君がいてくれたら
気が付いたら1年ぶりでしょうか。こちらに投稿し忘れてしまう癖、いい加減直したいものですね。
といいつつも最近あまり書けていないので精進していきたいと思います。
「きゅ、救急車だ! 誰か早く!!」
「番号何番だったっけ……!?」
「119だよな!? 俺かけるぞ!」
「誰か先生呼んできて!」
「心臓マッサージは必要なのか!?」
「やらないより良いでしょ!」
「俺やったことねーよ……!」
「あたしだってないわよ!!」
教室内に響き渡るクラスメートたちの叫ぶ声を僕は今でも鮮明に覚えている。みんなは慌てふためきながらもそれぞれの役割を果たしているというのに、僕だけが現実を受け止めきれずにただ突っ立っているだけだった。
どうして彼女が倒れている? あんなたに優しくてみんなの人気者だった彼女がどうして教室で首を吊っていた? 自問自答をしていても解決しないことを延々と脳内で繰り返しているだけの僕は何の役にも立たない物同然だった。
いや、物の府がまだ何らかの利用価値があって役に立つだろう。僕なんかと同じにしては可哀想だ。
今はそういう話をしているんじゃない。
じゃあ、どういう話をしているのさ。
彼女に救われた僕が彼女を救えなかった。
その後も何もできない役立たずだしな。
「ごめん、ちょっとそこどいて!」
教室を出ようとするクラスメートの声でようやく我に返る。こんなことをしている場合ではない。僕だって、僕だって何か出来るはずだ。
「大丈夫か……!?」
「ごめん、ごめんね。こんな時なのに気分悪くなってきちゃって……」
心臓マッサージをしていた女子が顔色を悪くして口元を手で押さえる姿が見えた。学校行事等で経験したことはあったとしても生身にするのは初めてだろう。尋常じゃない焦りと緊張で体調を崩してしまってもおかしくない。
「だ、誰か代わりに……お前出来るか!?」
「俺!? 自信ねえよ! お前、前の講習会で褒められてたじゃん。あの時みたいにやれって!」
「あの時みたいって、あれは講習だったから……」
さっきの女子が積極的に動いていたことによって、誰かがやってくれる。自分の手で失敗したくないといった意識が徐々に教室中に広まっているのを感じた。心臓が止まってから、たったの5分で亡くなる確率は高くなるという話を聞いたことがある。このままみんなで人任せにしたまま終わるくらいなら……。
僕は彼女に教わった、胸に手を当てて深呼吸をして心を落ち着ける方法で覚悟を決めた。
「ぼ、ぼぼ、僕がやります。だ、誰かAEDを持ってきてください。昇降口に1つあったはずです」
「あ、ああ! 任せたぞ!」
昨日までは笑顔で僕と話していた彼女がこうして目の前に横たわっていることが信じられない。震える腕を伸ばして彼女の胸元に両腕を当てる。1分間に100回なんてどんな速さか分からないが確認しながらやるわけにはいかない。このくらいだろうと自分を信じて必死で両腕を押し込んでいく。人形とは違う感触。生身の人間に心臓マッサージをしているんだという事実を突きつけられて、僕自身の心臓が強く握られているような感覚に襲われるが止めるわけにはいかない。もしかしたらこの1回で意識を取り戻すかもしれない。
何回も何回も何回も何回も続けているのに彼女に変化は全くない。表情さえも微塵も動かない。反応がない。僕が心臓マッサージをしているのは人間なはずなのに、マネキンにでもすり替えられてしまったかのように思えてくる。
起きろ、起きろ起きろ! 本当は寝たフリなんだろ!? 僕の真剣な表情を見て、何を必死になっているんだと笑うつもりなんだろう。お願いだから笑ってくれ。
背中を流れる汗が気持ち悪いと感じたところで、自分が汗だくになっていることに気づく。額の汗が目尻を通って彼女の右腕に垂れた。それと同時に先生が教室に入ってくる。必死にみんなに声をかけて、僕の代わりに心臓マッサージを続けてくれた。
