第1話 春の訪れ
春の風に背中を押され、思わず髪を押さえる。
村で一番大きな桜の木が揺れ、青みがかった光の中で桜の花弁が舞い上がった。
私は思う。桜という花は、特別な花なのかも知れない。
綺麗なのはもちろんだけれど、見ていると……こう、何かとっても不思議な気持ちにさせられる。
何かが始まるような……、そんな気持ちに。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、この春、ずっと夢見ていた『東京異世界専門学校』から合格通知が届いた。
私がこの学校へ進む理由は三つ。
まず、異世界への正式な探索許可証の発行権を持つ、唯一の世界政府公認学校であるということ。
次に、数多くの有名冒険者を輩出した異世界探索部、通称イセタンがあるということ。
そして冒険者になり、異世界でスローなアウトドアライフを送るのが、私の夢だということ。
他にも魅力的な職業はあるけれど、私の心はすでに決まっている。
人間である私が冒険者になるためには、世界政府の公認を受けた然るべき学校へ行くしかない。そして、私は晴れてその資格を手にしたのだ。
***
あれよあれよと、入学式当日――。
巨大な体育館に、大勢の新入生が兵馬俑のように並ぶ。
今年の新入生は約五百名。
例年と比べると、一割程度多いそうだ。
入学する生徒は、全員が冒険者志望という訳ではない。
この学校はクリエイティブ系にも強く、作家、映画監督、アニメ制作、ゲームクリエイターなどを目指す生徒も多い。
冒険者志望は全体の六割程度。異世界統治国家アーカイムと、世界政府の合同出資により建立されたこの学校には、亜人、獣人、エルフ、ドワーフなど、多岐にわたる種族の若者たちが、異世界から夢を抱いてやってくる。
因みに、彼らはこちら側の事を――楽園と呼ぶらしい。
クラスごとに整列する中、周りを見ると異種族の生徒がちらほらと目に付く。
田舎の村出身で、上京したばかりの私にとっては珍しい光景だったが、他に気にしている生徒はいない。大都会の東京では、それほど特別な事ではないのだろう。
私の村では、周りはみんなお爺ちゃんとお婆ちゃんだったし、一番若くても学校の先生だったおじさんだけ。ネットはあったから、チャットをする同年代らしき友達はいたけれど、実際に会ったことはなかった。
だから、こうして目の前にしてみると感動すら覚えてしまう。
ああ、本当に、本当に始まるのだ!
初めて見る異種族の同級生たちにテンションを上げながら、私は期待に胸を膨らませていた。
***
あっという間に入学式が終わり、教室では担任教師から注意事項が伝達された。
「……ですので、各自しっかりと勉学に励むように。では、終わります」
「ありがとうございました」
担任が教室から出て行ったのを見て、
「ふぅー、終わった……」と、肩の力を抜くと隣の席から声がかかった。
「ねぇねぇ、藤沢さんって、とっても綺麗よねー。もしかして読モとかやってたりして?」
のわっ! これはファースト・コンタクト⁉
話しかけてきたのは、まるで絵本から飛び出してきたような、淡い碧色の瞳の女の子だった。
落ち着け、私!
大丈夫、この日のために、メンタリストダイスケの動画で勉強したんだからっ!
えっと、確かこういう時は当たり障りのない会話で繋ぐべし。よし!
「え? いやいやいや、そんなわけないよ! 私なんか全然普通だし」
「そうかなぁー、肌も白くて綺麗だし、髪の色も真っ黒でカッコイイよ?」
「お、お世辞でも嬉しいなー。あ、ありがとね……へへへ(やや震え声)」
うぅ……、き、緊張するっ。何このプレッシャーは⁉
真に受けると馬鹿みたいだし、あまり否定しすぎてもわざとらしいし。
くっ、ここに来て、爺ちゃん婆ちゃん相手に何の気も使わずに生きてきた弊害がっ!
も、もしやこれは、試されてるのかも⁉
こんな野暮ったい黒髪ロングの田舎娘に、こんなお洒落な娘が話しかけてくるなんてっ!
まさか、私が話すに値するクラスメイトかどうか見極めているのでは……。
これが、ネットで見たカーストってやつなんだろうか……?
