えていく。
「せいぜい頑張ってくれよー。 ウハハハハ!」
「あ、あいつら……コロス」
エリナが照準を合わせるように、手を真っ直ぐ前に出す。
――フゥァン!
その時、何かが私とエリナの間を凄まじい速さで横切った。
「ひ……」
キョロキョロと辺りを見るが、何も見えない。
「あかり! 上! 上! ひぃぃぃ!」
エリナの恐怖に引きつった声に空を見上げると、巨大な蜂のモンスターが飛んでいた。
「わ、わわ、のわわ……」
こ、これ、駄目なやつじゃん!
『キラービーか。こいつらに話は通じないんだよなぁ……』
蜂の複眼は真っ赤に染まっていた。
光沢のある黄土色の身体に、禍々しい黒い紋様。アーミーナイフのような鋭い牙をガチガチと鳴らしながら、腹部先端に飛び出した赤黒い針を私達に向けている。
「あ、あかり……ごめん、わ、私、身体が震えて動かない……」
見るとエリナはガクガクと震え、真っ青な顔になっていた。
「エ、エリナ! くっ!」
私はエリナの肩を抱き、シン達を睨んだ。
「こ、こんなことして、何がしたいのよ!」
「俺ら、そいつの針を集めなきゃなんねぇーんだわ。これも仕事なんでね」
肩を竦めながら鼻で笑うシン。
こ、こいつら、クズだ……。
でも、どうしよう、このままじゃ私達……。
その時、ルイスが叫んだ。
『やいやい! 僕を誰だと思ってるんだ! ルイス=ジャさまだぞ!』
ルイスがくるっと一回転し、シン達に向かって飛びかかった。
「ルイス! だめっ!」
「ふん、バーバラ!」
シンの合図でバーバラが何かの粉を撒いた。
すると、勢いよく向かって行ったルイスが減速し地面に降りる。
「ルイス⁉ ちょっとルイス⁉」
呼びかけても返事はない。
そのまま地面で丸くなり動かなくなった。
「ははは、ネムリクサだよ! 所詮は猫! 対策はいくらでもあるのさ!」
駄目だ……、悔しいけど、あいつらは経験を積んだ冒険者。
初心者丸出しの私に何ができる?
考えなきゃ! えっと、えっと……。
――フゥァンッ!
「きゃっ!」
キラービーが後ろから体当たりをしてきた。
エリナと一緒に弾き飛ばされ地面に倒れる。
「ぐ……」
シンがからかうように声をあげた。
「ほらほら、一匹だけじゃないぞー?」
後ろを見ると、虚の中から一匹、また一匹と徐々にキラービーが飛び出してくる。
ブアァーーンという羽音が激しさを増す中、私は力を振り絞って立ち上がった。
「エ、エリナ!」
エリナを抱え、鞭を振り回す。
「あ、あかり、ごめん、私……」
震えるエリナを抱きしめ、「大丈夫、きっと何とかなるから!」と声を掛けた。
ブラインを使って逃げる?
でも、ルイスも助けないと。
ここからじゃ、結構距離があるし間に合わないか……。
……何かいい方法は。
駄目だ、私なんかの力じゃ……。
ここは、エリナに頼るしかない。
「エリナ、一度だけ頑張ろ? 私がブラインを使うから、ありったけ打ち込んで!」
「で、でも……か、身体が震えて……」
私はエリナをぎゅっと抱きしめた。
「エリナ、大丈夫。私が付いてるから!」
「あ、あかり……。わ、わかった」
エリナが私の目を見て、静かに頷く。
「行くよ!」
――闇よ、闇よ、我を包み給え!
刹那、辺りは暗闇に包まれた。
「ちっ! ブラインか⁉ 往生際の……」
――シャイニング・レイン!
エリナが手を上げて叫ぶと同時に、無数の光の矢が降り注ぐ!
ドドドドッと地鳴りが響き、土煙が舞った。
今だ!
私はルイスの元へ走り、そのまま抱えてエリナの所に戻ろうとした――その時。
「うっ⁉」
目の前が暗くなった。
あれ? 暗闇は無効じゃ……。
そのまま、私の意識は闇に溶けていった。