僕は震える自分の両腕を見つめて何も出来なかったと目尻の汗を拭って床を叩き続けた。役に立たないこんな腕、壊れてしまえばいいのにと願って。
記憶はそこで終わっている。
僕らの救命措置は何の役にも立たず、病院に搬送される前、救急隊が教室に着いた時には彼女は亡くなっていたらしい。第一発見者となった僕らは警察や先生から色々と話を聞かれたが、朝教室に入ったら彼女が首を吊っていたと答えることしか出来なかった。遺書は見つからず他殺の可能性も考えられたが、彼女の衣類や周辺の物からは彼女の指紋しか検出されず、監視カメラには不審な人物は映っていない。その時間に学校にいた先生たちは全員職員室にいたこと、その他誰にも動機がないこと等により自殺ということで片付けられた。
それからの僕らの学校生活は最悪だった。元々、みんな仲は良く明るいクラスだったがその日からみんなの笑顔は消えた。担任の先生は彼女の苦しみや悩みに気づいてあげられなかったことに責任を感じて自分を責め続けて鬱病になり、学校へ来なくなった。勝手に流れていく時間に取り残されていつの間にか1年、2年と経って高校を卒業し、僕は彼女を忘れるように街を出て上京した。
「…………はあ」
こんなことを思い出してしまったのは偶然見つけてしまった高校のアルバムを開いてしまったからだろう。その中には彼女の名前も写真も載っていないけれど。僕らのことを気遣って彼女の両親が高校に通っていなかったことにしてくれていいと言ってくれたからだそうだ。みんなはそれで納得していたが、僕としては彼女の生きていた証が消えてしまうような気がして反対したかった。けれど、みんなの辛そうで悲しそうな表情を見ていてそんなことは言えず、一人唇を噛みしめていたのを覚えている。
「どうしてだよ……」
誰もいない部屋で一人、僕は消えそうな声で呟いた。彼女と過ごしたのは中学3年間と高校の半年、よく話すようになったのは中学3年の頃からだったから時間としてはそんなに長いものではなかったけれど、異性の中では一番仲が良い人だった。よく2人で帰って、家の近くの公園に寄っては暗くなるまでたわいない話をしていた。毎回最初は、話す話題特にないんだけどで会話が始まっていたけれど、話し始めてしまえば次々と話題が出てきて時間というものが存在しなかったら僕らは一生話していられたのではないかと思う。
だから、だからこそ僕は彼女の死が理解出来なかった。どうして自殺なんてしてしまったのか。
大学に入学してから高校の同級生とは何度か会ったけれど、彼女の話はタブーとなっていて話題に上がることは一度もなかった。こうして未だに執着しているのは自分だけなのだろうか。みんなようやく笑えるようになってそれぞれの人生を楽しんでいる。それなのに、あの日のことを思い出させて阻害させるのは僕のエゴじゃないか。そう言ってしまえば彼女の死因のことだってそうだ。遺書を遺さず死んだ彼女は、その理由を誰にも知られたくなかったということだ。それを暴こうとするのは死者に対する冒涜ではないか。知ったところで僕はどうするつもりだったのか。君のことを分かったよと理解者にでもなったつもりになるのか。それとも全部知らなければ彼女に謝ることも出来ないというのか。謝ることさえも、僕自身が許されたいというエゴだというのに。
両腕を上げると未だに時折震えることがある。体が思い出すんだ。あの日、彼女を救えなかったことを。彼女を殺してしまった僕自身を。
アルバムを元あった場所に戻してベッドに横になる。やめよう、こうして自分自身を責めて心のどこかで許されたいと願うのは。そんな醜いことをするなら、忘れてしまった方が誰のためにもいいだろう。
そうやって責任から逃げるのか?