ふと、ダイスケの言葉が脳裏に浮かぶ。
『無理に会話を広げるのは✕。墓穴を掘る前に逃げも大事』
そうだ! ここは、一旦逃げだ! 逃げきるんだ私!
「そ、そういう有薗さんの方が綺麗だよー(気持ち震え声)」
私が精一杯の笑顔を作って答えると、有薗さんは申し訳なさそうに眉を下げた。
「あはは、困らせちゃった? ごめんごめん」
「い、いや、全然……」
「ねぇ、折角、隣の席なんだしさー、仲良くしよ?」
有薗さんがにっこりと笑う。
「え⁉ うん、も、もちろん!」
あ、あれ?
少し考えすぎちゃったかな。なんか、普通にいい感じかも⁉
「やった! よろしくねー、エリナって呼んで」
「あ、私は……明里」
「明里? 可愛い名前ね? あかりって呼んでもいい?」
「う、うん」
エリナが金色の髪を耳にかけると、ちょこっとだけ尖った小さな耳が見えた。
エ、エルフ⁉ ……か、可愛いすぎる。
「あ、そうだ、部活決めた?」
「え、えーと、うん、一応ね」
「へぇ、どこどこ?」
「私は『異世界探索部』なんだけど……」
「あ~、イセタンかぁ~。有名だもんねぇ、冒険者志望?」
「うん、一応。あ、エリナはその……異世界出身なの?」
「ううん、私は楽園の産まれなの。小さい頃に何度かパパと里帰りしたらしいんだけど、覚えてないなー」
里帰りってことは、向こうにお家があるんだろうか。
うーん、羨ましい。
「じゃあ、私は映画研究部だから、また後でね」と言ってエリナが席を立った。
「あ、う、うん。またね」
私はエリナに小さく手を振り、他の女子と教室を後にするエリナの姿を見送る。
背中まである蜂蜜色の金髪がキラキラと揺れていた。
映画研究部か……。
エリナは撮る方なんだろうか、それとも観る方なんだろうか?
そうだ、次話す時はそれを話題にしてみよう。
ハッ! やるじゃん、私!
すっごく自然に話せてたんじゃない? 何かすごく嬉しい。
隣の席だし、可愛いし、ちょっとずつでも仲良くなれるといいなぁ……。
それにしても、さすが美形種族と名高いエルフ。
間近で見ると、透き通るような肌に繊細な目鼻立ち、もう、ただ『綺麗』としか言いようがない(語彙力)。
やっぱ、東京は違うわ~と思いながら、私はイセタンの部室へ向かった。
***
「ここ……かな?」
三階の一番端にある部室、扉の上には『異世界探索部』と書かれた白いプレートがある。
扉を前に深呼吸を数回。
そして、少し緊張しながらそっと扉を開けた。
「……失礼します」
『グガガァ――――ッ!』
扉を開けた瞬間、コボルトが襲い掛かってきた。
「のわわっ⁉」
コボルトが振り下ろした棍棒を寸での所で避ける。
凄まじい風圧が頬をかすめ、全身にぶわっと鳥肌が立った。
「のあ、のあわわ……」
「そこをどけ! うぉりゃああぁ‼」
野太い怒声と共にコボルトが吹っ飛ぶ。
そして、廊下の壁にぶち当たって霧散した。
「おい誰だよ! モンスター連れて来たのは? 逃がしたら許可取り消しもんだぞ!」
「す、すみません! 昨日、紛れ込んだんだと……」
「おい、昨日の探索パーティーの面子集めとけ! ったく……。その魔石も回収しとけよ!」
コボルトを吹っ飛ばした男子生徒が、荒々しい口調で言った。
男子と言うよりは、最早おっさんの域。
その鍛えられた体躯と強面ぶりに、思わず足がすくんでしまう。
「ん? お前入部希望か?」おっさん(仮)がジロリと鋭い眼光を向ける。
「ひぃ! は、はい! ぜひ、こちらに入部させてもらおうというか、頂きたいというか、入りたいというか、と、とにかく来ました! 一年の藤沢明里と言いますです! お願い申し上げますっ!」
しどろもどろになりながらも、私はとにかく思いっきり頭を下げた。
「ほぉ……新人か。俺は副部長の雷堂だ。まぁ入れや」
雷堂さんは、握りしめた大きなハンマーを掌でぺしぺしと叩く。
……不安しかないんですが。
ともかく、私は部室に入った。
***
部室の中では、大勢の部員たちが忙しそうに走り回っていた。
多分、さっきのコボルトが原因だと思う。
その部員たちを横目に、雷堂さんは部室の隅にある机をハンマーで指して「座れ」と言った。
「はい、失礼します」
こ、怖えぇ……。でも、さっきよりは不思議と落ち着いている。
本番に強いタイプなのか、雷堂さんが同年代というよりかは、村のおじさんに近いからなのか……。
「藤沢、お前、見た感じ専攻は魔法か?」
「あ、いえ、その……まだ決めていなくて」
「ふん、そうか。んー、まぁ……そのガタイじゃ、前衛職は無理だろうな」
そう言って、向かい側から私を舐めまわすように見る。
「そうですよね……」
確かに私は華奢な方だから、近接戦闘系は諦めていた。
「ま、どうしてもっつんならレイピアなんかを習得して、魔法剣士を目指すのもアリだ」
「ほ、本当ですか!」
おぉ、さすが副部長。そういう手もあるのか!
「それなりの努力は必要だが……どんな職でも、ある程度まではいけるだろう。しかし、その道を究めるのは諦めた方がいい」
「なるほど……」
「それに、適性がないと魔法剣士にはなれないしな」と、雷堂さんが笑う。
適性……。
村の簡易測定では詳しく教えて貰えなかったけど、都会じゃ珍しくもないって笑われてたなぁ。
やっぱり薬士か、レンジャー系が無難?
それとも、ある程度まで基礎レベルを上げて、複数職をカバーするべきか……むぅ。
「測定は?」
「あ、はい。村……いえ、地元で簡易型測定をやったことがあります」
「結果は?」
「一応、総合……S判定と言われました」
僅かに雷堂さんの眉が上がった。
「総合S判定? 間違いないのか?」
「はい、地元では笑われてましたけど……あはは」
私は愛想笑いを浮かべる。
「簡易でも総合でS判定は珍しいぞ? 本当なら選択肢はかなり広がる」
「え? でも、地元の役場の人はそんなこと言ってなかったですけど……」
雷堂さんは、大きく溜息を吐いた。
「どんな測定をしたのかは知らんが、S判定ってのは珍しいんだよ」
「そ、そうなんですか⁉」
あの役場の爺どもめ! 里帰りしたら文句言ってやらないと……。
「まぁ、どっちにしろ、ウチじゃ入部前に最新の測定を行う。その結果でわかるだろう」
雷堂さんが取り出した紙コップに何かを入れ、ポットからお湯を注いだ。
「では、これを飲め」
紙コップからは、もくもくと湯気が出ている。
「あの、何ですか……これ?」
「何って、味噌汁だよ、味噌汁」
「味噌汁ですか……?」
「そう、味噌汁。元々は、自らのルーツを知るという意味から『身祖知る』と言われたのが始まりだ」
「は、初めて知りました……」
「知らなくて当然だろう。口伝で伝わる話だしな」
「く、口伝……」
「その味噌汁は特殊な菌で発酵させた味噌を使っていてな、発酵する過程で生成される成分が、測定対象者の味細胞に起こす特殊な反応を見て判定するんだ」
雷堂さんがスラスラと薀蓄を語るように教えてくれた。
「へぇ~、凄い味噌なんですねぇ~、勉強になります!」
いやぁ、やっぱりイセタンは違う。
ネットにもなかった話に、私は思わず唸った。
「冗談だ」
「は?」
真顔で雷堂さんを見る。
「だから、冗談だ」
私は心の中で舌打ちをした。
「あの、……そういうの、止めてもらえますか?」
「まぁまぁ、緊張しちゃうとあれだからさ。そんな怒るなって」
ウハハハと、雷堂さんは大きな口を開けて笑う。
何だろう、村の爺さんたちと被ってイラっとする。
「悪い悪い、今度はちゃんとするから」
そう言って、近くの戸棚を漁り始めた。
「えーっと、どこやったっけか……あ、あったあった!」
埃を手で払いながら、丸い宝珠を机の上に置く。
一見、綺麗な水晶玉。
占い師がよく使っているような感じ。
「これが測定器ですか?」
「ああ、測定宝珠はかる君だ。ふざけた名前だが、全項目適性対応で、しかもスキル・タレント看破機能付きだぞ?」
「す、すごい……」
ただの水晶玉のようだけど、そう説明されると神々しく感じてしまう。
「これ、うちの卒業生がダンジョンで見つけたやつなんだ。いいだろ?」
「はい、素晴らしいです!」
その割には保管が雑なようだけど……気にするまい。