自分を責めたって悲劇の主人公気取りなだけじゃないか。
同じ過ちを犯さないようにしていけばいいだろう。
彼女を犠牲にしておいて他の人は救ってみせるとかいうのか。笑わせるな。
過ぎてしまったことをぐちぐち言って現実から目を背けるな。
分かってるよ。分かってるから黙ってくれ。
終わらない自問自答が繰り返される。結局これの答えは一生出てこない。君が答えてくれるまで、僕は一生抜け出せないのだろう。
「君は将来何になるの?」
公園のベンチに座り込むなり、彼女は突然そんな言葉を口にした。高校1年になった僕らは義務教育を終えているのだからそろそろ自分の将来について考えるべきなのだろう。なりたいのではなく、なるのと聞く辺り彼女は将来設計がしっかりしているのだと感じ、何も考えていなかった自分が少し恥ずかしくなった。
「実は何も考えていないんだ。この高校に入ったのも、とりあえず大学には進学したいと思って普通科高校にしようと思っただけだから。判断は来年の進路希望調査時の自分に委ねようと思ってる」
「流石、何でも出来る人は余裕が違いますねー」
「僕の何を見てそう思ったのさ……。それを言ったら君だって何にだってなれそうじゃないか。首席合格なんだし」
「あはは……私が出来るのは勉強だけだよ」
彼女はそう謙遜するが芸術科目も体育も優秀だった記憶がある。出来ないことを探す方が難しいのではないかと思うくらいで、たまに少しその能力を分けてもらいたいと思うことはある。ただ、言ったら怒られそうだからその言葉を口にはしないけれど。
「実はね、両親に大学は慶應か早稲田に行けって言われててね。2人とも当時落ちちゃったらしいから娘には叶えてほしいって張り切ってて」
「そっか……それはすごいな」
「すごい?」
「僕はそうやって誰かに期待されたことがなかったからさ。もちろん、その分努力をしてきたんだと思うし、僕はそれを怠ったのが悪いんだけど少し君が羨ましいかもしれない」
「羨ましい……か」
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ彼女の横顔が酷く悲しそうに見えた。
「どの道に進むにせよ、僕は全力で応援してるから。だから、行き詰まったらいつでも声かけてよ。その時はここに集合にしよう」
僕が言いきると同時に彼女は今日一番の笑顔になった。その表情に思わず見とれてしまって、紅潮しそうな自分の頬を何とか抑えようと努力する。無駄な抵抗ではあると思うけれど。
そんな彼女の笑顔に、さっきの表情はきっと僕の見間違いだったのだろうと思い気にしないことにした。
「それはつまり、何年経ってもこの街にいてここに集まるってこと? ここから行ける大学となると結構限られて来るなあ……」
「いやいや、それは言葉の綾ってやつでして……。直接会えなかったとしても今の時代メッセージアプリが充実してるからいつでも話せるしね」
「そっか……そうだよね。離れててもいつでも話せる時代だもんね。便利な世の中になっちゃったよね」
よいしょとベンチから立ち上がった彼女は沈む太陽をじっと見つめる。僕も座ったまま空を見上げた。ここまでがあっという間だったように、きっと高校3年間もあっという間に経って僕らはそれぞれの道を行くのだろう。そうだとしても、こうして何度も会って話せるとしたら僕はとても嬉しい。
「あのさ、高校を卒業しても僕らは――」
「あ、もうこんな時間! 今日早く帰らないといけないんだった! ごめん、早く行こう!」
僕の消えるような呟きは、彼女の突然の大声にかき消されてしまった。まあ、この話は卒業式にでもすればいいし、その日まで仲良くしてもらえるように明日から頑張っていけばいいだけのことだ。今はそれよりも走り出す直前に僕の手を握った彼女の左腕に意識を割くことで精いっぱいだ。家の近くに着くまで、その手が離されることはなかった。
「お客さん来てるわよー。早く下りてきなさい!」
お風呂上がりに部屋でのんびり過ごしていると階下から母の声が聞こえてくる。時計を確認するともう20時を回っているというのに、こんな時間に訪ねてくるのは誰なんだろうか。お客さんと呼ぶということは、先生や仲の良い友達ではない母と面識の少ない人物、そんな人に心当たりはないなと考えながら階段を下りると玄関ではにかみながら手を振る彼女の姿があった。
「あんまり遅くならないようにするんだよ」
母は僕の肩を小突いてリビングへと戻っていく。玄関に残された僕と彼女。2人でいることなんてよくあるのに、自分の家だと思うと妙に緊張してしまう。何を話せばと悩む僕に彼女は小包を差し出した。
「……これは?」