「じゃ、早速測定するか。利き手をはかる君に乗せてくれ」
私は汗をスカートで拭ってから、そっと手を置いた。
「いくぞ?」と私を見て、雷堂さんがはかる君に手をかざす。
――全能力測定開始。
同時に宝珠が光を放つ。
内部に見たこともない記号のような文字列が流れた。
「ほぅ……」
雷堂さんが、興味深そうにそれを覗きこむ。
そして――その直後。
突然、室内が薄闇に包まれた。
『ゴォーーーン……ゴォーーーン……ゴォーーーン……』
重い鐘の音が部室中に鳴り響く。
その音、計十三回。
「ま、マジかよ……」
雷堂さんは、中空を見上げたまま呆然とする。
部室に居た生徒たちも、キョロキョロと辺りを見回していた。
一体、何が……。どうしよう?
入部できないとか?
私の夢はここで終わっちゃうの?
事態が飲み込めずに焦っていると、すぐに部室の明かりが戻った。
雷堂さんは腕組みをして、何か考えこんでいる。
「あの……何があったんですか……?」
恐る恐る訊いてみると、「十三点鐘だ」と雷堂さんが答えた。
「じゅ、十三点鐘?」
「火・水・木・土・風・闇・光の七属性は知っているな?」
「はい、基本構成属性ですよね」
「そう。で、一周目の鐘の音はS判定を意味する」
「一周目?」
「そう、火から光まで一周七回。鐘の音は全部で十三回鳴った。七回鳴った時点で全属性S判定が確定する。そして、二周目の鐘はEX適正がある属性で止まるんだ。二週目は六回鳴ったよな? よって、火から数えると闇で止まったことになる」
雷堂さんは神妙な面持ちで「普通は一回も鳴らない」と言った。
「え……」
「いいか? お前は全属性S判定の上、『闇』にEX適性まであるってことだよ。まぁ、判定はあくまでも潜在能力だし、それが全てってわけじゃないが……」
「の、のわわ……」
「どっちにしろ可能性があるってのは良いことだが……、それを生かすも殺すもお前次第だ」
「ど、どうしよう……」
自分でもまさかこんな適性があるとは思わなかった。
しかも『闇』にEX適性って……。
明るい性格だと思ってたんだけど、本当は暗いってこと?
私は小さく頭を振る。
いやいや、そういう問題じゃないよね……。
ん~、なんで『闇』なんだろう? どうせなら、火とか光がよかったのに。
――と、その時、またもや鐘が鳴った。
『ゴォーーーン……ゴォーーーン……ゴォーーーン……』
「え⁉」
私と雷堂さんは顔を見合わせる。
瞬間、部室内に春一番にも似た突風が巻き起こり、ゴミ箱やノート、プリントに黒板消しなどが宙を舞った。
「きゃー!」
「おい! 物押さえろ!」
慌てて皆がカバンや戸棚を抑える。
私も机の上のはかる君が転がっていかないように押さえた。
「のわわわわっ!」
すぐに風はおさまった。嘘みたいに室内が静まり返る。
「お、おさまったか……?」
たしか、鐘の音は十二回……。
「これって、じゅ、十二点鐘……ですよね?」と私は雷堂さんに尋ねる。
「ああ、そうだな……。ったく、今度は誰だ?」
雷堂さんが周りを見ると「あいつか」と呟く。
「え?」
誰だろうとその方向を見ると、少し離れた席でエリナが手を振っていた。
「え、エリナ⁉」
私は思わず声をあげる。
雷堂さんが私とエリナを交互に見て、「なんだ藤沢、知り合いか?」と訊く。
「はい、あ、あの……私のクラスメイトです」