「この前一緒に見に行った映画の原作の本がすごく面白かったから君にも読んでほしくて」
「あ、あれね。映画良かったよね。あの日も楽しかった」
「本当に楽しかったよね。あ、来週からテストだからちゃんと終わってから読むんだよ? 今日から読み始めて点数落としたら許さないからね」
「大丈夫。ちゃんと終わってからゆっくり楽しませてもらうから」
僕は両手でしっかりと本を握って答えた。……あれ、それならわざわざ今日のこんな遅い時間に渡しにくることなかったんじゃないだろうか。どうして彼女は今日訪ねてきたのだろう。
僕が疑問を口にする前に彼女は背を向けてドアに手を伸ばした。開けると同時に振り返り優しく微笑む。
「じゃあ、また明日学校で会おうね」
「あ、もう遅いし送っていくよ」
「大丈夫大丈夫。その後、君を一人で帰す方が危ない気がするし」
「え、なにそれ」
「ふふふ、冗談だよ。それじゃ、さよなら」
「全く君って人は……さよなら、また明日」
彼女の後ろ姿を隠すように、僕らを隔てるように、静かにドアは閉まっていく。ドアが閉まったのを確認して鍵をかけて僕の自室へと戻る。何にも気づけないまま、明日を迎えることになるとは知らずに。
悪夢から呼び起こされたかのように飛び起きた。荒れる呼吸を落ち着かせて辺りを見回すと一人暮らしをしている自分の家だ。僕は今大学生で間違いない。さっきまで見ていたのは夢だったのだ。彼女が死ぬ前日の記憶。
冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出してそのまま喉に押し込むように一気に呷った。渇いた喉が潤っていくのと当時に熱くなった体も冷まされる。眠ってしまう直前まで彼女のことを考えていたせいか、夢に出てくるなんて思わなかった。もう忘れてしまおうと思った直後に思い出させられるなんてどうすればいいんだか。とりあえず再びベッドに横になって、もうあやふやになりかけている夢の内容を思い出す。自分の覚えている記憶と大して差異はない。あの頃をそのまま夢に見た――。
「ちょっと待て……!」
公園で将来の話をしたのは覚えている。でも、その日の夜に彼女が訪れてきたなんてことあっただろうか。全く身に覚えがない。思い出せ、ちゃんと思い出せ。
あの日のことを思い出そうとすると、頭痛と吐き気に襲われるが構わない。今思い出さないといけないんだ。それが事実なのかどうかを。
そういえばあの時使っていた鞄をこっちの家に持ってきていたはずだ。彼女が亡くなった日から何となく使うのを避けるようになってしまったが引っ越しの時に捨てるに捨てられず持ってきてしまったのを覚えている。
クローゼットを開けて奥を覗いてみると……あった。学生の頃に流行ったブランドの黒のリュック。彼女からもらったイルカのキーホルダーがついている。
震える手を伸ばしてチャックを掴む。これを引けば真相が分かる。覚悟を決めるために胸に手を当てて深呼吸をしてチャックを――引いた。
…………あった。「星海に溺れて」当時大流行した映画の原作本。僕は映画を見たから買わなくていいと思ったから、これは僕のものではない。彼女に渡されたものなんだ。
どうしてこんなことを忘れていたんだと自分を責める前に本を開いて数ページ捲っていると何かが床に落ちた。
4つ折りにされた白い紙だ。出版社の広告か、それとも何かの間違いで混入したただの紙かと思ったが裏面を見ると「××くんへ」と僕の名前が書かれていることに気づいた瞬間、心臓を握りつぶされるような感覚に襲われる、彼女はノートを取る時は、楷書で見入ってしまうほど綺麗な字を書いていたが手紙の時は女の子らしい丸みのある字を書いていた。けれど、宛名は楷書で書かれていて普段送られていた手紙とは雰囲気が異なるのが伝わってくる。彼女が亡くなる前に書かれた手紙だ。そのことについて書かれているのは間違いないだろう。
中を開けるのが怖い。読まない方が身のためかもしれない。でも、彼女が僕の名指しで遺したものを僕が読まないわけにはいかない。僕は薄いガラスに触れるようにゆっくりと手紙を開いた。
『××くんへ
この手紙を君が読んでいる頃にはきっと私はこの世にはいないことでしょう。
なんて書き出しを人生で一度はやってみたいななんて思っていたらまさか本当にやることになるなんてね。(もしも生きていたらその時は盛大に笑ってあげてください)
こういう時は何から書き始めていいのか悩むので、まず君が一番気になっていると思うことを書きます。
私はみんなの期待に潰されて死にます。頑張って、頑張って、ようやく出せた結果に対してすぐに次を期待される日々。その期待の重さが私には耐えられませんでした。私は天才でも何でもありません。どこにでもいるただの女の子なんです。
だからあの時、私はもしかしたら君に自由になっていいんだという言葉を求めていたのかもしれません。
あ、でも君を責めるつもりではないんです。どっちにしろ私はもう限界だったので最期にどんな話題でもいいから君と話がしたかった。話してみて分かりました。やっぱり君といる時間が一番楽しかった。一番幸せでした。叶うことならいつまでも君と同じ未来を見ていたかった。
こんなことを書いておいて当然だと思いますが、きっと君は私が亡くなった日からずっと自分を責め続けていると思います。でも、それはもうやめてください。君は、君だけは幸せに生きてください。私に会いに来るのは80年後くらいにしてください。たくさんのお土産話楽しみにしていますから。
私って本当に卑怯ですよね。ずるいですよね。でも、君なら分かってくれると思いますから最後の私のわがままをどうか叶えてください。
さて、これ以上書き続けると終わりが見えなくなってしまいそうなのでこの辺りで筆を置きたいと思います。繰り返しになりましが、どうか君は幸せになってください。自分を責めず、つらいときは誰かを頼ってください。お願いします。
最後に
私は君と出逢えて本当に幸せでした。
大好きです。
さゆり』
最後の文だけ、いつも通りの丸文字で書かれていた。ああ、本当に君はずるい人だ。こんなことを書かれたら自分を責めるに決まっている。どうしてあの時あんな言葉をかけてしまったのか、彼女の手を引けていたらこんなことにはならなかったのではないか。あり得たかもしれない、もうあり得ない可能性を何度も何度も夢想する。もう今更だと理解して唇を強く噛み締めた。
「どうして、どうしてそれを言ってくれなかったんだ……!」
喉から絞り出された言葉を天に向かって投げかける。すべて今更だ。ならば、僕だって卑怯になろう。君がもっと早く、つらいと苦しいと悲しいと頑張れないと、頑張ったねって褒めてほしかったと言ってくれたなら僕はそれを叶えただろうに!
責任を押し付ける自分に嫌気が差して僕は拳を床に叩きつける。4年前と何も変わっていない自分を戒めるように。
「久しぶりだね、さゆり」
彼女の墓前に立つのは今日が初めてだ。告別式が終わってから僕は心のどこかで彼女を避けようとしていたから。向き合うなんて言っていた癖に笑ってしまう話だ。でも、それも今日で終わりだ。
「あれからちゃんと考えたんだ。まずは君の両親に会いに行ってちゃんと話そうと思う。話がしたいとは随分前に言われてたんだけど僕が逃げてしまっていたから。思えば卒業アルバムに君が載らなかったのは僕のそういう態度のせいだったかもしれないね」
僕は彼女が亡くなってから最初の1ヶ月くらいは本当に酷かったらしい。後を追いそうな雰囲気だったみたいで学校を休みがちになってしまっても親に責められなかったのはそういう理由だった。そして、閉じ籠ってばかりでは逆に彼女のことを考えてしまってつらくなった僕は学校に戻り、何もかも忘れるように勉強に集中した。あの一件で僕は誰よりも変わってしまったのだから、そりゃ気を遣って高校の友人たちは僕の前で彼女の話題について話さないわけだ。
買ってきた花を花立に挿しながら僕は話を続ける。
「4年も経ってしまって今更かもしれないし、話を掘り返さないでくれって言われるかもしれないけど、とりあえずは会いに行ってみるよ。あの日をちゃんと終わらせるために」
彼女の声が聞こえてくるなんて奇跡も彼女ならこう答えてくれるだろうなんて妄想もない。ただ、僕が彼女がいると思っているものに話しかけ続けるだけだ。
「そうだ、君だってわがままを言ったから僕もわがままを言わせてもらうよ。思えば僕らって全然喧嘩とか口論とかしなかったよね。それってお互い本音を隠し合ってたというか、どこか遠慮しあってたからだと思うんだ。だから、次会うときは喧嘩をしたい。ちゃんと思ってることをぶつけ合って、最後には笑おう」
線香を置いて両手を合わせる。分かってる。これが僕のエゴだってことは。だから答え合わせは、彼女の本当の思いは、いつか聞かせてもらうことにしよう。
立ち去ろうと思ったところで言い残したことがあることに気がついて振り返った。別にもう二度と来ないわけではないけれど、こういうことは後回しにしないでちゃんと最初のうちに言っておきたい。
「80年後に会おうね。お土産たくさん持って行くから」
それまでは約束通り幸せに生きてみせる。それだけはちゃんと守るから。
見上げた空は彼女と別れを告げたあの日と同じように入道雲が広がる夏らしい青空だった。
ここからもう一度歩き始めよう。君に会いに行くために。